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「アリス (ヘッセン大公妃)」の版間の差分

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[[1860年]]6月に[[ヘッセン大公国]]のルートヴィヒ大公子と婚約、[[1862年]]7月1日に結婚した。ルートヴィヒは1877年に大公となった。[[1878年]]に[[ジフテリア]]が蔓延した際、アリスは子供たちの看病をしていたが、自身も感染し、父の命日にわずか35歳で死去した。
[[1860年]]6月に[[ヘッセン大公国]]のルートヴィヒ大公子と婚約、[[1862年]]7月1日に結婚した。ルートヴィヒは1877年に大公となった。[[1878年]]に[[ジフテリア]]が蔓延した際、アリスは子供たちの看病をしていたが、自身も感染し、父の命日にわずか35歳で死去した。
[[File:Princess Alice and Prince Louis in 1860.jpg|left|thumb|250px|アリスとルードヴィヒ(1860年12月8日)]]
[[File:Princess Alice and Prince Louis in 1860.jpg|left|thumb|250px|アリスとルードヴィヒ(1860年12月8日)]]
夫との間に7人の子供をもうけたが、母から遺伝した[[血友病]]遺伝子を持っており、次男はそれが原因で早世した。長女[[ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人)|ヴィクトリア・アルベルタ]](ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人、1863年 - 1950年)は[[スウェーデン]]国王[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]]妃[[ルイーズ・マウントバッテン|ルイーズ]]および[[ルイス・マウントバッテン]]の母であり、[[エリザベス2世]]の夫[[エディンバラ公]][[フィリップ (エディンバラ公)|フィリップ]]の祖母に当たる。長男[[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|エルンスト・ルートヴィヒ]](1868年 - 1937年)はヘッセン大公になり、次女エリーザベトは[[ロシア帝国|ロシア]]の皇族[[セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公|セルゲイ大公]]妃[[エリザヴェータ・フョードロヴナ]](1864年 - 1918年)に、四女アリックス(1872年 - 1918年)はロシア皇帝[[ニコライ2世]]の皇后[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ]]となった。
夫との間に7人の子供をもうけたが、母から遺伝した[[血友病]]遺伝子を持っており、次男はそれが原因で早世した。長女[[ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人)|ヴィクトリア・アルベルタ]](ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人、1863年 - 1950年)は[[スウェーデン]]国王[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]]妃[[ルイーズ・マウントバッテン|ルイーズ]]および[[ルイス・マウントバッテン]]の母であり、[[エリザベス2世]]の夫[[エディンバラ公]][[フィリップ (エディンバラ公)|フィリップ]]の祖母に当たる。長男[[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|エルンスト・ルートヴィヒ]](1868年 - 1937年)はヘッセン大公になり、次女エリーザベトは[[ロシア帝国|ロシア]]の皇族[[セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公|セルゲイ大公]]妃[[エリザヴェータ・フョードロヴナ]](1864年 - 1918年)に、四女アリックス(1872年 - 1918年)はロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の皇后[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ]]となった。


アリスが嫁ぐ際、ヴィクトリア女王からダイアモンドをちりばめた[[ティアラ]]が贈られた。このティアラはアリスの死後、長男エルンスト・ルートヴィヒの妃[[エレオノーレ・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ|エレオノーレ]]に受け継がれた。1937年に起こった[[オーステンデ]]での飛行機墜落事故の際、乗客だったエレオノーレらヘッセン大公家の家族は事故死したが、鉄製の専用ボックスに入れられていたティアラは、奇跡的に無傷で見つかった。現在このティアラは、ヘッセン財団に保管されている。
アリスが嫁ぐ際、ヴィクトリア女王からダイアモンドをちりばめた[[ティアラ]]が贈られた。このティアラはアリスの死後、長男エルンスト・ルートヴィヒの妃[[エレオノーレ・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ|エレオノーレ]]に受け継がれた。1937年に起こった[[オーステンデ]]での飛行機墜落事故の際、乗客だったエレオノーレらヘッセン大公家の家族は事故死したが、鉄製の専用ボックスに入れられていたティアラは、奇跡的に無傷で見つかった。現在このティアラは、ヘッセン財団に保管されている。
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* [[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|'''エルンスト・ルートヴィヒ'''・カール・アルブレヒト・ヴィルヘルム]](1868年 - 1937年) - ヘッセン大公
* [[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|'''エルンスト・ルートヴィヒ'''・カール・アルブレヒト・ヴィルヘルム]](1868年 - 1937年) - ヘッセン大公
* [[フリードリヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット (1870-1873)|'''フリードリヒ'''・ヴィルヘルム・アウグスト・ヴィクトル・レオポルト・ルートヴィヒ]](1870年 - 1873年)
* [[フリードリヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット (1870-1873)|'''フリードリヒ'''・ヴィルヘルム・アウグスト・ヴィクトル・レオポルト・ルートヴィヒ]](1870年 - 1873年)
* [[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|ヴィクトリエ・'''アリックス'''・ヘレーネ・ルイーゼ・ベアトリーツェ]](1872年 - 1918年) - 1894年、ロシア皇帝[[ニコライ2世]]と結婚
* [[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|ヴィクトリエ・'''アリックス'''・ヘレーネ・ルイーゼ・ベアトリーツェ]](1872年 - 1918年) - 1894年、ロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]と結婚
* [[マリー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット (1874-1878)|'''マリー'''・ヴィクトリア・フェオドレ・レオポルディーネ]](1874年 - 1878年)
* [[マリー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット (1874-1878)|'''マリー'''・ヴィクトリア・フェオドレ・レオポルディーネ]](1874年 - 1878年)



2021年6月13日 (日) 09:49時点における版

アリース
Alice
ヘッセン大公妃
1871年
在位 1877年6月13日 - 1878年12月14日

全名 Alice Maud Mary
アリス・モード・メアリー
出生 1843年4月25日
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドンバッキンガム宮殿
死去 (1878-12-14) 1878年12月14日(35歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
ヘッセン大公国ダルムシュタット
埋葬 1878年12月18日
ドイツの旗 ドイツ帝国
ヘッセン大公国、ダルムシュタット、ローゼンヘーエ霊廟
結婚 1862年7月1日
配偶者 ルートヴィヒ4世
子女
家名 サクス=コバーグ=ゴータ家
父親 アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ
母親 ヴィクトリア女王
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1876年、家族と。ルートヴィヒ4世が抱いているのが、のちにジフテリアで早世する末子マリー・ヴィクトリア。次男フリードリヒは1873年に早世している

アリス・モード・メアリー(Alice Maud Mary, 1843年4月25日 - 1878年12月14日)は、イギリスヴィクトリア女王アルバート公の次女。ヘッセン大公ルートヴィヒ4世妃。名前の Alice はドイツ語ではアリースとなる。

生涯

フローレンス・ナイチンゲールの弟子の一人で、ヘッセンの福祉、医療改革などに貢献した。宗教にも造詣が深かった。1850年11月にウィンザー城で家族と共に出会った、同い年のアフリカ人の少女サラ・フォーブス・ボネッタとは度々文通をする仲となり、生涯を通じての親友となった。

1860年6月にヘッセン大公国のルートヴィヒ大公子と婚約、1862年7月1日に結婚した。ルートヴィヒは1877年に大公となった。1878年ジフテリアが蔓延した際、アリスは子供たちの看病をしていたが、自身も感染し、父の命日にわずか35歳で死去した。

アリスとルードヴィヒ(1860年12月8日)

夫との間に7人の子供をもうけたが、母から遺伝した血友病遺伝子を持っており、次男はそれが原因で早世した。長女ヴィクトリア・アルベルタ(ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人、1863年 - 1950年)はスウェーデン国王グスタフ6世アドルフルイーズおよびルイス・マウントバッテンの母であり、エリザベス2世の夫エディンバラ公フィリップの祖母に当たる。長男エルンスト・ルートヴィヒ(1868年 - 1937年)はヘッセン大公になり、次女エリーザベトはロシアの皇族セルゲイ大公エリザヴェータ・フョードロヴナ(1864年 - 1918年)に、四女アリックス(1872年 - 1918年)はロシア皇帝ニコライ2世の皇后アレクサンドラとなった。

アリスが嫁ぐ際、ヴィクトリア女王からダイアモンドをちりばめたティアラが贈られた。このティアラはアリスの死後、長男エルンスト・ルートヴィヒの妃エレオノーレに受け継がれた。1937年に起こったオーステンデでの飛行機墜落事故の際、乗客だったエレオノーレらヘッセン大公家の家族は事故死したが、鉄製の専用ボックスに入れられていたティアラは、奇跡的に無傷で見つかった。現在このティアラは、ヘッセン財団に保管されている。

子女

関連項目