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2021年8月8日 (日) 12:56時点における版
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![]() 2019年のナインゴラン | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ニンジャ(Ninja)[1] | |||||
ラテン文字 | Radja NAINGGOLAN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() ![]() ![]() | |||||
生年月日 | 1988年5月4日(36歳) | |||||
出身地 | アントウェルペン | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | MF (CMF) | |||||
背番号 | 14 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1998-2006 |
![]() | |||||
2006-2007 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2009 |
![]() | 71 | (4) | |||
2010 |
→![]() | 7 | (0) | |||
2010-2014 |
![]() | 124 | (7) | |||
2014 |
→![]() | 17 | (2) | |||
2014-2018 |
![]() | 138 | (26) | |||
2018- |
![]() | 33 | (6) | |||
2019-2020 |
→![]() | 26 | (6) | |||
2021- |
→![]() | 22 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2004 |
![]() | 1 | (0) | |||
2007 |
![]() | 2 | (0) | |||
2008-2009 |
![]() | 2 | (0) | |||
2007-2010 |
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2009-2018 |
![]() | 30 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月31日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ラジャ・ナインゴラン(Radja Nainggolan、 1988年5月4日 - )は、ベルギー・アントウェルペン出身のサッカー選手。セリエA・カリアリ・カルチョ所属。元ベルギー代表。ポジションはミッドフィールダー。
人物
インドネシアのバタック人の父とフラマン人の母の間に生まれ、双子の姉がいる[1][2]。父はラジャが幼いころに失踪し、貧しい生活の中で母親に育てられた[1][3]。母親は2010年に死去しており、ラジャの背中には母親の誕生日と命日がタトゥーとして彫ってある[1][3]。
名前の"Radja"はインドネシア語で「王」を意味する[1]。ナインゴラン自身はインドネシアを訪れた際に「欧州でインドネシア人の誇りを示すことは名誉」と語っている[4]。カリアリでの活躍後はアジア系の風貌とプレースタイルにより"Ninja"の愛称で呼ばれている[1]。
カトリックを信仰し、オランダ語、英語、フラマン語、イタリア語を話せるほか、フランス語も理解できる[5][6]。
金髪のモヒカンヘアーと全身のタトゥーがトレードマークとなっており[7][8]、その容貌からテロリストと疑われ警察に通報されたことがある[9]。2018年2月にはモヒカンを赤く染め上げた[10]。また喫煙者であることを公言している[11][12]。
ローマ在籍時にはクラブへの愛着を語る一方で[4][13]、ライバルであるユヴェントスを強く敵視し、攻撃的な発言が度々話題となる[8][14][15]。ローマ退団後もローマへの愛着を語っており[16]、2019年10月6日のローマ退団後初めてのスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマでのローマ戦では、ローマサポーターからスタンディングオベーションを受け、スタンドには"Mai un avversario, bentornato Radja!"(君は決して敵ではない。おかえりなさい、ラジャ!)というバナーが掲げられるなど[17][18]、ローマサポーターからも愛されている存在である。
サッカー選手としては攻守に優れた万能型ミッドフィールダーである[12]。競り合いの強さやロングパスの精度を買われ中盤で主にプレーする[1][3]。元はトップ下の選手で、ロナウジーニョに憧れていた[19]。上述の通り喫煙者であるものの豊富な運動量を誇る[11]。
素行面に問題を抱えており、2018年の夏、モンテカルロのカジノで大負けをして何枚かの小切手を使用。その後小切手が不正に複製され、15万ユーロ(約1900万円)を奪われるという被害を受けた[20]。さらに同年12月、トレーニングですでに一週間のうちに数回遅刻をしていたが、23日の朝に再び遅れ、クラブ側が懲戒処分として一時的なサッカー活動禁止の処分を下した[21]。
経歴
キャリア初期
2000年からジェルミナル・ベールスホットのユースチームでキャリアをスタートさせ、2004年にイタリアのピアチェンツァ・カルチョのユースチームでプレーし、2007年にトップチーム昇格した。
カリアリ
2010年1月27日、セリエAのカリアリ・カルチョに買取オプション付きでレンタル移籍し、同年2月7日のインテル戦でセリエAデビュー。2010年6月21日に共同保有でカリアリに完全移籍すると、2010-11シーズンからはレギュラーに定着。同年10月31日のボローニャFC戦でセリエA初得点を挙げた。2011年1月31日には共同保有の残り半分の権利もカリアリが買い上げた。2011-12、2012-13シーズンもレギュラーとしてコンスタントに活躍し、2013年10月5日には2016年まで契約を延長した[22]。
ASローマ
カリアリでの活躍からユヴェントスFCやACミラン、インテル・ミラノ、SSCナポリやマンチェスター・シティFC、FCゼニト・サンクトペテルブルクといった国内外の強豪から興味を示されるが、2014年1月、ASローマにシーズン後に600万ユーロでの共同保有権買取のオプションつきレンタル移籍が決定[23]。背番号は44番。ケヴィン・ストロートマンの離脱もありレギュラーに定着し[13]、2013-14シーズン終了後には共同保有オプションが行使された[24]。また背番号は4番となった。
2014-15シーズンは35試合に出場し5得点を挙げる活躍でローマの2位、チャンピオンズリーグストレートインに貢献[24][25]。シーズン終了後にはローマから唯一セリエAベストイレブンに選出された。また2015年6月24日にローマがカリアリから残りの共同保有権を900万ユーロで買い取ったことでローマに完全移籍[24][25]、2020年まで契約を延長した[4]。シーズン後にはローマのアジアツアーで父親の母国であるインドネシアを訪れた[4]。
2015-16シーズンも36試合に出場し6得点を記録し、2シーズン連続でセリエAベストイレブンに選出された。
2016-17シーズンは前シーズン途中から就任したルチアーノ・スパレッティの元で攻撃的なポジションを任されたことにより37試合の出場でキャリアハイとなる11得点7アシストを挙げた[13]。シーズン終了後にはスパレッティが就任したインテルや、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッドなどへの移籍が噂されたが、ローマと2021年まで契約を延長し残留した[26][13]。
UEFAチャンピオンズリーグ 2017-18準決勝のリヴァプール戦2ndレグでは、自身のパスミスからボールを奪われ失点に関与した。その後、試合終盤に2得点を記録したが、チームは敗退した。試合後、自身のSNS上で自身のミスを謝罪した[27]。
インテル・ミラノ
2018年6月26日、インテル・ミラノに移籍することが発表された[28]。移籍金は3800万ユーロで、将来インテルから移籍する際には、移籍金の10パーセント(ただし、最大で200万ユーロまで)がローマに譲渡されることになる[29]。契約は4年間。
2018-19シーズン終了後、アントニオ・コンテが監督に就任すると、素行の問題から構想外となった[30]。
カリアリへ復帰
2019年8月5日、カリアリ・カルチョに2020年6月30日までのレンタルで移籍した[31]。10月20日、S.P.A.L.戦でミドルシュートによってカリアリ復帰後初ゴールを挙げた[32]。2019年11月はセリエAで2得点3アシストを記録し、セリエA月間MVPに選ばれた[33]。2020-21シーズンには一度インテルに復帰するも、コンテの構想外に変わりはなく、2021年1月にカリアリに再復帰した[34][35]。
代表
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d8/2017_RUS_v_BEL_exhibition_-_Radja_Nainggolan.jpg/120px-2017_RUS_v_BEL_exhibition_-_Radja_Nainggolan.jpg)
ベルギー代表の各世代の代表としてプレーした後、2009年5月29日、キリンカップサッカーのチリ戦でA代表初キャップを記録。2014年3月5日のコートジボワールとの親善試合で代表初得点を挙げた。しかし、当時の代表監督マルク・ヴィルモッツと起用法を巡って対立し、2014 FIFAワールドカップの最終メンバーから落選した。
UEFA EURO 2016ではレギュラーとしてプレーし、スウェーデン戦で1-0での勝利の決勝点となるミドルシュート[36][37]、敗退した準々決勝のウェールズ戦でも先制のミドルシュートを決める[38]など大会2得点を挙げる活躍をみせた。しかし、準々決勝でウェールズに敗れ、確執が根深かったヴィルモッツは解任された。
EURO 2016後にベルギー代表監督に就任したロベルト・マルティネスの元では先述の喫煙問題[11][12]や練習への遅刻など規律面で確執があり、2016年10月と11月には代表招集外となった[11]。2017年8月に代表招集外となった際にはマルティネスはナインゴランの招集外について「コンディション面の問題」としたもののこうした確執が原因と報道され、ナインゴラン自身も落胆し代表引退を示唆する発言をした[12][39]。2018年5月に発表された2018 FIFAワールドカップに出場するベルギー代表にナインゴランは含まれず、発表後、自身のSNS上で代表からの引退を表明した[40]。
個人成績
- 2020年9月26日現在
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 国際大会 | その他 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ピアチェンツァ | 2005-06 | セリエB | 1 | 0 | 0 | 0 | — | — | 1 | 0 | ||
2006-07 | 1 | 0 | 0 | 0 | — | — | 1 | 0 | ||||
2007-08 | 10 | 0 | 1 | 0 | — | — | 11 | 0 | ||||
2008-09 | 38 | 3 | 1 | 0 | — | — | 39 | 3 | ||||
2009-10 | 21 | 1 | 1 | 0 | — | — | 22 | 1 | ||||
通算 | 71 | 4 | 3 | 0 | — | — | 74 | 4 | ||||
カリアリ (loan) | 2009-10 | セリエA | 7 | 0 | 0 | 0 | — | — | 7 | 0 | ||
カリアリ | 2010-11 | 36 | 2 | 2 | 0 | — | — | 38 | 2 | |||
2011-12 | 37 | 1 | 2 | 0 | — | — | 39 | 1 | ||||
2012-13 | 34 | 2 | 1 | 0 | — | — | 35 | 2 | ||||
2013-14 | 17 | 2 | 1 | 0 | — | — | 18 | 2 | ||||
通算 | 131 | 7 | 6 | 0 | — | — | 137 | 7 | ||||
ローマ (loan) | 2013-14 | セリエA | 17 | 2 | 3 | 0 | — | — | 20 | 2 | ||
ローマ | 2014-15 | 35 | 5 | 2 | 0 | 9 | 0 | — | 46 | 5 | ||
2015-16 | 35 | 6 | 0 | 0 | 7 | 0 | — | 42 | 6 | |||
2016-17 | 37 | 11 | 4 | 2 | 12 | 1 | — | 53 | 14 | |||
2017-18 | 31 | 4 | 0 | 0 | 11 | 2 | — | 42 | 6 | |||
通算 | 155 | 28 | 9 | 2 | 39 | 3 | — | 203 | 33 | |||
インテル | 2018-19 | セリエA | 29 | 6 | 1 | 0 | 6 | 1 | — | 36 | 7 | |
2020-21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 1 | 0 | |||
通算 | 30 | 6 | 1 | 0 | 6 | 1 | — | 37 | 7 | |||
カリアリ (loan) | 2019-20 | セリエA | 26 | 6 | 3 | 0 | — | — | 29 | 6 | ||
総通算 | 403 | 51 | 22 | 2 | 45 | 4 | — | 480 | 57 |
代表数
国際Aマッチ 30試合 6得点(2009年-2018年)
ベルギー代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2009 | 1 | 0 |
2011 | 1 | 0 |
2012 | 1 | 0 |
2013 | 1 | 0 |
2014 | 4 | 2 |
2015 | 9 | 2 |
2016 | 9 | 2 |
2017 | 3 | 0 |
2018 | 1 | 0 |
通算 | 30 | 6 |
代表での得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2014年3月5日 | ![]() |
![]() |
2–0 | 2–2 | 親善試合 |
2 | 2014年10月13日 | ![]() |
![]() |
1–1 | 1–1 | UEFA EURO 2016予選 |
3 | 2015年6月6日 | ![]() |
![]() |
0–3 | 3–4 | 親善試合 |
4 | 2015年10月10日 | ![]() |
![]() |
0–1 | 1–4 | UEFA EURO 2016予選 |
5 | 2016年6月22日 | ![]() |
![]() |
0–1 | 0–1 | UEFA EURO 2016 |
6 | 2016年7月1日 | ![]() |
![]() |
0–1 | 3–1 | UEFA EURO 2016準々決勝 |
獲得タイトル
個人
- セリエA チーム・オブ・ザ・イヤー:2014-15, 2015-16
- セリエA 月間最優秀選手賞 2019-20, 11月
代表大会
- ベルギー代表
- 2018年 - UEFA EURO 2016(ベスト8)
脚注
- ^ a b c d e f g “ローマに首位追撃の秘密兵器が加入。“Ninja”ナインゴランの数奇な人生。”. NumberWeb (2014年1月22日). 2014年1月22日閲覧。
- ^ “Tottenham incar Radja Nainggolan”. Tempo. (2013年6月12日). 2014年1月24日閲覧。
- ^ a b c “La GdS racconta Nainggolan: cresciuto senza padre, salvato dalla madre”. Il Vero Milanista (2013年12月29日). 2014年1月24日閲覧。
- ^ a b c d “ナインゴラン:「ユーヴェで10回優勝するよりローマで1回優勝したい」”. Goal.com. (2015年7月26日) 2014年1月24日閲覧。
- ^ “Radja Nainggolan, serramannese d’adozione”. A Serramanna. (2011年5月11日) 2014年1月24日閲覧。
- ^ “Sorpresa Nainggolan: 'A Firenze meglio che a Lecce'”. Calcio Mercato. (2010年12月3日) 2014年1月24日閲覧。
- ^ ““オシャレ番長”ナインゴラン、CLバルサ戦を前に「まさか」の髪形にする”. Qoly. (2015年9月15日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b “【コラム】ユーヴェへの敵意をむき出しにしたナインゴラン…蒸し返されたローマとの因縁とは”. サッカーキング. (2017年2月14日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “奇抜な外見のローマMFナインゴラン、テロリストに間違えられる”. サッカーキング. (2015年11月20日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ナインゴラン、「仰天イメチェン」!髪が“真っ赤”に”. Qoly. (2018年2月19日) 2018年2月20日閲覧。
- ^ a b c d “「俺はタバコを吸う」ナインゴランが堂々と宣言! ただ、代表では自重すべき?”. サッカーダイジェスト. (2017年3月22日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b c d “ナインゴランがベルギー代表電撃引退へ!? 喫煙問題巡るマルティネス監督との確執が引き金に…”. 超ウルトラサッカー. (2017年8月25日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b c d ““ローマ愛”を貫いたナインゴランが契約延長「居続けることが僕の幸せ」”. the WORLD. (2017年7月28日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ユーベが大嫌い。ローマMFが激白…「彼らはいつもPKやFKで勝利する」”. フットボールチャンネル. (2017年2月10日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ユーベ大嫌いMFが大歓喜。CL優勝逃し…侮辱のオンパレード「なんて素晴らしい夜」”. フットボールチャンネル. (2017年6月6日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ローマを今でも愛するナインゴラン「条件さえ揃えば」”. 超ワールドサッカー (2020年4月27日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “Roma-Cagliari, i tifosi giallorossi a Nainggolan: "Mai un avversario"” (イタリア語). Goal.com. 2020年5月17日閲覧。
- ^ “ナインゴランとローマの愛は永遠! オリンピコ初帰還にロマニスタが最大級の歓迎”. 超ワールドサッカー (2019年10月7日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “ナインゴラン:「ローマの投資に応えたい」”. Goal.com. (2014年1月10日) 2014年1月24日閲覧。
- ^ “インテルMF、1900万円の詐欺被害に。モナコのカジノでの“大負け”も発覚…”. フットボールチャンネル. (2018年12月22日) 2018年12月24日閲覧。
- ^ “インテル、ナインゴランのサッカー活動一時禁止を発表…原因は度重なる遅刻”. フットボールチャンネル. (2018年12月24日) 2018年12月24日閲覧。
- ^ “Nainggolan, oggi la firma sul rinnovo fino al 2016: i dettagli”. gianluca dimarzio. (2013年10月4日) 2014年1月24日閲覧。
- ^ http://www.asroma.it/pdf/corporate/operazioni_di_mercato/2014_01_07_Nainggolan.pdf
- ^ a b c “ナインゴランローマ完全移籍が成立”. GOAL. (2015年6月25日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b “ローマ、ナインゴランの完全移籍を発表…カリアリとの共同保有を解消”. サッカーキング. (2015年6月25日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ナインゴラン、ローマと契約延長「常に望んでいたことを実現できた」”. GOAL. (2017年7月28日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “2ゴールもナインゴランはサポーターに謝罪…先制点献上の痛恨ミス”. Goal.com. (2018年5月3日) 2018年5月4日閲覧。
- ^ “#WelcomeNinja: ナインゴランがネラッズーリの選手に!”. FC Internazionale - Inter Milan (2018年6月26日). 2018年6月26日閲覧。
- ^ “Radja Nainggolan leaves Roma” (英語). www.asroma.com (2018年6月26日). 2018年6月26日閲覧。
- ^ “インテル、イカルディらに戦力外通告。SD「我々のプランの一部ではない」”. フットボールチャンネル. 2020年5月17日閲覧。
- ^ “ラジャ・ナインゴランがカリアリにローン移籍” (jp). www.inter.it/jp (2019年8月5日). 2019年8月5日閲覧。
- ^ “ナインゴランが移籍後初弾となるスーパーミドル!「病気の妻に捧げる」”. 超ワールドサッカー (2019年10月21日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “Nainggolan is November's best”. www.football-italia.net (2019年11月29日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “ナインゴランが古巣カリアリに再復帰、今季終了までのレンタル”. 超ワールドサッカー (2020年12月31日). 2021年1月1日閲覧。
- ^ “インテルMFナインゴラン、3度目となるカリアリ加入が正式決定!今季終了後までの半年レンタル”. Football Tribe (2020年12月31日). 2021年1月1日閲覧。
- ^ “ベルギー、ナインゴランの決勝点守りきり決勝T進出。スウェーデンはGS敗退”. フットボールチャンネル. (2016年6月23日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “[EURO好ゲームを制したのはベルギー! ナインゴランの決勝点で2位突破…スウェーデンは最下位で敗退決定”]. ゲキサカ. (2016年6月23日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ベイル擁するウェールズ、歴史的EURO4強入り! 3得点で強豪ベルギーに完勝”. フットボールチャンネル. (2016年7月2日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ベルギー代表「主力」MF、29歳で代表電撃引退…? 落選にショック「将来を考えなければ」”. フットボールチャンネル. (2017年8月26日) 2017年9月22日閲覧。
- ^ “ベルギー代表ナインゴラン、W杯メンバー招集外に…SNSで代表引退を発表”. サッカーキング. (2018年5月21日) 2018年5月23日閲覧。
外部リンク
- ラジャ・ナインゴラン - National-Football-Teams.com
- ラジャ・ナインゴラン - Soccerwayによる個人成績
- transfermarkt