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2021年8月1日 (日) 07:26時点における版

林 稔幸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1979-12-21) 1979年12月21日(44歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は、茨城県出身の社会人野球の元選手(外野手)。右投右打。

人物・来歴

土浦日大高から東都立正大学に進学したが、甲子園や大学選手権への出場経験はない。大学時代は、当時チームは東都大学リーグにおいて二部に低迷していた頃ではあったが、4年春に二部でシーズン9本塁打を記録し注目された[1]

大学を卒業した2002年社会人野球富士重工業に入部。持ち味である長打力を買われ、1年目から主軸を任された。翌2003年第74回都市対抗野球大会では予選から打棒が爆発し、本大会でもチームを8強まで導いた。また2005年第76回都市対抗野球大会では住友金属鹿島の補強選手として、これまたチームを8強に導く活躍を見せた。

2006年第77回都市対抗野球大会では内野のエラーをきっかけにチームは1回戦敗退を喫してしまうが、秋の第33回社会人野球日本選手権大会では打率.474と高打率を残し、チームを15年ぶり2度目の優勝に導いた。同大会では大会優秀選手(外野手)に選ばれたほか、打撃賞を受賞した。また、この活躍が認められ、同年の社会人ベストナイン外野手部門を初受賞した。

2019年7月6日、社会人野球での実績が評価され、日本野球連盟が制定した「社会人野球 平成ベストナイン」に選出された[2]。8月、18年間に渡り主軸を務めてきたチームを退部し現役を引退した[3]

日本代表キャリア

主な表彰・タイトル

脚注

  1. ^ 西尾典文 (2020年6月6日). “プロで活躍が見たかった…アマチュア野球ウォッチャー西尾典文が選ぶ「社会人野球でキャリアを終えた名選手」”. THE DIGEST. 2021年3月6日閲覧。
  2. ^ 「社会人野球 平成のベストナイン」制定…杉浦、西郷らレジェンド10人 現役プロでは長野が選出”. スポーツ報知 (2019年7月6日). 2021年3月18日閲覧。
  3. ^ 林選手 引退について”. subaru.co.jp (2019年8月28日). 2021年3月6日閲覧。