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「バルス・ボラト・サイン・アラク晋王」の版間の差分

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'''バルス・ボラト・サイン・アラク晋王'''([[1484年]] - [[1531年]])は、[[オルドス]]・トゥメンの晋王([[ジノン]])。[[ダヤン・ハーン]]の三男で、[[アルタン・ハーン]]の父。'''バルス・ボロド'''(barsu bolud)、'''バルス・ボラド'''(barsu bolad)、'''バルスボラド'''(barsubolad)、'''バルスバラド'''(barsubalad)、'''バルスバラド・サイン・アラグ・ハーン'''(barsubalad sayin alaγ qaγan)とも表記され、『[[夷俗記]]』「世系表」では'''賽那剌'''と表記される。<ref>吉田 1998,p232</ref>
'''バルス・ボラト・サイン・アラク晋王'''([[1484年]] - [[1531年]])は、[[オルドス]]・トゥメンの晋王([[ジノン]])。[[ダヤン・ハーン]]の三男で、[[アルタン・ハーン]]の父。'''バルス・ボロド'''(barsu bolud)、'''バルス・ボラド'''(barsu bolad)、'''バルスボラド'''(barsubolad)、'''バルスバラド'''(barsubalad)、'''バルスバラド・サイン・アラグ・ハーン'''(barsubalad sayin alaγ qaγan)とも表記され、『[[夷俗記]]』「世系表」では'''賽那剌'''と表記される。<ref>吉田 1998,p232</ref>


==生涯==
==生涯==
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==子==
==子==
*[[グン・ビリク・メルゲン晋王]]…[[オルドス]]・トゥメンを領す
*[[グン・ビリク・メルゲン晋王]]…[[オルドス]]・トゥメンを領す
*[[アルタン・ハーン]]…[[トゥメト]]・トゥメンを領す
*[[アルタン・ハーン]]…[[トゥメト]]・トゥメンを領す
*ラブク太子…トゥメト・トゥメンのウーシン部を領す
*ラブク太子…トゥメト・トゥメンのウーシン部を領す

2021年8月15日 (日) 03:04時点における版

バルス・ボラト・サイン・アラク晋王1484年 - 1531年)は、オルドス部・トゥメンの晋王(ジノン)。ダヤン・ハーンの三男で、アルタン・ハーンの父。バルス・ボロド(barsu bolud)、バルス・ボラド(barsu bolad)、バルスボラド(barsubolad)、バルスバラド(barsubalad)、バルスバラド・サイン・アラグ・ハーン(barsubalad sayin alaγ qaγan)とも表記され、『夷俗記』「世系表」では賽那剌と表記される。[1]

生涯

1484年、ダヤン・ハーンの三男として生まれる[2]

1508年、兄のウルス・ボラト晋王が右翼のイバライ(イブラヒム)太師、マンドゥライ・アハラフらに殺されたため、トゥメト・トゥメンのチェグト部のホーサイ・タブヌンの家に居たバルス・ボラト一家は、オルドス・トゥメンのコブート部のテムルら7人と共に右翼を脱出し、左翼にいる父ダヤン・ハーンのもとへ逃れた。ダヤン・ハーンはテムルら7人に太師や大ダルハンの称号を与え、右翼三トゥメンに向かって出陣し、ガハイ・エレスンの戦い、ダラン・テリグンの戦いで右翼三トゥメンを降し、ウルス・ボラトの仇を取った[3]

1512年、29歳で晋王(ジノン)の位につき、オルドス・トゥメンを領す[4]

1524年、ダヤン・ハーンが崩御すると、その長男のトロ・ボラト、次男のウルス・ボラトがすでに亡くなっていたため、三男であるバルス・ボラト・サイン・アラク晋王はトロ・ボラトの長男であるボディ・アラクがまだ若いからといって、自ら帝位についた。しかしまもなく、ボディ・アラクは左翼三トゥメンを率いて八白室(ナイマン・チャガン・ゲル:チンギス・カン廟)に跪拝して帝位につくべく、叔父であるバルス・ボラト・サイン・アラク晋王に激しく叱責し、譲位を迫った。激しく叱責されたバルス・ボラト・サイン・アラク晋王はボディ・アラクに帝位を譲り、ボディ・アラクは八白室に跪拝してハーンとなった[5]

1531年、48歳で亡くなり、翌年(1532年)長男のグン・ビリクが後を継いで晋王となる[6]

  • ボダン・ハトン

[7]

脚注

  1. ^ 吉田 1998,p232
  2. ^ 岡田 2004,p239
  3. ^ 岡田 2004,p230-236
  4. ^ 岡田 2004,p251
  5. ^ 岡田 2004,p242
  6. ^ 岡田 2004,p251
  7. ^ 岡田 2004,p250

参考資料

先代
ウルス・ボラト晋王
晋王(ジノン
1512年 - 1531年
次代
グン・ビリク・メルゲン晋王