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2021年8月4日 (水) 01:44時点における版
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高山 太郎(たかやま たろう、1975年3月17日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属する調教助手で元騎手。茨城県出身。
来歴
父は日本中央競馬会 (JRA) 元騎手で調教助手の高山裕。祖父、叔父も調教師という環境で育った。
競馬学校騎手課程第10期生として入学。同期には吉田豊、幸英明、渡邊薫彦、植野貴也らがいる。
1994年に騎手免許を取得し、美浦佐藤全弘厩舎所属としてデビュー。初騎乗は同年3月5日中山競馬第3競走でフレンドシップ(14頭中3着)、初勝利は3月26日中山競馬第3競走でドウカンパレードで挙げる。騎手1年目は25勝を挙げ、同年の新人賞にあたる民放競馬記者クラブ賞を受賞しホープと目されていた。
しかし以降は騎乗機会に恵まれず、毎年10勝前後の成績に低迷。そのようななか、2000年10月21日福島競馬第11競走カブトヤマ記念 (GIII) で自厩舎のヘッドシップに騎乗し優勝。自身にとって唯一の重賞勝利となった。
2006年に所属していた佐藤厩舎を離れ、フリーランスとして活動していたが、2010年1月31日をもって騎手免許を返上し引退。松山康久厩舎の調教助手へ転業した。
騎手成績(中央競馬)は3,938戦142勝、うち重賞は1勝。障害競走には騎乗実績がなかった。
主な騎乗馬
- ヘッドシップ(2000年カブトヤマ記念)
- トップパシコ(2006年シルクロードステークス3着)
- ケイワンバイキング
- ノーザンレインボー
- ブランドイメージ