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2021年8月4日 (水) 01:25時点における版

松永 俊之(まつなが としゆき、1946年12月30日 - )はフリーアナウンサーパーソナリティー埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身[1]。株式会社マツプロ代表取締役社長。実兄は元TBSアナウンサーの松永邦久

来歴・人物

國學院大學在学中からアナウンサーを志し、卒業後の1969年に北海道放送(HBC)に入社[1]。子供向け番組やスポーツアナウンサーを担当した後、1978年から1990年にかけてHBCラジオで『ラジオファミリーはい!松永俊之です』『出たとこ松ちゃん!』を担当。テレビでは、午後のワイド番組『パック2』の司会を務める。主婦向け番組ではリスナーからの人生相談電話を受けるなど珍しい手法が人気を呼んだ[1]

1976年12月、29歳のとき通勤途中に腰の激痛から股関節亜脱臼と椎間板ヘルニアの診断を受け手術と9ヶ月の休養を経て復帰するも[2][1]、その後歩行には松葉杖を伴うようになりスポーツアナウンサーを断念し主婦向けの番組に専念する[1]。自身のホームページなどの自己紹介には「日本でただ一人2本の杖をつくアナウンサー」と記載している[3]

その後1978年から12年間担当したラジオ番組『ラジオファミリーはい!松永俊之です』でリスナーから寄せられた留守番電話メッセージや手紙に丁寧に答えたことから好評を得て「奥様のアイドル」の異名を得た[1]

ラジオ『出たとこ松ちゃん!』、テレビ『パック2』の終了後は、『おはよう!松永俊之です』『ありがとう!松永俊之です』『松永俊之の土曜花盛り』などラジオの朝ワイド番組を主に担当した。

2007年4月にHBCを定年退職してフリーアナウンサーとなる[1]。2017年よりHBCラジオで『松永俊之ミュージック・コレクション』を担当[1]。自身の闘病体験から長年続けている講演活動、紙芝居ボランティア、旅行ツアー・バスツアーの企画、ガイドを行う。

2019年2月には皮膚がんの手術を経て、3月に50年を区切りとして「松永俊之ミュージック・コレクション」を終了しアナウンサーを引退、福祉施設での紙芝居ボランティアに専念する[1]

特技では祝詞が奏上でき、大学時代には神道神主資格(直階)を取得している[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i HBCラジオ松永俊之さん引退 つえつくアナ 弱者に寄り添い50年 31日に最終回 - 北海道新聞2019年3月28日夕刊9面
  2. ^ [1] vol.1 2003.2 - 札幌市男女共同参画センター
  3. ^ [2] アーカイブ 2010年12月10日 - ウェイバックマシン松永俊之ウェブサイト
  4. ^ ラジオパラダイス』(三才ブックス)1988年4月号 p.43

外部リンク