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2021年8月4日 (水) 09:37時点における版

パチェタ
名前
本名 フアン・ホセ・ロホ・マルティン
Juan José Rojo Martín
ラテン文字 Pacheta
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1968-03-23) 1968年3月23日(56歳)
出身地 サラス・デ・ロス・インファンテス
身長 184cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
スペインの旗 ラシン・レルメーニョ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1989 スペインの旗 ラシン・レルメーニョ
1989-1990 スペインの旗 ヌマンシア 15 (1)
1990-1991 スペインの旗 レアル・ブルゴス 0 (0)
1991-1993 スペインの旗 マルベジャ 67 (9)
1993-1994 スペインの旗 メリダ 24 (5)
1994-1999 スペインの旗 エスパニョール 118 (5)
1999-2004 スペインの旗 ヌマンシア 121 (18)
通算 345 (38)
監督歴
2009 スペインの旗 ヌマンシア
2011-2012 スペインの旗 オビエド
2012-2013 スペインの旗 カルタヘナ
2013-2014 ポーランドの旗 コロナ・キェルツェ
2014-2015 スペインの旗 エルクレス
2016-2017 タイ王国の旗 ラーチャブリー
2018-2020 スペインの旗 エルチェ
2021- スペインの旗 ウエスカ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パチェタPacheta)ことフアン・ホセ・ロホ・マルティンJuan José Rojo Martín1968年3月23日 - )は、スペインカスティーリャ・イ・レオン州サラス・デ・ロス・インファンテス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダーだった。2021年よりSDウエスカの監督を務める。

ラ・リーガ通算183試合15ゴールを挙げ、レアル・ブルゴスCFRCDエスパニョールCDヌマンシアでプレーした。セグンダ・ディビシオンにも通算112試合に出場している。

2009年より指導者として活動している。

選手経歴

カスティーリャ・イ・レオン州サラス・デ・ロス・インファンテスに生まれ、1987年にラシン・レルメーニョでサッカー選手デビューを飾った。2年後、当時セグンダ・ディビシオンBにいたCDヌマンシアへと移籍した。

1990-91シーズンレアル・ブルゴスCFでリーグ戦に全く出場できなかったので、セグンダBのCAマルベジャに移籍した。1年目にしてセグンダB優勝を決め、セグンダ昇格を果たした。1992年9月6日、CDカステリョン戦でプロデビュー。

1994年6月、CPメリダに短期間在籍した後、プリメーラ・ディビシオンのRCDエスパニョールに移籍した。同年9月17日のFCバルセロナ戦にて後半からの途中出場で移籍後初出場を記録した。翌年4月16日、アスレティック・ビルバオとのリーグ戦で初ゴール。

1999年、エスパニョールで充実したキャリアを送ると、2部の古巣ヌマンシアへ復帰した。2004年、36歳で現役を引退すると、すぐにヌマンシアのスタッフとして働き始めた。

指導者経歴

2007年6月、CDヌマンシアのディレクターに就任したが、2009年2月17日、解雇されたセルギイェ・クレシッチ監督の後任としてヌマンシアの監督となった。リーグ戦残り15試合を指揮することになったパチェタだったが、成績は安定せず、セグンダB降格が決まった。。

2011年2月15日、セグンダBのレアル・オビエドの監督に招聘された。オビエドをリーグ戦8位に導き、契約を1年延長。

2012年5月24日にオビエドの監督を辞任し、12月10日にFCカルタヘナへ移った。

カルタヘナではクラブをリーグ準優勝へと押し上げ、セグンダ昇格に貢献した。2013年8月、ポーランドコロナ・キェルツェの監督の座に就いた。

2014年6月、ポーランドを離れ、母国エルクレスCFの監督に就任した。しかし、指揮後12試合で3勝しか挙げられず、解任された。

2018年2月27日、タイラーチャブリーFCで指揮を執った後、エルチェCFの監督になった。ここではエルチェを2部に昇格させ、1年契約を延長。

2020年8月25日、エルチェを1部昇格に導いた翌日、クラブから解任された。

2021年1月12日、ミチェルを解任したSDウエスカの監督に就任することが発表された。

外部リンク