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2021年6月20日 (日) 01:31時点における版
虎塚古墳 | |
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虎塚古墳 | |
所属 | 虎塚古墳群 |
所在地 | 茨城県ひたちなか市中根字指渋 |
位置 | 北緯36度22分24.7秒 東経140度34分10.7秒 / 北緯36.373528度 東経140.569639度座標: 北緯36度22分24.7秒 東経140度34分10.7秒 / 北緯36.373528度 東経140.569639度 |
形状 | 前方後円墳、装飾古墳 |
規模 | 全長56.5m、高さ5.5m |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 漆塗小大刀、毛抜形鉄製品、鑓鉋、鉄鏃など |
築造時期 | 7世紀前半 |
史跡 | 1974年(昭和49年)国指定 |
地図 |
虎塚古墳(とらづかこふん)は、茨城県ひたちなか市にある前方後円墳である。造られた時期は、7世紀前半頃と推定される。
概要
虎塚古墳群、笠谷古墳群が形成されている標高20メートルほどの台地上の山林に虎塚古墳が位置している。この周辺には県指定史跡の十五郎横穴群も所在する。
1973年(昭和48年)9月12日に明治大学教授の大塚初重による発掘調査が実施され、横穴式石室内部に装飾壁画が発見された。1974年(昭和49年)1月23日には、国の史跡に指定された。
石室内部からは、成人男子の遺骸が1体と漆塗小大刀(うるしぬりこたち)[1]、毛抜形鉄製品[2]、槍鉋(やりがんな)、鉄鏃、鉄板[3]などの副葬品が出土している[4]。
また、この古墳の主体部は後円部南側ある両袖形の横穴式石室で、第一次調査の段階で未開口であることが確認された。玄室の長さは2.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.4メートル、奥壁に一枚、東壁に一枚、西壁に2枚、天井に3枚の凝灰岩の切石で構築し、床石は7枚の板石を敷いている。羨道は長さ1.3メートル、幅1.2メートルで天井石が一枚載り、幅約1メートルの墓道が羨道部から墳丘外側に向かって造られている。床面には凝灰岩片が敷き詰められている。
石室内の発掘調査に先立って科学調査(温度や湿度[5]、微生物など)を日本で初めて実施した[7]学史的意義のある古墳でもあり、観覧室はこの調査に基づいて設計されている。
築造年代は7世紀前半と推定されているが、埋葬施設や副葬品を参考にした年代の割り出しも必要と言われている。
規模
- 全長56.5メートル
- 後円部直径32.5メートル、後円部高さ7.5メートル
- 前方部幅38.5メートル、前方部高さ7.2メートル
- 前方部と後円部の高さはほぼ同じ。
- 周濠をもつ。
壁画
装飾には赤色のベンガラ(第二酸化鉄)が使用されている。玄門には、凝灰岩に連続三角文が描かれている。また、玄室には、前面に白色粘土を下塗した上に、壁上部には連続三角文が描かれ、その下には三角文・円文・環状文・渦文などの幾何学文様と大刀や靭(ゆき)・鞆(とも)などの武器・武具、装飾品などの文様が描かれている。この装飾壁画は、保存状態も良く、東日本を代表するものである。
一般公開
虎塚古墳は壁画の状態を保つため、内部の一般公開は春と秋の年2回に限られている。予約は必要ないが、見学料が必要である。
脚注
- ^ 遺存状態が良好、全長約38センチメートル、柄頭は木質の造り出し、その先端に銀製の環が付けられている。柄は撚り糸を巻き、柄巻き止めに責金具を使用、鍔はない。鞘に銀製の釣り金具が取り付けられている。鞘尻には銀製の責金具の上に鉄製の鞘尻金具をかぶせたもの。
- ^ 全長9.5センチメートル、頭に環が付いている。
- ^ 全長6.2センチメートルで三角形の透かしが壱カ所付く、用途不明。
- ^ “虎塚古墳出土品一括”. ひたちなか市. 2015年9月5日閲覧。
- ^ 外気温32度、石室内部は15度、湿度90%以上というデータが得られた。
- ^ ひたちなか市教育委員会 (2012年11月14日). “古墳壁画の保存活用に関する検討会 装飾古墳ワーキンググループ(第2回)資料2「虎塚古墳の保存管理の体制について」”. 文化庁. 2015年9月5日閲覧。
- ^ 1973年(昭和48年)8月30日。科学調査は前年の1972年(昭和47年)に行われた高松塚古墳発掘調査において彩色壁画が発見されたことによるもので、壁画が存在した場合に保存の必要がある為であった[6]。
関連項目
外部リンク
- ひたちなか市の史跡及び観光名勝の情報 虎塚古墳
- 虎塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)