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1666年10月に父が亡くなり、[[11月1日]]に即位してサフィー2世と名乗ったが、疫病・飢餓・地震と災害続きで北の[[コサック]]侵入、東の[[ウズベク人|ウズベク]]再襲撃にも見舞われ、サフィー2世自身も病気に倒れた。こうした事態は即位式の日取りに問題があったとされ、[[1668年]][[3月20日]]に改めて即位式が挙行されスライマーンと改名した。しかしスライマーンは[[後宮]]育ちの怠惰で無能な人物であり、政治を大臣に丸投げして酒と女に溺れて自堕落な日々を過ごした。 |
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だが、宮廷に引き籠ると後宮の女性や宦官に信頼を寄せていったため、宦官達がシャーの信頼を楯に政治に介入、大臣達の命令を覆して私欲に走る事態となり、浪費ばかりする宮廷の費用は増大し領民は重税に苦しみ、軍も弱体化して[[カスピ海]]を荒らし回るコサックの[[スチェパン・ラージン|ステンカ・ラージン]]や[[ホラーサーン]]に侵攻するウズベクに成す術が無くサファヴィー朝は衰退に向かっていった。1694年にスライマーンは酒が引き起こした脳卒中で死去、子の[[スルターン・フサイン (サファヴィー朝)|スルターン・フサイン]]が即位したが、サファヴィー朝はフサインの代で更に退廃、滅亡への道を歩んでいった。 |
だが、宮廷に引き籠ると後宮の女性や宦官に信頼を寄せていったため、宦官達がシャーの信頼を楯に政治に介入、大臣達の命令を覆して私欲に走る事態となり、浪費ばかりする宮廷の費用は増大し領民は重税に苦しみ、軍も弱体化して[[カスピ海]]を荒らし回るコサックの[[スチェパン・ラージン|ステンカ・ラージン]]や[[ホラーサーン]]に侵攻するウズベクに成す術が無くサファヴィー朝は衰退に向かっていった。1694年にスライマーンは酒が引き起こした脳卒中で死去、子の[[スルターン・フサイン (サファヴィー朝)|スルターン・フサイン]]が即位したが、サファヴィー朝はフサインの代で更に退廃、滅亡への道を歩んでいった。 |
2021年6月29日 (火) 11:18時点における版
サフィー2世 / スライマーン1世 شاه صفی / شاه سلیمان | |
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サファヴィー朝第8代シャー | |
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在位 | 1666年 - 1694年 |
出生 |
1647年 |
死去 |
1694年7月29日 |
子女 |
アッバース スルターン・フサイン シャバヌ・ベーグム(スライマーン2世の母) |
父親 | アッバース2世 |
母親 | ナキハト・ハーヌム |
サフィー2世またはスライマーン1世(Safi II/Suleiman I, 1647年 - 1694年7月29日)は、サファヴィー朝の第8代シャー(在位:1666年 - 1694年)。アッバース2世とナキハト・ハーヌムの子。初めサフィー2世と名乗ったが、後に縁起担ぎのためスライマーンに改名した。
生涯
1666年10月に父が亡くなり、11月1日に即位してサフィー2世と名乗ったが、疫病・飢餓・地震と災害続きで北のコサック侵入、東のウズベク再襲撃にも見舞われ、サフィー2世自身も病気に倒れた。こうした事態は即位式の日取りに問題があったとされ、1668年3月20日に改めて即位式が挙行されスライマーンと改名した。しかしスライマーンは後宮育ちの怠惰で無能な人物であり、政治を大臣に丸投げして酒と女に溺れて自堕落な日々を過ごした。
だが、宮廷に引き籠ると後宮の女性や宦官に信頼を寄せていったため、宦官達がシャーの信頼を楯に政治に介入、大臣達の命令を覆して私欲に走る事態となり、浪費ばかりする宮廷の費用は増大し領民は重税に苦しみ、軍も弱体化してカスピ海を荒らし回るコサックのステンカ・ラージンやホラーサーンに侵攻するウズベクに成す術が無くサファヴィー朝は衰退に向かっていった。1694年にスライマーンは酒が引き起こした脳卒中で死去、子のスルターン・フサインが即位したが、サファヴィー朝はフサインの代で更に退廃、滅亡への道を歩んでいった。
参考文献
- フランシス・ロビンソン著、小名康之監修 『ムガル皇帝歴代誌』 P304 - P305、創元社、2009年。
- デイヴィッド・ブロー著、角敦子訳 『アッバース大王 現代イランの基礎を築いた苛烈なるシャー』 P362 - P365、中央公論新社、2012年。