「ステファヌス2世 (ローマ教皇)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
39行目: | 39行目: | ||
757年、先に教皇に選出されていた[[ステファヌス (教皇選出者)|ステファヌス]]の急死の後、教皇に選出された。 |
757年、先に教皇に選出されていた[[ステファヌス (教皇選出者)|ステファヌス]]の急死の後、教皇に選出された。 |
||
[[ランゴバルド族]]により[[ラヴェンナ]]が奪われ、[[ローマ]]が侵略されると、ステファヌス3世は[[フランク王国]]国王[[ピピン3世]]に救援を求めた。ピピンは2度の戦いによりランゴバルド族を破り、奪還したラヴェンナをステファヌス3世に献上した。これがいわゆる「[[ピピンの寄進]]」であり、後の[[教皇領]]のもとになった。 |
[[ランゴバルド族]]により[[ラヴェンナ]]が奪われ、[[ローマ]]が侵略されると、ステファヌス3世は[[フランク王国]]国王[[ピピン3世 (フランク王)|ピピン3世]]に救援を求めた。ピピンは2度の戦いによりランゴバルド族を破り、奪還したラヴェンナをステファヌス3世に献上した。これがいわゆる「[[ピピンの寄進]]」であり、後の[[教皇領]]のもとになった。 |
||
{{ローマ教皇|第92代:752年 - 757年}} |
{{ローマ教皇|第92代:752年 - 757年}} |
2021年7月24日 (土) 22:22時点における版
ステファヌス2世と呼ばれることがあるローマ教皇は2人存在する。「ステファヌス」の名を持つ教皇の代数に関する歴史的経緯はステファヌス (教皇選出者)#「教皇ステファヌス」とその代数を参照。
- ステファヌス2世 (教皇選出:752年)→即位する前に死去したため、現在は正式な教皇に数えられていない。ステファヌス (教皇選出者) を参照。
- ステファヌス2世 (在位:752年-757年)→ステファヌス2世 (3世)とも書かれる。
本項では、現在教皇庁および『教皇庁年鑑』が正式に認めている、757年に没した人物について扱う。
![]() |
ステファヌス2世 | |
---|---|
第92代ローマ教皇 | |
![]() | |
教皇就任 | 752年3月26日 |
教皇離任 | 757年4月26日 |
先代 | ザカリアス |
次代 | パウルス1世 |
個人情報 | |
出生 |
715年![]() |
死去 |
757年4月26日![]() |
原国籍 | イタリア |
ステファヌス2世(Stephanus II、715年 - 757年4月26日)は、第92代ローマ教皇(在位752年 - 757年)。
概要
757年、先に教皇に選出されていたステファヌスの急死の後、教皇に選出された。
ランゴバルド族によりラヴェンナが奪われ、ローマが侵略されると、ステファヌス3世はフランク王国国王ピピン3世に救援を求めた。ピピンは2度の戦いによりランゴバルド族を破り、奪還したラヴェンナをステファヌス3世に献上した。これがいわゆる「ピピンの寄進」であり、後の教皇領のもとになった。