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'''柳 和龍'''(ユ・ファヨン、{{lang|ko|유 화용}}、[[1944年]][[2月15日]] - )は、[[大韓民国]]・[[ソウル特別市]]出身の元[[プロボクサー]]で、プロ[[ボクシング]]トレーナーである。 |
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2021年8月4日 (水) 12:23時点における版
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柳 和龍(ユ・ファヨン、유 화용、1944年2月15日 - )は、大韓民国・ソウル特別市出身の元プロボクサーで、プロボクシングトレーナーである。
マスメディアではたびたび日本語読みで「リュウ・ワリュウ」と呼ばれる。
来歴
韓国と日本で試合を重ね、1975年6月16日、後の世界王者ロイヤル小林にKO負けを喫し引退。
戦績は19戦9勝9敗1分け。
引退後はトレーナーに転向。母国で世界王者パク・チョンヒ、柳換吉を育てた後、京浜川崎ジムで畑山隆則と出会い、後に横浜光ボクシングジムへともに移籍。畑山を世界王座へと導き、1998年度エディ・タウンゼント賞を受賞。
畑山の一時引退を機に松田ボクシングジムへ移籍。石原英康を東洋太平洋王座、世界挑戦へと導いた。
2007年、名古屋市内のアマチュアジムのトレーナーに就任。