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ポルディムは[[ブルガリア]]で初めて[[電話]]が接続された場所と考えられており、[[露土戦争 (1877年)|露土戦争]]の[[プレヴェン包囲]]のとき、[[ロシア帝国]]の[[ニコライ・ニコラエヴィチ (1831-1891)|ニコライ・ニコラエヴィチ]]大公と[[ルーマニア]]王子[[カロル1世 (ルーマニア王)|カロル1世]]をと連絡していた。
ポルディムは[[ブルガリア]]で初めて[[電話]]が接続された場所と考えられており、[[露土戦争 (1877年)|露土戦争]]の[[プレヴェン包囲]]のとき、[[ロシア帝国]]の[[ニコライ・ニコラエヴィチ (1831-1891)|ニコライ・ニコラエヴィチ]]大公と[[ルーマニア]]王子[[カロル1世 (ルーマニア王)|カロル1世]]をと連絡していた。


1877年から1878年の露土戦争では、プレヴェン包囲の中、対オスマン帝国で同盟を結んでいたロシア帝国の[[アレクサンドル2世]]とルーマニアの[[カロル1世 (ルーマニア王)|カロル1世]]の2国の指導者がこの地に滞在し、それぞれの軍を指揮した。現在、2人の滞在した家はそれぞれ博物館になっている。
1877年から1878年の露土戦争では、プレヴェン包囲の中、対オスマン帝国で同盟を結んでいたロシア帝国の[[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]とルーマニアの[[カロル1世 (ルーマニア王)|カロル1世]]の2国の指導者がこの地に滞在し、それぞれの軍を指揮した。現在、2人の滞在した家はそれぞれ博物館になっている。


== 町村 ==
== 町村 ==

2021年6月13日 (日) 08:58時点における版

座標: 北緯43度23分 東経24度51分 / 北緯43.383度 東経24.850度 / 43.383; 24.850

ポルディム
Пордим
ポルディムの位置(ブルガリア内)
ポルディム
ポルディム
ブルガリア内のポルディムの位置
 ブルガリア
州(オブラスト)プレヴェン州
基礎自治体ポルディム
自治体全域の人口6929[1]
(2009年06月15日現在)
町の人口2166[2]
(2009年06月15日現在)
ナンバープレートEH
標高155 m
標準時EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3

ポルディムブルガリア語:Пордим / Pordim)はブルガリア北部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、プレヴェン州に属する。

ポルディムはブルガリアで初めて電話が接続された場所と考えられており、露土戦争プレヴェン包囲のとき、ロシア帝国ニコライ・ニコラエヴィチ大公とルーマニア王子カロル1世をと連絡していた。

1877年から1878年の露土戦争では、プレヴェン包囲の中、対オスマン帝国で同盟を結んでいたロシア帝国のアレクサンドル2世とルーマニアのカロル1世の2国の指導者がこの地に滞在し、それぞれの軍を指揮した。現在、2人の滞在した家はそれぞれ博物館になっている。

町村

ポルディム基礎自治体(Община Пордим)にはその中心であるポルディムをはじめとする、以下の町村(集落)が存在している。

ポルディムにちなんだ命名

脚注

  1. ^Главна Дирекция - Гражданска Регистрация и Административно Обслужване (2009年6月15日). “Таблица на населението по постоянен и настоящ адрес” (ブルガリア語). 2009年7月30日閲覧。