「スブヒディン・モハマド・サレー」の版間の差分
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2021年8月4日 (水) 02:57時点における最新版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Subkhiddin Mohd Salleh | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1966年11月17日 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
スブヒディン・モハマド・サレー(Subkhiddin Mohd Salleh, 1966年11月17日 - )は、マレーシア出身の元サッカー審判員である。本職は教師。スブヒディン・モハド・サレーと記されることもある。2010 FIFAワールドカップ、AFCアジアカップ2004、AFCアジアカップ2007、AFCアジアカップ2011をはじめ、多くの国際試合で笛を吹いた。
日本では、2004年のAFCアジアカップ準々決勝で、日本対ヨルダンのPK戦において、ピッチのコンディションが悪いことを理由に、宮本恒靖の抗議を受け入れ、途中で使用ゴールを変更した事で知られている。後にあの時の判断については、「公平なプレーを実現するために行ったまでのこと。芝生が大きくずれるのを確認もした。」と語っている。