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2021年8月4日 (水) 07:17時点における版

神山 昂
基本情報
国籍 日本
出身地 沖縄県糸満市
生年月日 1951年12月4日
身長
体重
n/a cm
n/a kg
選手情報
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

  • 糸満高等学校
  • 琉球大学

神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 [1]- )は沖縄県高校野球の指導を長らく務めている指導者である。監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場経験を持つ。


経歴

糸満高校卒業後は、琉球大学に進学する。

大学卒業後、非常勤講師として沖縄高校(現在の沖縄尚学高校)やコザ高校を2年ほど勤め、糸満高校で監督をしていた栽 弘義監督から声を掛けられた。1984年に沖縄水産高校でのコーチを務めていたが、栽 弘義監督の代理として甲子園に出場を果たす。栽監督の片腕として指導者の経験を積んだ後、那覇商業高校の監督に就任。1994年には同校初の春夏連続の甲子園出場に導き、夏の大会では横浜高校(神奈川)を相手に甲子園初勝利を飾っている。

その後、母校の糸満高校、宮古高校などで監督を務め、監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場を果たした。定年退職を迎え一度はユニフォームを脱いだ神山監督であったが、KBCから白羽の矢が立ち、熟考の末に初代監督として再び袖を通すことを決めた。

[2]2015年5月学校法人KBC学園未来高等学校沖縄野球部監督に就任。野球部創立から携わることとなった。同年、未来高等学校沖縄野球部は、沖縄県高等学校野球連盟に加盟する。2018年創部4年目で第65回沖縄県春季高等学校野球大会を制し、第142回九州地区高等学校野球大会に初出場。プロ野球新人選手選択会議(ドラフト会議)において、総合学科スポーツコース(野球専攻)3年 宜保 翔(ぎぼ しょう)がオリックス・バファローズから5位指名を受ける。


脚注

  1. ^ 沖縄版24の瞳
  2. ^ 創部4年目で沖縄初制覇「KBC学園未来沖縄」とは? 旋風を巻き起こす進化の過程”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2019年11月28日閲覧。
  3. ^ 第437回 KBC学園未来高等学校沖縄(沖縄)「自利利他」の信念のもとに”. 高校野球オンライン 野球部訪問 (2017年6月23日). 2018年1月23日閲覧。

出典