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「西村まゆ子」の版間の差分

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2021年8月4日 (水) 07:34時点における版

西村 まゆ子(にしむら まゆこ、1960年(昭和35年)12月28日[1] - )は、日本の元アイドル。デビュー当時の本名は、西村真優美(にしむらまゆみ)[1]

来歴・人物

熊本県飽託郡飽田町(現・熊本市南区)出身[2]。中学生時代は卓球部と陸上部(中距離走)で活動していた[1]

1977年(昭和52年)、熊本女子商業高等学校(現・熊本国府高等学校)在学中[3]に第2回ホリプロタレントスカウトキャラバンで応募総数23,508名の中から優勝[4]。キャッチコピーは「価値ある発掘」。ホリプロに所属し、「第二の百恵」としても売り出された[4]。宣伝費に約一億円(ホリプロ側が約7千万円、CBSソニー側が約3千万円)が投入されたと言われている[3][4]。デビューと共に上京し、高校も1977年10月堀越高等学校に転校[3]1978年(昭和53年)にCBSソニーからシングル『天使の爪』で、歌手としてデビュー。デビューシングルは約7万枚を売り上げ[3][4]、セカンドシングル『ひと恋初めし』も約5万枚を売り上げた[4]

1978年7月3日を以ってホリプロから契約を解除され、一時引退[2][3]。堀越高校には引き続き在籍したが、この1978年7月から芸能コースから一般コースに移り[3]1979年3月に高校卒業[2]。高校卒業と共に地元・熊本に帰郷[2]。帰郷後1979年4月から叔父の親友が社長を務める熊本の事務所「熊本プロダクション」の所属タレントとなり、主に熊本県を中心に活動[4]。それから一年ほどした1980年、東京でプロダクションを設立するからと誘われるも、三か月ほどで再び帰郷[4]。その後は芸能界から退き、熊本で自分の友人の知り合いだった男性と結婚[4]1990年の時点で三人の子供の母親[4]

音楽

シングル

いずれもCBSソニーから発売[3][4]

  1. 天使の爪 (1978年1月21日) 作詞:喜多条忠/作曲:三木たかし/編曲:若草恵
    c/w 手紙は書きません
  2. ひと恋初(そ)めし (1978年) 作詞:喜多條忠/作曲:三木たかし/編曲:若草恵
    c/w 風になって

映画

ドキュメンタリー

  • 青春・スターの条件 (1978年5月3日、NHK)※売れている歌手 西村まゆ子の多忙な日々と売れない歌手 もんた頼命(現・もんたよしのり)の下積み生活を取材したドキュメント番組[5]。語り手:川久保潔

脚注

  1. ^ a b c 月刊平凡 1978年3月号 p.176 - 179「'78ビッグホープ座談会」
  2. ^ a b c d 週刊平凡 1979年12月○日号 p.164 - 167
  3. ^ a b c d e f g アサヒ芸能徳間書店)1978年7月27日号 p.18 - 22
  4. ^ a b c d e f g h i j 週刊文春 1990年5月3日・10日号 p.225 - 228
  5. ^ 1978年5月3日 各新聞テレビ欄より。