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'''岩城 潤子'''(いわき じゅんこ、[[1966年]][[2月28日]] - )は、[[毎日放送]]の社員で元[[アナウンサー]]。'''岩城'''は旧姓で、同局への入社後に結婚したため、現在の本名は小林 潤子(こばやし じゅんこ)である<ref name="kobayashi">[https://www.nikkansports.com/amusement/anime_game/column/gamecenter-cx/news/1662962.html 「ライバル現る…」](『[[日刊スポーツ]]』[[2016年]][[6月14日]]付コラム「GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場」)を参照。執筆者の[[菅剛史]]は、かつて「おふいすまどか」(大阪に本拠を置く番組制作会社)のディレクターとして、毎日放送制作のテレビ番組に携わっていた。</ref>。 |
'''岩城 潤子'''(いわき じゅんこ、[[1966年]][[2月28日]] - )は、[[毎日放送]]の社員で元[[アナウンサー]]。'''岩城'''は旧姓で、同局への入社後に結婚したため、現在の本名は小林 潤子(こばやし じゅんこ)である<ref name="kobayashi">[https://www.nikkansports.com/amusement/anime_game/column/gamecenter-cx/news/1662962.html 「ライバル現る…」](『[[日刊スポーツ]]』[[2016年]][[6月14日]]付コラム「GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場」)を参照。執筆者の[[菅剛史]]は、かつて「おふいすまどか」(大阪に本拠を置く番組制作会社)のディレクターとして、毎日放送制作のテレビ番組に携わっていた。</ref>。 |
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2021年8月1日 (日) 04:33時点における版
岩城 潤子(いわき じゅんこ、1966年2月28日 - )は、毎日放送の社員で元アナウンサー。岩城は旧姓で、同局への入社後に結婚したため、現在の本名は小林 潤子(こばやし じゅんこ)である[1]。
来歴・人物
京都府京都市の出身で、上智大学外国語学部卒業後の1988年に、毎日放送へアナウンサーとして入社。同期入社のアナウンサーは加藤康裕で、アナウンサー以外の同期生にテレビ番組プロデューサーの本郷義浩・中野伸二がいる。ちなみに、入社が内定していた1987年には、同期の加藤と共に『クイズダービー』(毎日放送が加盟するJNNの基幹局・TBS制作の全国ネット番組)に出場者として登場していた[2]。
毎日放送への入社2年目の1989年10月から、『MBSナウ』(当時平日の夕方にテレビで放送されていた関西ローカルのワイドニュース)のキャスターに抜擢。1983年から毎年12月の第1日曜日に大阪城ホールで開催されている「サントリー1万人の第九」では、1992年から1999年まで司会を担当した。通算8回の司会は、2019年の第37回公演終了時点で、毎日放送の現役アナウンサー(担当時点)としては(男性を含めて)歴代最多である。その一方で、『板東英二のわがままミッドナイト』(土曜日の深夜に生放送のテレビ番組)では板東英二、『すみからすみまで角淳一です』(平日午後の生ワイド番組)では当時の上司・角淳一のアシスタントを務めた。
2000年10月の人事異動で、アナウンサー室から報道部へ配属。以降も、制作部、人事局人事部、総務局総務部などへ異動している。
夫は同僚(毎日放送社員)の小林亮(京都大学出身)で、岩城のアナウンサー時代に結婚[1]。2020年6月17日までラジオ局長と関連会社・MBS企画(えむき)の取締役を兼務した後に、翌18日から、岩城の古巣であるアナウンサー室の室長へ着任した[3]。
過去の出演番組
テレビ
- MBSナウ
- あどりぶランド
- 板東英二のわがままミッドナイト
- 毎日放送開局40周年記念特別番組(1990年9月)
- ちちんぷいぷい ほか