「西浦秋夫」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
lk |
m Bot作業依頼: 改名によるテンプレートおよびテンプレート引数の置き換え依頼 (Template:存命人物の出典皆無) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{ |
{{存命人物の出典皆無|date=2014年9月}} |
||
{{Infobox baseball player |
{{Infobox baseball player |
||
|選手名 = 西浦 秋夫 |
|選手名 = 西浦 秋夫 |
2021年8月4日 (水) 05:11時点における版
![]() |
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 | 宮崎県日南市 |
生年月日 | 1950年6月24日(74歳) |
身長 体重 |
180 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1968年 ドラフト7位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
西浦 秋夫(にしうら あきお、1950年6月24日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
来歴・人物
宮崎県立日南工業高等学校では中堅手、主将として活躍。1967年秋季九州大会準々決勝に進むが、小倉高の圓川龍之、楠城徹のバッテリーに完封を喫し春の選抜出場を逸する。1968年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、延岡商に敗退し甲子園には届かなかった。
同年のドラフトで南海ホークスから7位で指名され入団。一軍公式戦に出場することはなく、1年で自由契約となり引退した。引退後は九州産業大学で教員の資格を取得。宮崎工業高校、延岡工業高校の野球部監督となり、延岡工を1987年の夏の甲子園に初出場させている。この時の中心選手、柳田聖人が自身が在籍した南海に入団した。その後も教え子が同校監督を継ぐと、1992年夏の甲子園に出場してNHKのゲスト解説に招かれた。定年退職後も定時制高校で教員を続けた[1]。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場無し
背番号
- 56 (1969年)
脚注
- ^ 野球の指導30年、西浦秋夫さんに育成功労賞朝日新聞デジタル(2020.7.5)