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「ドルゴルーコフ家」の版間の差分

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*[[ヴァシーリー・ウラジーミロヴィチ・ドルゴルーコフ]](1667年‐1746年)…[[元帥]]
*[[ヴァシーリー・ウラジーミロヴィチ・ドルゴルーコフ]](1667年‐1746年)…[[元帥]]
*[[ヴァシーリー・ルキーチ・ドルゴルーコフ]](1672年‐1739年)…外交官・大臣
*[[ヴァシーリー・ルキーチ・ドルゴルーコフ]](1672年‐1739年)…外交官・大臣
*[[エカチェリーナ・アレクセーエヴナ・ドルゴルーコヴァ]](1712年‐1747年)…[[ピョートル2世]]の婚約者
*[[エカチェリーナ・アレクセーエヴナ・ドルゴルーコヴァ]](1712年‐1747年)…[[ピョートル2世 (ロシア皇帝)|ピョートル2世]]の婚約者
*[[エレナ・パヴロヴナ・ドルゴルーコヴァ]](1790年‐1860年)…博物学者。[[ブラヴァツキー夫人]]と[[セルゲイ・ウィッテ]]の祖母
*[[エレナ・パヴロヴナ・ドルゴルーコヴァ]](1790年‐1860年)…博物学者。[[ブラヴァツキー夫人]]と[[セルゲイ・ウィッテ]]の祖母
*[[ドミトリー・イヴァノヴィチ・ドルゴルーコフ]](1797年‐1867年)…外交官
*[[ドミトリー・イヴァノヴィチ・ドルゴルーコフ]](1797年‐1867年)…外交官

2021年6月13日 (日) 05:20時点における版

ドルゴルーコフ家またはドルゴルーキー家ロシア語表記:Долгоруковы,Долгору́кие / 英語表記:Dolgoroukov)は、、リューリク朝の流れをくむロシアクニャージ)の家系。本家筋のオボレンスキー家と同じく、1246年にモンゴル帝国によって殺害された、チェルニゴフ公家出身のキエフ大公ミハイル2世の子孫である。家名は一族の始祖の異名「ドルゴルーキー」(ロシア語で「長い腕」を意味する)に由来する。ただし、ユーリー・ドルゴルーキーの直系子孫ではない。

輩出した人物

ドルゴルーコフ家のポドモクロヴォの領地に建てられた教会(1714年‐1722年)

同家に属する人物は全て「prince」に相当する「公(Князь / knyaz)」ないし「公女(княжна / knyaginya)」の称号を以て称されるが、ここでは略する。

外部リンク