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2021年8月4日 (水) 00:39時点における版
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大和田稔 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 福島県 |
生年月日 | 1942年3月30日(82歳) |
騎手情報 | |
初免許年 | 1959年 |
騎手引退日 | 1977年 |
通算勝利 | 316勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1977年 |
調教師引退日 | 2009年2月28日 |
重賞勝利 | 10勝 |
通算勝利 | 中央400勝、地方4勝 |
経歴 | |
所属 | 中山競馬場→美浦トレーニングセンター |
大和田 稔(おおわだ みのる、1942年3月30日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師、元騎手。出生地は神奈川県で、出身地は福島県[1]。息子はJRA調教師の大和田成[2]。
来歴
1958年、中山競馬場・二本柳俊夫厩舎所属の騎手候補生となる[1]。
1959年、騎手免許を取得し、同厩舎より騎手デビューする。
1977年、調教師免許を取得し、騎手を引退する。騎手成績は中央競馬通算2464戦316勝[1]。
1978年、美浦トレーニングセンター開設に伴い美浦所属となり、厩舎を開業。4月に管理馬を初出走させ、8月に延べ9頭目で管理馬が初勝利を挙げた。
2008年12月7日中山競馬第9競走クリスマスローズステークスをスガノメダリストで制し、中央競馬通算400勝を達成[3]。
2009年、2月28日付で調教師を勇退した。通算成績は、中央5483戦400勝[1]、地方119戦4勝。
調教師としての記録
中央競馬
日付 | 競馬場・開催・レース | 競走名 | 格 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 1978年4月22日 | 第3回東京1日目6レース | 4歳300万下 | - | ホクエイカンナ | 13頭 | 4 | 7着 |
初勝利 | 1978年8月6日 | 第2回新潟8日目1レース | アラブ3歳未勝利 | - | イチハジメ | 5頭 | 1 | 1着 |
重賞初勝利 | 1983年9月25日 | 第4回中山4日目11レース | オールカマー | 重賞 | スイートカーソン | 9頭 | 2 | 1着 |
地方競馬
日付 | 競馬場・レース | 競走名 | 格 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 1997年5月3日 | 第1回新潟(公営)3日目11レース | オープス中郷開設4周年記念 | - | オンワードパーク | 12頭 | 6 | 6着 |
初勝利 | 2000年9月21日 | 第8回高崎3日目9レース | 長月特別 | 指定OP | ウインジュリアン | 9頭 | 6 | 1着 |
表彰
主な騎乗馬
- 重賞競走優勝馬(騎乗時)
- その他
- ヒシマサヒデ(1964年新馬戦2着)
主な管理馬
- 重賞競走優勝馬(管理時)
- その他
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 伊藤暢康(1987年-2005年 騎手、2005年-2009年 調教助手)
- 矢原洋一(1995年-2002年 騎手)
人物・エピソード
1994年の福島記念に出走させたシルクグレイッシュには当初小野次郎を騎乗させる予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽当時顔すらも知らなかったという後藤浩輝に騎乗させ、同競走を制している。なお後藤にとってはこの勝利が重賞競走初勝利となった。その後は騎乗依頼はあまりこなかったものの、約3年後の1997年2月8日バレンタインステークスにて同馬に久々に騎乗した(結果は9着でシルクグレイッシュにとっては最後のレースとなった)。だがそれを除く管理馬に後藤を騎乗させることはほとんどなかった。
出典・脚注
- ^ a b c d e “引退調教師情報 大和田 稔 (オオワダ ミノル)”. 日本中央競馬会. 2015年3月8日閲覧。
- ^ “開業3年目 大和田師、躍進の源は機動力と逆算する力”. スポーツニッポン. (2013年7月5日) 2015年3月8日閲覧。
- ^ “大和田稔調教師 JRA通算400勝達成!”. ラジオNIKKEI 2015年3月8日閲覧。