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「飯塚仁樹」の版間の差分

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| 主な作品 = '''テレビドラマ'''<br />『[[バロム・1|超人バロム・1]]』
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'''飯塚 仁樹'''(いいづか ひろき<ref name="profile">{{Cite book|和書|year=1974|title=[[日本タレント名鑑]]'74|pages=15|publisher=VIPタイムズ社}}</ref>、[[1959年]][[5月27日]]<ref name="profile" /> - [[2011年]]?)は、[[日本]]の元[[子役]]、[[俳優]]。[[東京都]]出身<ref name="profile" />。
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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
[[東映アカデミー|東映児童研修所]]に所属し<ref name="profile" />、『[[バロム・1|超人バロム・1]]』([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])に子役として木戸猛役で主演。当時の新聞記事によると共演した[[高野浩幸]]とともに当時小学6年生だったと記載しているが<ref>『読売新聞』1972年2月26日・へんしーんブーム 週8本の大激戦 新番組“バロム”では 少年2人1組で超人</ref>、後年のインタビューで高野本人は、飯塚が小学6年生で高野は小学5年生であったと述べている<ref name = "円谷">{{Cite book|和書 | title = 別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑 | publisher = [[洋泉社]] | series = 洋泉社MOOK | date = 2013 | page = 122 | chapter = 子役対談 高野浩幸×[[斉藤浩子]] | isbn = 978-4-8003-0209-0 }}</ref>。高野は別のインタビューで、飯塚は運動神経が良かったために、高野と腕を組んで半回転しながらの変身シーンでは、高野が振り回されることがあったと述べている。また、『バロム・1』では怒鳴りながら話すシーンが多かったため、飯塚は[[アフレコ]]で苦労していたのではないかと高野は述懐している<ref>{{Cite book|和書 |date = 2003-04-03 |title = 人造人間キカイダー 超人バロム・1 変身忍者嵐 3大テレビヒーローシークレットファイル |publisher = [[ミリオン出版]] |page=128 |isbn = 4-8130-0095-9 }}</ref>。
[[東映アカデミー|東映児童研修所]]に所属し<ref name="profile" />、『[[超人バロム・1]]』([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])に子役として木戸猛役で主演。当時の新聞記事によると共演した[[高野浩幸]]とともに当時小学6年生だったと記載しているが<ref>『読売新聞』1972年2月26日・へんしーんブーム 週8本の大激戦 新番組“バロム”では 少年2人1組で超人</ref>、後年のインタビューで高野本人は、飯塚が小学6年生で高野は小学5年生であったと述べている<ref name = "円谷">{{Cite book|和書 | title = 別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑 | publisher = [[洋泉社]] | series = 洋泉社MOOK | date = 2013 | page = 122 | chapter = 子役対談 高野浩幸×[[斉藤浩子]] | isbn = 978-4-8003-0209-0 }}</ref>。高野は別のインタビューで、飯塚は運動神経が良かったために、高野と腕を組んで半回転しながらの変身シーンでは、高野が振り回されることがあったと述べている。また、『バロム・1』では怒鳴りながら話すシーンが多かったため、飯塚は[[アフレコ]]で苦労していたのではないかと高野は述懐している<ref>{{Cite book|和書 |date = 2003-04-03 |title = 人造人間キカイダー 超人バロム・1 変身忍者嵐 3大テレビヒーローシークレットファイル |publisher = [[ミリオン出版]] |page=128 |isbn = 4-8130-0095-9 }}</ref>。


特技は、[[柔道]]<ref name="profile" />。[[1974年]]当時は、[[練馬区立大泉第二中学校]]に在学中だった<ref name="profile" />。
特技は、[[柔道]]<ref name="profile" />。[[1974年]]当時は、[[練馬区立大泉第二中学校]]に在学中だった<ref name="profile" />。
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* [[おさな妻#連続テレビドラマ版|おさな妻]](1970年 - 1971年、[[テレビ東京|12ch]])
* [[おさな妻#連続テレビドラマ版|おさな妻]](1970年 - 1971年、[[テレビ東京|12ch]])
* [[仮面ライダー]] 第27話「ムカデラス怪人教室」(1971年、[[MBSテレビ|MBS]]) - 少年
* [[仮面ライダー]] 第27話「ムカデラス怪人教室」(1971年、[[MBSテレビ|MBS]]) - 少年
* [[バロム・1|超人バロム・1]](1972年、[[讀賣テレビ放送|YTV]])- 木戸猛
* [[超人バロム・1]](1972年、[[讀賣テレビ放送|YTV]])- 木戸猛
* [[さすらいの狼]] 第3話「竜と少年」(1972年、NET)
* [[さすらいの狼]] 第3話「竜と少年」(1972年、NET)
* [[どっこい大作]](1973年、NET)- 皆川夏男
* [[どっこい大作]](1973年、NET)- 皆川夏男

2021年6月10日 (木) 21:42時点における版

いいづか ひろき
飯塚 仁樹
本名 飯塚 仁樹
生年月日 (1959-05-27) 1959年5月27日
没年月日 2011(?)年
出生地 日本の旗, 東京都
職業 俳優
主な作品
テレビドラマ
超人バロム・1
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飯塚 仁樹(いいづか ひろき[1]1959年5月27日[1] - 2011年?)は、日本の元子役俳優東京都出身[1]

来歴・人物

東映児童研修所に所属し[1]、『超人バロム・1』(読売テレビ)に子役として木戸猛役で主演。当時の新聞記事によると共演した高野浩幸とともに当時小学6年生だったと記載しているが[2]、後年のインタビューで高野本人は、飯塚が小学6年生で高野は小学5年生であったと述べている[3]。高野は別のインタビューで、飯塚は運動神経が良かったために、高野と腕を組んで半回転しながらの変身シーンでは、高野が振り回されることがあったと述べている。また、『バロム・1』では怒鳴りながら話すシーンが多かったため、飯塚はアフレコで苦労していたのではないかと高野は述懐している[4]

特技は、柔道[1]1974年当時は、練馬区立大泉第二中学校に在学中だった[1]

成人後は芸能界を引退。その後の消息は明らかになっていないが、2013年発行のムック本に掲載された高野浩幸と斉藤浩子との対談記事のなかで高野は、晩年の飯塚と交流があったある俳優からの伝聞として「2年くらい前に亡くなった」と語っている[3]

出演

テレビドラマ

映画

脚注

出典
  1. ^ a b c d e f 日本タレント名鑑'74』VIPタイムズ社、1974年、15頁。 
  2. ^ 『読売新聞』1972年2月26日・へんしーんブーム 週8本の大激戦 新番組“バロム”では 少年2人1組で超人
  3. ^ a b 「子役対談 高野浩幸×斉藤浩子」『別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、122頁。ISBN 978-4-8003-0209-0 
  4. ^ 『人造人間キカイダー 超人バロム・1 変身忍者嵐 3大テレビヒーローシークレットファイル』ミリオン出版、2003年4月3日、128頁。ISBN 4-8130-0095-9