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| 氏名 = 宇野 博之<br />うの ひろゆき |
| 氏名 = 宇野 博之<br />うの ひろゆき |
2021年8月4日 (水) 06:54時点における版
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選手情報 | ||||
フルネーム | 宇野 博之 | |||
ラテン文字 | Hiroyuki Uno | |||
国籍 |
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種目 | 長距離走 | |||
所属 | Honda | |||
大学 | 東洋大学 | |||
生年月日 | 1989年12月21日(34歳) | |||
生誕地 |
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自己ベスト | ||||
5000m | 13分55秒26 | |||
10000m | 28分55秒32 | |||
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宇野 博之(うの ひろゆき、1989年12月21日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離種目。埼玉県寄居町出身。埼玉県/武蔵越生高等学校、東洋大学経済学部卒業、Hondaに就職。その後、陸上競技を2016年に引退
来歴・人物
東洋大学陸上競技部時代の同級生には、箱根駅伝で4年連続5区区間賞(うち区間新記録は3回)を獲得し、山の神と呼ばれた柏原竜二や山本憲二(現マツダ)所属、田中貴章、川上遼平、佐藤寛才、八木沢直也ら後輩には田口雅也、設楽悠太、設楽啓太、服部勇馬や服部弾馬などがいる。
箱根駅伝を4年間走った。 東洋大学箱根駅伝初優勝メンバー(当時1年生) ちなみに4年間連続で5区を走り4年連続で区間賞(うち区間新記録は3回)を獲得したの柏原竜二以外に箱根駅伝を4年間走った柏原の同級生は唯一この宇野のみである。 東洋大学の川嶋前長距離部門監督の退任の際には号泣していた。本人曰く、酒井俊幸監督から言われた忘れられない一言は 「練習実績をちゃんと書きなさい」と「今年は練習できるな」だそうだ。4年生時には副将に選ばれ、主将の柏原竜二、同じく副将の川上遼平と共にチームを引っ張った。
1年時から駅伝メンバーとして活躍。12月まで指導を受けていた川嶋長距離部門監督が退任する。その後は、現在の東洋大学長距離部門監督である、酒井俊幸が長距離部門の監督を引き受けるまで、コーチの佐藤尚が監督代行を務めることになる。 特に第85回箱根駅伝では4区を担当し、東洋大学史上初の往路優勝、総合優勝へ貢献した。箱根駅伝が終わった後のインタビューに、けがなどして情けない走りになった。優勝したが、それ以上に個人的にはまわりの選手にまけて悔しかった。来年はその気持ちをばねにチームを引っ張っていきたい。とコメントしていた。
2年時も駅伝メンバーとして活躍。第86回箱根駅伝では1区を走り区間5位と好走。チームの総合連覇に貢献した。10000mの自己ベストも更新する。
3年時も第87回箱根駅伝を走り1年時と同じく4区を担当。設楽悠太から7位で襷を受けると4人を抜き区間3位の好走。だが、前を行く早稲田大学の前田悠貴が当時の4区区間に2秒と迫る区間2位の快走で差を広げられてしまい、結局5区を任され3年連続5区区間記録更新を期待されていた山の神の柏原竜二に襷を繋いだ時には2分54秒も差がついてしまった。柏原は今年春から不調だった事もあり、去年・一昨年の記録には及ばなかったが、3年連続5区区間賞の走りで前の東海大学の5区の走者早川翼を7km手前で抜き更に早稲田大学の5区の走者猪俣英希を16km過ぎでかわしゴールへ駆け抜け、往路3連覇を果たし往路記録を更新した。一方東洋大にかわされた早稲田大学だったが、柏原が不調だった事と猪俣が5区の最後の下りで粘り見せた事により、先にゴールした東洋大と27秒という僅差でゴールできた。東洋大は史上まだ6校しか成し遂げていない総合3連覇を目指し復路を迎えたが6区で早稲田大学に逆転を許し、7区で1分以上差を広げられた。8区、9区、10区で意地の走りを見せ差を詰めて区間賞を獲り、最後まで前の早稲田大学を追っていたが、チームは史上最短の21秒差で早稲田大学に負け、箱根駅伝3連覇を逃した。
4年時 柏原が主将に選ばれ、自身も副将を任された。第88回箱根駅伝で1区を任され区間4位の好タイムで、先頭の早稲田大学と24秒差の4位で2区を任された2学年後輩の設楽啓太に襷を繋いだ。東洋大は2区で先頭の早稲田大学を逆転し、その後一度も首位を譲らず5区の柏原に襷を繋いだ。4年目にして初めて1位で襷を受けることになった東洋大の柏原が、自身が2年前に記録した区間記録を上回るペースでゴールし、5区のコース変更後、初の1時間16分台を記録し、前年の往路記録を大幅に更新し、往路4連覇を達成した。更に2位以下に5分以上大差ついたのは24年ぶり、繰り上げ一斉スタートが10大学以上になったのは18年ぶりである。復路でも4区間中、3区間で区間賞を獲得している東洋大が、10区でも斉藤貴志が区間賞の活躍で5区間中、4区間で区間賞、1区間で区間新となり、往路、復路、総合の全てで新記録を樹立した。
卒業後は、実業団(Honda)に入り全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)で活躍することを期待されていたが、度重なる故障、ケガに泣かされ一度もニューイヤー駅伝を走る事なく、2016年に選手を引退した。
人物 エピソード
箱根駅伝を4年間走った。 東洋大学箱根駅伝初優勝メンバー(当時1年生) ちなみに4年間連続で5区を走り4年連続で区間賞(うち区間新記録は3回)を獲得したの柏原竜二以外に箱根駅伝を4年間走った柏原の同級生は唯一この宇野のみである。 東洋大学の川嶋前長距離部門監督の退任の際には号泣していた。本人曰く、酒井俊幸監督から言われた忘れられない一言は 「練習実績をちゃんと書きなさいと「今年は練習できるな」だそうだ。4年生時には副将に選ばれ、主将の柏原竜二、同じく副将の川上遼平と共にチームを引っ張った。