神山昂
KBC学園未来高校沖縄 総監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 沖縄県糸満市 |
生年月日 | 1951年12月4日(72歳) |
選手情報 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 [1]- )は沖縄県で高校野球の指導を長らく務めている指導者である。監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場経験を持つ[2]。
経歴
[編集]1951年糸満市に生まれる。1967年沖縄県立糸満高等学校に入学し、高校3年の夏、甲子園の県予選の決勝で糸満高校対興南高校と火花を散らした。この試合の興南高校には、後に興南高校野球部の監督に就任する我喜屋優もいた。決勝戦では惜しくも僅差で興南高校に敗れた。高校卒業後は、琉球大学に進学する。
大学卒業後、非常勤講師として沖縄高校(現在の沖縄尚学高校)やコザ高校を2年ほど勤め、1978年沖縄県立豊見城高等学校野球部にコーチ就任。糸満高校で監督をしていた栽弘義監督から声を掛けられ、1983年沖縄県立沖縄水産高等学校野球部にコーチ就任する。1984年には、栽弘義監督の代理として甲子園に出場を果たす。
栽弘義監督の片腕として指導者の経験を積んだ後、1988年那覇商業高校の監督に就任。第118回九州地区高校野球大会出場[3]、1994年には第66回選抜高等学校野球大会、第76回全国高等学校野球選手権大会に出場し春夏連続の甲子園出場に導き、夏の選手権大会では横浜高校を相手に甲子園初勝利を飾っている。その後、母校の2001年糸満高校、2008年宮古高校などで監督を務め、監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場を果たした。定年退職を迎えたが、KBC学園未来高校沖縄に初代監督として再びユニフォームに袖を通すことを決めた。
2015年、正式にKBC学園未来高校沖縄の野球部監督に就任。野球部創立から携わることとなった。同年、未来高等学校沖縄野球部は、沖縄県高等学校野球連盟に加盟。2018年創部から僅か4年目で第65回沖縄県春季高等学校野球大会[4]を制し、第142回九州地区高等学校野球大会に初出場。その年のドラフト会議において、宜保翔がオリックス・バファローズから5位指名を受けた[5]。2020年より同校の総監督就任し息子の神山剛史が監督に着任した。2021年には日本高等学校野球連盟と朝日新聞社から贈られる、高校野球の育成と発展に尽くした指導者を表彰する「育成功労賞」を受賞した[6][7]。
脚注
[編集]- ^ 沖縄版24の瞳
- ^ “【高校野球】初の甲子園を狙う未来沖縄が全国一番星「代替大会準優勝チームと同じくらいの力」次戦は沖縄水産戦”. スポーツ報知 (2022年6月19日). 2022年10月7日閲覧。
- ^ “突然襲ってきたイップス!不安と苦しみに耐え続けた壮絶な投手人生:レジェンドオブ甲子園:おきなわ野球大好き”. www.yakyu.okinawa. 2021年9月11日閲覧。
- ^ “創部4年目の快挙! 未来沖縄が興南破り初V 県春季高校野球 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2021年9月11日閲覧。
- ^ “53 宜保 翔選手名鑑2021 |オリックス・バファローズ”. オリックス・バファローズ オフィシャルサイト. 2021年9月11日閲覧。
- ^ “高校野球の育成功労賞、49人を選出 :朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年6月8日). 2022年10月7日閲覧。
- ^ “トピックス|公益財団法人日本高等学校野球連盟”. www.jhbf.or.jp. 2022年10月7日閲覧。
出典
[編集]- 創部4年目の快挙! 未来沖縄が興南破り初V 県春季高校野球 沖縄タイムス
- 高校野球のニュータイプ、強豪興南倒した「ゆるふわ」感 注目のKBC未来沖縄とは?
- 2017年5月17日デイリースポーツ掲載「神山監督が聖地初出場へ闘志」
- 創部4年目で沖縄初制覇「KBC学園未来沖縄」とは? 旋風を巻き起こす進化の過程
- 未来沖縄が初戦突破 九州高校野球8強入り
- オキナワグラフ2016年3月号 白球立教の軌跡〜沖縄県高校野球連盟60周年〜掲載
- 那覇商業高校学校要覧p.9
- 第103回全国高等学校野球選手権大会「育成功労賞」