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2021年6月20日 (日) 01:13時点における版

泉崎横穴

泉崎横穴(いずみざきよこあな)は、福島県西白河郡泉崎村にある横穴式装飾古墳である。昭和8年(1933年)の県道拡張工事の際に発見された。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定されている。

概要

1933年(昭和8年)12月、県道工事中に発見され、翌年5月に、装飾のある古墳で珍しい例として国の史跡に指定された。 本横穴は泉崎横穴郡と七軒横穴郡中の一基である。本横穴発見以後、双葉町清戸迫横穴、南相馬市原町区(旧原町市)羽山装飾横穴からも狩猟を主題とする絵画が発見されている。[1]

石室の壁画

玄室玄門羨道が残されている。 石室の奥壁には、右から順に2頭の動物(鹿)像、それを追いかける矢を射る騎馬人像、中央に大の字形に手足を広げて手を繋いでいる4人の人物像、左には器物を持った3人の人物像が横一列に朱色で描かれている。 左壁には渦巻文や騎馬人像、や小動物、右壁にはと馬、珠文、天井には渦巻文が数個、すべて朱色で描かれている。 石室からは、直刀刀子銅環などの副葬品が出土している。

なお、古墳7世紀前半に造営されたとされている。

周辺の遺跡

泉崎横穴の約2キロメートル南にある関和久官衙遺跡は古代白河郡郡衙(郡役所)跡で、7世紀末から8世紀初頭に成立した。また、阿武隈川を挟んだ対岸にはその附属寺院跡(借宿廃寺)があり、その近くには6世紀後半の築造とされる下総塚古墳前方後円墳)、6世紀後半の豪族居館跡である舟田中道遺跡、7世紀のものとされる谷地久保古墳がある。

これらの遺跡より、6世紀後半から8世紀初めまでの白河地方の中心地はこの一帯(福島県西白河郡泉崎村南部・白河市北部地域)と推定され、泉崎横穴を含めたこれらの遺跡群は白河国造から古代白河郡への変遷を解明する上で重要である。

なお、関和久官衙遺跡と舟田中道遺跡・谷地久保古墳・下総塚古墳(白河舟田・本沼遺跡群)は国の史跡に指定されている。

現地情報

所在地 福島県西白河郡泉崎村泉崎字白石山

壁画は通常は非公開(日を限って特別公開される場合もあり)。泉崎駅前の泉崎資料館に壁画の実物大パネルがある。

脚注

  1. ^ 辻秀人「泉崎横穴」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版 1991年 38ページ

関連項目

外部リンク

座標: 北緯37度9分9.7秒 東経140度19分2.0秒 / 北緯37.152694度 東経140.317222度 / 37.152694; 140.317222