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2021年8月1日 (日) 05:08時点における版
堀内 昭義(ほりうち あきよし、1943年9月16日[1] - )は、日本の経済学者。東京大学経済学部名誉教授。専門は金融論。
来歴
神奈川県横浜市出身。1967年に東京大学経済学部を卒業。1973年に東京大学大学院経済学研究科博士課程を修了。1973年に横浜国立大学経済学部助教授、1978年に一橋大学経済研究所助教授、1984年に東京大学経済学部助教授と歴任し、1986年には東京大学経済学部教授に就任する。東大退官後は、2003年より中央大学総合政策学部教授。日本銀行金融研究所国内顧問。
1973年 - 1974年にかけてのインフレーションを受けて、小宮隆太郎と共に日銀批判の論陣を張った。この時には、マネタリーベースの操作性を否定し、マネーサプライ管理の失敗の責から逃れようとする日本銀行に対して、中央銀行にはマネタリーベースの操作が可能なはずだと主張した。また、日本銀行の窓口規制に対して異を唱えた。堀内は、窓口規制によって都市銀行の貸出量を絞ってみたところで、余剰資金が地方銀行や他の金融機関に流れてしまうので、結局のところ、マクロで見た総貸出量を変化させることは難しいと主張した(結局、同規制は1991年に廃止された)。
その後、1990年代末の深刻な不況に際しては、不良債権問題について分析した。日本銀行の非伝統的金融政策については、小宮と同様、一貫してその効果を疑問視している。2003年6月4日より、日本銀行の参与に選ばれている。
著書
単著
- 『日本の金融政策』(東洋経済新報社 1980年)
- 『金融論』(東京大学出版会 1990年)
- 『金融の情報通信革命』(東洋経済新報社 1996年)
- 『高齢社会の生命保険事業』(東洋経済新報社 1997年)
- 『金融システムの未来』(岩波書店 1998年)
- 『日本経済と金融危機』(岩波書店 1999年)
共著
- 『インセンティブの経済学』(有斐閣 2003年)
編著
脚注
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.342
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