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「ダニイル・ハルムス」の版間の差分

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== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[サンクトペテルブルク]]生まれ。父のイヴァン・ユヴァチョフは、[[ロシア帝国]]の反体制テロ組織[[人民の意志]]の一員として有名で、[[アレクサンドル3世]]に対する[[破壊活動]]に連座して収監された人物である。ハルムス自身は1927年に仲間の詩人ヴヴェジェンスキーや[[ニコライ・ザボロツキー|ザボロツキー]]らとともに、前衛文学結社オベリウ 《OBERIU》 を設立し、[[未来派]]の影響下で芸術活動を行った。1930年代にソ連当局による文化、文学の統制が強化され、活動自粛を余儀なくされた。そこで児童文学を書き始めたが、作風が危険視されて何度か逮捕される。1941年の逮捕が最後となり、数か月後に収容所内の病院で死亡したとされる。その実験的な作品は[[地下出版]]によって読み継がれた。
[[サンクトペテルブルク]]生まれ。父のイヴァン・ユヴァチョフは、[[ロシア帝国]]の反体制テロ組織[[人民の意志]]の一員として有名で、[[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]に対する[[破壊活動]]に連座して収監された人物である。ハルムス自身は1927年に仲間の詩人ヴヴェジェンスキーや[[ニコライ・ザボロツキー|ザボロツキー]]らとともに、前衛文学結社オベリウ 《OBERIU》 を設立し、[[未来派]]の影響下で芸術活動を行った。1930年代にソ連当局による文化、文学の統制が強化され、活動自粛を余儀なくされた。そこで児童文学を書き始めたが、作風が危険視されて何度か逮捕される。1941年の逮捕が最後となり、数か月後に収容所内の病院で死亡したとされる。その実験的な作品は[[地下出版]]によって読み継がれた。


== 著作 ==
== 著作 ==

2021年6月13日 (日) 09:35時点における版


ダニイル・ハルムスロシア語: Дании́л Хармс; ラテン文字転写例: Daniil Kharms, 1905年12月30日ユリウス暦 12月17日)1942年2月2日)は、ソ連初期の シュルレアリスト不条理詩人戯曲児童文学などの創作を行い、不条理文学の先駆者として注目されている。本名ダニイル・イヴァーノヴィチ・ユヴァチョフ(ロシア語: Дании́л Ива́нович Ювачёв; Daniil Ivanovich Yuvachov)。署名はラテン文字化した Daniel Charms を使用した。

略歴

サンクトペテルブルク生まれ。父のイヴァン・ユヴァチョフは、ロシア帝国の反体制テロ組織人民の意志の一員として有名で、アレクサンドル3世に対する破壊活動に連座して収監された人物である。ハルムス自身は1927年に仲間の詩人ヴヴェジェンスキーやザボロツキーらとともに、前衛文学結社オベリウ 《OBERIU》 を設立し、未来派の影響下で芸術活動を行った。1930年代にソ連当局による文化、文学の統制が強化され、活動自粛を余儀なくされた。そこで児童文学を書き始めたが、作風が危険視されて何度か逮捕される。1941年の逮捕が最後となり、数か月後に収容所内の病院で死亡したとされる。その実験的な作品は地下出版によって読み継がれた。

著作

日本語訳

  • 『ウィリーのそりのものがたり』 ウラジーミル・ラドゥンスキー絵 たかはしけいすけ訳 セーラー出版 1996
  • 『ハルムスの小さな船』 井桁貞義西岡千晶絵 長崎出版 2007
  • 『ハルムスの世界』 増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳 ヴィレッジブックス 2010
  • 『ズディグル アプルル ハルムス100話』 田中隆未知谷 2010
  • 『シャルダムサーカス』 田中隆訳 未知谷 2010
  • 『ヌイピルシテェート』 田中隆訳 未知谷 2011
  • 『言語機械 ハルムス選集』小澤裕之編訳 未知谷 2019

オムニバス収録

  • 『昨日のように遠い日 少女少年小説選』 柴田元幸文藝春秋 2009
    • 以下の5話を収録「トルボチュキン教授」「アマデイ・ファラドン」「うそつき」「おとぎ話」「ある男の子に尋ねました」

外部リンク