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"[[ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)|フィリップ・エガリテ]]"妃[[ルイーズ・マリー・ド・ブルボン=パンティエーヴル|ルイーズ・マリー・ド・パンティエーヴル]] (マドモワゼル・ド・パンティエーヴル)、[[ジュリエット・レカミエ|レカミエ夫人]]、ナポレオン后妃[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ|ジョゼフィーヌ]]らも愛用し<!--当ページフランス語版など参照-->、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]は戦役中も手放さず、[[百日天下]]の時も初めに取り掛かったのは戦争の準備と、合間を縫ってウビガンの店に買い物に行くことだった<ref name="houb" />。
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時代を下り、[[七月王政]]期の[[ルイーズ・マリー・アデライード・ドルレアン]]、[[ナポレオン3世]]后妃[[ウジェニー・ド・モンティジョ|ウジェニー]]、英女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]、英王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]・王妃[[アレクサンドラ・オブ・デンマーク|アレクサンドラ]]、ロシア皇帝[[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]・后妃[[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリア]] (上記英王妃アレクサンドラの妹)、最期のロシア皇帝[[ニコライ2世]]后妃[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ]]、[[ダイアナ妃]]ら・・・多数の王侯貴族らも愛用した<ref name="houb" /><ref>[http://m.elle.co.jp/beauty/pick/inter_favorite-perfume_16_1212/3 伝説の裏に名香あり! 往年セレブが愛したフレグランス14] [[ELLE (雑誌)|ELLE]]オンライン 2016 12/12</ref>。
時代を下り、[[七月王政]]期の[[ルイーズ・マリー・アデライード・ドルレアン]]、[[ナポレオン3世]]后妃[[ウジェニー・ド・モンティジョ|ウジェニー]]、英女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]、英王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]・王妃[[アレクサンドラ・オブ・デンマーク|アレクサンドラ]]、ロシア皇帝[[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]・后妃[[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリア]] (上記英王妃アレクサンドラの妹)、最期のロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]后妃[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ]]、[[ダイアナ妃]]ら・・・多数の王侯貴族らも愛用した<ref name="houb" /><ref>[http://m.elle.co.jp/beauty/pick/inter_favorite-perfume_16_1212/3 伝説の裏に名香あり! 往年セレブが愛したフレグランス14] [[ELLE (雑誌)|ELLE]]オンライン 2016 12/12</ref>。


日本では、フランス留学経験のある[[西園寺公望]]が、晩年まで愛用した。
日本では、フランス留学経験のある[[西園寺公望]]が、晩年まで愛用した。

2021年6月13日 (日) 09:57時点における最新版

ウビガン: Houbigant)は、フランス香水メーカーの一つ。香水商のジャン・フランソワ・ウビガン(Jean-François Houbigant)が、1775年パリのフォーブール=サントノレ通り19番地(現在のパリ8区)に「花々の籠」というロマンチックな看板を掲げてオープンした。

ポンパドゥール夫人デュ・バリー夫人マリー・アントワネットらが愛用した[1]。1793年、マリー・アントワネットはギロチンにかけられるその時まで、ウビガンの3本の小瓶を胴衣に忍ばせていた[2]

"フィリップ・エガリテ"妃ルイーズ・マリー・ド・パンティエーヴル (マドモワゼル・ド・パンティエーヴル)、レカミエ夫人、ナポレオン后妃ジョゼフィーヌらも愛用し、ナポレオンは戦役中も手放さず、百日天下の時も初めに取り掛かったのは戦争の準備と、合間を縫ってウビガンの店に買い物に行くことだった[2]

時代を下り、七月王政期のルイーズ・マリー・アデライード・ドルレアンナポレオン3世后妃ウジェニー、英女王ヴィクトリア、英王エドワード7世・王妃アレクサンドラ、ロシア皇帝アレクサンドル3世・后妃マリア (上記英王妃アレクサンドラの妹)、最期のロシア皇帝ニコライ2世后妃アレクサンドラダイアナ妃ら・・・多数の王侯貴族らも愛用した[2][3]

日本では、フランス留学経験のある西園寺公望が、晩年まで愛用した。

メンズ物に多い、木の葉を思わせる軽く爽やかな香りのフゼア系(フゼアノート)香水の原点となる「フジェール・ロワイヤル(Fougère Royale)」は、ウビガン社が1882年に人工合成香料のクマリンを調合して発売した。

1880年、会社機能と事業所をヌイイ=シュル=セーヌに移転した[4]

1989年から90年代初頭にかけて、ジバンシーケンゾーから販売された。現在はダナ・パフューム社がライセンスを持っている。

脚注[編集]

  1. ^ The Chemistry of Fragrances D.H. Pybus, C.S. Sell 1999
  2. ^ a b c ウビガン公式HP (英語)
  3. ^ 伝説の裏に名香あり! 往年セレブが愛したフレグランス14 ELLEオンライン 2016 12/12
  4. ^ The Perfume Handbook N. Groom 1992 6/1