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「リトアニア県」の版間の差分

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1796年12月12日、法令により[[ヴィリナ県]]、スロニム県[[:ru:Слонимское наместничество|(ru)]]が合併しリトアニア県が形成された<ref name="ЭСБЕ/Лит">[[:ru:s:ЭСБЕ/Литовская губерния|Литовская губерния]] // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона</ref>。県庁はヴィリナ(現[[ヴィリニュス]])に置かれた{{refnest|group="注"|「県庁」は{{lang-ru|Губернское правление}}の訳<ref>井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P804</ref>。詳しくは[[:ru:Губернское правление]]を参照されたし。}}。
1796年12月12日、法令により[[ヴィリナ県]]、スロニム県[[:ru:Слонимское наместничество|(ru)]]が合併しリトアニア県が形成された<ref name="ЭСБЕ/Лит">[[:ru:s:ЭСБЕ/Литовская губерния|Литовская губерния]] // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона</ref>。県庁はヴィリナ(現[[ヴィリニュス]])に置かれた{{refnest|group="注"|「県庁」は{{lang-ru|Губернское правление}}の訳<ref>井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P804</ref>。詳しくは[[:ru:Губернское правление]]を参照されたし。}}。


1801年9月9日に再びヴィリナ県が分離し、1802年8月28日にスロニム県が再設置(その際に[[グロドノ県 (ロシア帝国)|グロドノ県]]に改称)される形でリトアニア県は廃止された<ref name="ЭСБЕ/Лит"></ref>。なお、両県を指してリトヴァ(リトアニア)という名称がしばしば用いられたが、1840年に[[ニコライ1世]]はリトヴァの名称の使用を禁止した<ref name="ЭСБЕ/Лит"></ref>。これは[[11月蜂起]]を受けて、民族的呼称を薄めようと画策したためであり、以降リトヴァとベロルシヤ(リトアニアとベラルーシ)と称される地域に対しては、[[北西地域 (ロシア帝国)|北西地域]]の呼称が用いられた<ref>服部倫卓「国名篇 ベラルーシ」//川端香男里・佐藤経明他監修 『[新版] ロシアを知る辞典』 平凡社、2004年。P951</ref>。
1801年9月9日に再びヴィリナ県が分離し、1802年8月28日にスロニム県が再設置(その際に[[グロドノ県 (ロシア帝国)|グロドノ県]]に改称)される形でリトアニア県は廃止された<ref name="ЭСБЕ/Лит"></ref>。なお、両県を指してリトヴァ(リトアニア)という名称がしばしば用いられたが、1840年に[[ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世]]はリトヴァの名称の使用を禁止した<ref name="ЭСБЕ/Лит"></ref>。これは[[11月蜂起]]を受けて、民族的呼称を薄めようと画策したためであり、以降リトヴァとベロルシヤ(リトアニアとベラルーシ)と称される地域に対しては、[[北西地域 (ロシア帝国)|北西地域]]の呼称が用いられた<ref>服部倫卓「国名篇 ベラルーシ」//川端香男里・佐藤経明他監修 『[新版] ロシアを知る辞典』 平凡社、2004年。P951</ref>。





2021年6月13日 (日) 08:37時点における最新版

リトアニア県リトヴァ県[注 1]ロシア語: Литовская губерния)は帝政ロシアの県(グベールニヤ)である。1796年に設置され、1802年に廃止された。

沿革[編集]

1796年12月12日、法令によりヴィリナ県、スロニム県(ru)が合併しリトアニア県が形成された[1]。県庁はヴィリナ(現ヴィリニュス)に置かれた[注 2]

1801年9月9日に再びヴィリナ県が分離し、1802年8月28日にスロニム県が再設置(その際にグロドノ県に改称)される形でリトアニア県は廃止された[1]。なお、両県を指してリトヴァ(リトアニア)という名称がしばしば用いられたが、1840年にニコライ1世はリトヴァの名称の使用を禁止した[1]。これは11月蜂起を受けて、民族的呼称を薄めようと画策したためであり、以降リトヴァとベロルシヤ(リトアニアとベラルーシ)と称される地域に対しては、北西地域の呼称が用いられた[3]


リトアニア県には以下の19郡(ウエズド)が属していた。

リトアニア県の下位区分
行政中心地 県廃止後
ブラスラフ郡(ru) ザラサイ(ru) ヴィリナ県
ヴィリコミル郡(ru) ヴィルクメルゲ
コヴノ郡(ru) カウナス
ロッセヌィ郡(ru) ラセイネイ(ru)
テリシ郡(ru) テルシェイ
Упитский郡(ru) パネヴェジース
シャヴリ郡(ru) シャウレイ
ヴィリナ郡(ru) ヴィリニュス
スヴェンツャヌィ郡(ru) シュヴェンチョニース
トロキ郡(ru) トラカイ
オシミャヌィ郡(ru) アシミャヌィ(ru)
リダ郡(ru) リダ グロドノ県
ブレスト郡(ru) ブレスト
ヴォルコヴィスク郡(ru) ヴァウカヴィスク
グロドノ郡(ru) フロドナ
コブリン郡(ru) コブルィン
プルジャヌィ郡(ru) プルジャヌィ
スロニム郡(ru) スロニム
ノヴォグルドク郡(ru) ナヴァフルダク
[註]
・行政中心地の背景色は、その自治体が現在所属する国を示す(緑:リトアニア、黄:ベラルーシ
・郡名はロシア語に基づく。また、緑:リトアニア語、黄:ベラルーシ語に基づく。
・ブラスラフ郡は1836年に改称しノヴォアレクサンドロフスク郡
・Упитский郡は1836年に改称しポネヴェジ郡
・ヴィルクメルゲ:現ウクメルゲ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ リトヴァはロシア語名。この固有名詞に対し、日本語ではリトアニアの語を当てる。
  2. ^ 「県庁」はロシア語: Губернское правлениеの訳[2]。詳しくはru:Губернское правлениеを参照されたし。

出典[編集]

  1. ^ a b c Литовская губерния // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона
  2. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P804
  3. ^ 服部倫卓「国名篇 ベラルーシ」//川端香男里・佐藤経明他監修 『[新版] ロシアを知る辞典』 平凡社、2004年。P951