「首座使徒ペトル・パウェル大聖堂 (サンクトペテルブルク)」の版間の差分
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この大聖堂は[[首座使徒]]たる聖[[使徒]][[ペトロ|ペトル]](ペトロの[[教会スラヴ語]]読み)と聖使徒[[パウロ|パウェル]](パウロの教会スラヴ語読み)を記憶するもので、ピョートル大帝の命令により1712年から1733年にかけて建設された。[[尖塔]]の高さは123メートルあり、[[正教会]]の聖堂としては世界屈指の高さを誇る。最高部には[[十字架]]につかまった[[天使]]の像が取り付けられている。この天使はサンクトペテルブルクを象徴する最も重要なものの一つである。大聖堂内部にはピョートル大帝以来の皇帝と皇后の殆どが埋葬されている。 |
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[[1998年]]7月、[[ロシア帝国]]最後の皇帝で、処刑された[[ニコライ2世]]と家族の[[遺体]]が大聖堂に埋葬された。 |
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[[2006年]]9月、ニコライ2世の母、[[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリア・フョードロヴナ]]の遺体が[[デンマーク]]から返還され、大聖堂に埋葬された。 |
[[2006年]]9月、ニコライ2世の母、[[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリア・フョードロヴナ]]の遺体が[[デンマーク]]から返還され、大聖堂に埋葬された。 |
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Image:Petropavlovsk Graves.JPG|大聖堂内の棺。[[八端十字架]]が蓋にある。 |
Image:Petropavlovsk Graves.JPG|大聖堂内の棺。[[八端十字架]]が蓋にある。 |
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Image:Grabraum Nikolaus II.JPG|[[ニコライ2世]]の墓のある、大聖堂内の小聖堂 |
Image:Grabraum Nikolaus II.JPG|[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の墓のある、大聖堂内の小聖堂 |
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Image:Peter and Paul Cathedral Interior2, St. Petersburg, Russia.jpg|修復中の内部 |
Image:Peter and Paul Cathedral Interior2, St. Petersburg, Russia.jpg|修復中の内部 |
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2021年6月13日 (日) 10:03時点における版
首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(しゅざしとペトル・パウェルだいせいどう、ロシア語: собор во имя первоверховных апостолов Петра и Павла、英語: Peter and Paul Cathedral)はロシア・サンクトペテルブルクのペトロパヴロフスク要塞にあるロシア正教会の聖堂である。通称・略称としてのロシア語名"Петропавловский собор"の前半部分をそのまま転写してペトロパヴロフスキー大聖堂とも呼ばれる。
歴史
この大聖堂は首座使徒たる聖使徒ペトル(ペトロの教会スラヴ語読み)と聖使徒パウェル(パウロの教会スラヴ語読み)を記憶するもので、ピョートル大帝の命令により1712年から1733年にかけて建設された。尖塔の高さは123メートルあり、正教会の聖堂としては世界屈指の高さを誇る。最高部には十字架につかまった天使の像が取り付けられている。この天使はサンクトペテルブルクを象徴する最も重要なものの一つである。大聖堂内部にはピョートル大帝以来の皇帝と皇后の殆どが埋葬されている。
1998年7月、ロシア帝国最後の皇帝で、処刑されたニコライ2世と家族の遺体が大聖堂に埋葬された。
2006年9月、ニコライ2世の母、マリア・フョードロヴナの遺体がデンマークから返還され、大聖堂に埋葬された。
ペトロパヴロフスク要塞は元々ピョートル大帝の命令で、スイス人建築家ドメニコ・トレジーニの設計により、1703年から1733年にかけてネヴァ川沿いのザーヤチ島に建造された。ピョートル大帝がこの要塞を建造した主な理由は、大北方戦争でスウェーデン海軍の攻撃があった場合の防衛施設とすることにあった。現在はサンクトペテルブルク最古の名所旧跡となっている。