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「白木太一」の版間の差分

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2021年8月4日 (水) 04:39時点における版

白木 太一(しらき たいち、1959年 - )は、日本の歴史学者。専攻は西洋史ポーランド史)。大正大学文学部教授。フォーラム・ポーランド理事。東欧史研究会委員長を務めた(2012~2016年)(1)。18世紀を中心としたポーランド史を研究している。

来歴

担当経験のある科目

著作

単著

  • 『一七九一年五月三日憲法 (ポーランド史史料叢書)』東洋書店、2013
  • 『近世ポーランド「共和国」の再建―四年議会と五月三日憲法への道』彩流社、2005

共編著

  • 『フォーラム・ポーランド会議録』関口時正他編 ふくろう出版 2007
  • 『ポーランド学を学ぶ人のために』渡辺克義編 世界思想社 2007
  • 『ヨーロッパにおけるエリート』井内敏夫編 大陽出版 2007
  • 『ポーランドの歴史教科書ー現代史』渡辺克義、田口雅弘、吉岡潤監訳 明石書店 2005
  • 『ヨーロッパの分化と統合』小倉欣一編 大陽出版 2004
  • 『ヨーロッパ史の新地平』中山昭吉・松川克彦編 昭和堂 2000
  • 『概説西洋社会史』野崎直治編 有斐閣 1994
  • 『スラヴ世界とその周辺』山本俊朗編 ナウカ 1992
  • 『ヨーロッパの反乱と革命』野崎直治編 山川出版社 1992

論文

  • 近世ポーランド・リストニアの貴族と名望家 (世界史の研究(239)) (山川出版社 歴史と地理、2014年5月)
  • ポーランド一七九一年五月三日憲法 : その沿革、全文の内容、歴史的意義(大正大学 大正大學研究紀要、2010年2月)
  • 聖職者イグナツィ・クラシツキと一八世紀後半のヴァルミア司教区--ポーランド=リトアニア「共和国」、王国領プロイセン、聖堂参事会、教区行政の狭間で(大正大学史學會 鴨台史学、2009年3月)
  • 書評 山田朋子著『ポーランドの貴族の町--農民解放前の都市と農村、ユダヤ人』(法制史學會 法制史研究、2008年
  • ロシア・東欧・北欧(近代, ヨーロッパ, 2004年の歴史学界-回顧と展望-)(公益財団法人史学会 史學雜誌、2005年5月)
  • 近世ポーランド=リトアニア連合国家の地方議会に関する研究動向--「共和国」の中央と地方の問題を中心に (〔東欧史研究会〕2004年度シンポジウム 東欧における地域・社団と議会主義的伝統)(東欧史研究会 東欧史研究、2005年3月)
  • 18世紀ポーランドにおける行政権のありかたについて--常設会議(1775-1789年)の歴史的意義を中心に(早稲田大学史学会 史観、2000年9月)
  • 18世紀後半のポ-ランドにおけるマグナ-ト支配の構造とその変容--右岸ドニエプル地方、ブラツワフ県のポトツキ家の場合を中心に(東欧史研究会 東欧史研究、1998年3月)
  • 18世紀後半におけるポーランドの地方議会改革の意義 : 指示書の権限と参政権資格の見直しをめぐって(北海道大学 スラヴ研究、1996年
  • 18世紀ポ-ランドにおけるジェチポスポリタ(共和国)理念の継承と発展--コウォンタイの国家改革論をつうじて(日本西洋史学会 西洋史学、1994年

脚注

(1) 東欧史研究会委員会 https://sites.google.com/site/tououshi/committee


関連項目

外部リンク