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2021年5月29日 (土) 11:37時点における版

 
六角久頼
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 康正2年10月2日1456年11月8日
改名 周恩(僧名)、久頼
別名 四郎(通称)
戒名 詳光寺殿融山周恩
官位 従五位下近江守
幕府 室町幕府 近江守護
氏族 六角氏
父母 六角満綱
兄弟 持綱時綱久頼三井高久
高頼政頼)?
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六角 久頼(ろっかく ひさより)は、室町時代武将守護大名近江国守護六角氏11代当主。官位従五位下近江守

略歴

六角満綱の三男として誕生。

相国寺の僧籍にあったが、文安2年(1445年)に次兄・時綱国人衆の盟主となり父と長兄・持綱と対立、敗れた父と長兄は自害して果てた。そのため、幕命により還俗して久頼と名乗り、翌文安3年(1446年)に次兄を追討して六角氏を相続した。

しかし、衰退した六角氏の勢力を立て直すことはできず、京極持清の干渉に苦しめられた末に康正2年(1456年)10月2日に憤死した。家督は子・高頼[1]が継いだが、幼少のため、甥で時綱の遺児・政堯が後見人となった。

脚注

  1. ^ 高頼は孫で子は政頼とも。

関連項目