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2021年8月1日 (日) 08:51時点における版
佐藤 祐樹(さとう ゆうき、1968年2月1日 - )は、千葉県競馬組合に所属していた元騎手。東京都出身。勝負服の柄は胴黄、黒山形一本輪、そで黒を使用していた。
来歴
1986年騎手免許を取得、初出走は同年10月29日船橋競馬第4競走(キクノダンサー、4着)、初勝利は翌年1月20日船橋競馬第10競走(リキフジ)[1]。
1998年、2月1日に東京競馬場での第1レースが中央競馬初騎乗となり、ヤマニンアプローズに騎乗して11着。同日行われたフェブラリーステークスで、中央GIに初騎乗し船橋所属だったバンチャンプに騎乗し15着だった。
1999年、3月13日に中山競馬場での第3レースをブレイクフォンテンに騎乗して制し、中央初勝利を挙げる。
2006年、6月29日午前6時ごろに自家用車を運転し船橋競馬場近くの国道14号線を東京方面へ走行中に対向車がセンターラインをはみ出したのを避けて電信柱に衝突する交通事故に遭い、前頭部陥没骨折、右肩甲骨骨折、左足裂傷の怪我を負った。その後船橋市内の病院に搬送され治療を受け、2週間程度入院した。退院後は通院しながらリハビリを行った。そして10月1日に復帰後初勝利を挙げた。
2007年、10月31日付で健康上の理由で騎手を引退することが発表された。今後については未定で、引退式などは行われない予定となっている。騎手成績は、地方競馬通算11112戦1165勝[1]、中央競馬通算10戦1勝。
波多野高次厩舎や矢野義幸厩舎に所属した。
主な騎乗馬
- マキバサイレント(1996年グランドチャンピオン2000)
- ヒカリリトル(1991年NTV盃)
- セイフウザン(1993年ワード賞)
- エルカーサコスモ(1993年ニューイヤーカップ)
- ハブトオー(1996年ゴールドカップ)
- バンチャンプ(1997年テレビ埼玉杯2回=同年に2度施行)
- シービーダイコク(1997年NTV盃)
- エスケイタイガー(1998年黒潮盃、ブルーバードカップ)
- ホクトロビン(1998年スパーキングレディーカップ、エメラルドカップ)
- セリリコーン(2001年リリーカップ)
監修書
- 『JRA全162騎手+αジョッキー格付けランキング 2010年』(大谷内泰久編)笠倉出版社、2009年
脚注
- ^ a b “佐藤祐樹騎手の引退について”. 船橋ケイバ (2007年11月1日). 2014年8月27日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 騎手登録情報 - 地方競馬情報サイト
- Be The Best 佐藤祐樹騎手 - 矢野義幸厩舎BLOG内のページ
- 元ジョッキーの地方競馬展望 - keiba@nifty内のページ、本人のコラム