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| 上映時間 = 146分
| 上映時間 = 146分

2021年8月17日 (火) 23:09時点における版

SAYURI
Memoirs of a Geisha
監督 ロブ・マーシャル
脚本 ロビン・スウィコード
ダグ・ライト
原作 アーサー・ゴールデン
さゆり
製作 ルーシー・フィッシャー
ダグラス・ウィック
スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮 ロジャー・バーンバウム
ゲーリー・バーバー
パトリシア・ウッチャー
ボビー・コーエン英語版
出演者 チャン・ツィイー
渡辺謙
ミシェール・ヨー
役所広司
工藤夕貴
桃井かおり
コン・リー
大後寿々花
音楽 ジョン・ウィリアムズ
撮影 ディオン・ビーブ
編集 ピエトロ・スカリア
製作会社 コロンビア ピクチャーズ
ドリームワークス
スパイグラス・エンターテインメント
アンブリン・エンターテインメント
レッド・ワゴン・エンターテインメント
配給 アメリカ合衆国の旗 コロンビア ピクチャーズ
日本の旗 ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)/松竹
公開 アメリカ合衆国の旗 2005年12月9日
日本の旗 2005年12月10日
上映時間 146分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $85,000,000[1]
興行収入 $162,242,962[1]
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SAYURI』(Memoirs of a Geisha)は、2005年アメリカ映画1997年アメリカ合衆国で出版されたアメリカ人作家のアーサー・ゴールデンによる小説さゆり』を原作とした作品である。

監督はロブ・マーシャル、主演はチャン・ツィイー第二次世界大戦前後にかけて京都で活躍した芸者の話である。第78回アカデミー賞で6部門ノミネートされ、3部門で受賞した(この年の最多受賞タイ)。

あらすじ

1929年世界恐慌の折、貧しい漁村の9歳の少女、千代が京都祇園を模した架空の町の花街の置屋に売られ、厳しい生活の中で人気芸者に成長していく姿を描いている。第二次世界大戦へ向けて戦時色が強まってゆく日本を背景に、戦争、敗戦といった社会の変化によって影響される人生を表現している。

キャスト

※()内は日本語吹替え

キャスティングにまつわる論争

中心人物を日本人が演じていない。キャスティングは奈良橋陽子が担当しているが、主演のチャン・ツィイーとコン・リーは中国人、ミシェル・ヨーはマレーシア人である。

また、このキャスティングは中国のインターネット・コミュニティーで物議を醸した。中国政府と一部の煽動により反日感情が伴って喜ばしく思わない人々がいたのだが、特に芸者売春婦と誤解していることも原因のひとつである[要出典]

昔の中国には、芸者と同様の職業が存在している[要出典]。彼女たちは芸術、文学、歴史、社会慣習に通じていた。売春宿に住んではいたが、体を売って生活していたわけではなく、音楽やチェス、書画などで男性のゲストをもてなしていたのである。中国語ではこれを"賣藝不賣身(体の代わりに芸を売る)"と呼ぶ。彼女たちは高度に洗練され、名声がある(無数の中国の詩歌、文学、伝説民間伝承に登場する[要出典])一方、日本の芸者のような地位を得ることはなく、この文化の違いに馴染んでいない人々が、芸者を否定的に誤解したのである[要出典]

これは、芸者に対する中国語の名称で説明される。日本語では"芸者"と書かれるが、中国語では"藝伎/艺伎"と書かれる。日本語の“芸妓”は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった。しかし、多くの人が、故意ではないにしろ[要出典](過激な国家主義者の場合は故意にだが[要出典])、"藝妓/艺妓"と書く。この二つの非常によく似た文字 "伎" と "妓" の現代中国語のおける違いは、前者が芸術、技術の専門家を意味し、後者は売春婦を意味する点にある[要出典]。しかしながら、古典中国語では両方とも正しく[要出典](“伎”は男性用、"妓"は女性用です)、ともにチャン・ツィイーが『LOVERS』で演じたような、音楽と踊りで男性客をもてなすことを職業とする女性を表すのに使われた。文化の特定の一部分であることと"妓"の意味が変化したことは、中国の人々にとって、「チャン・ツィイー、コン・リーが日本関係の映画に出演するのはかまわない[要出典](実際チャン・ツィイーは、鈴木清順監督作『オペレッタ狸御殿』で主演している)が、売春婦役は受け入れられない」という間違った議論を招いた。この為、中国での反日感情を煽るとの理由から中国での同映画の上映中止が決まった[要出典]

否定的な反応の一部は、「中国映画では、有名女優が売春婦を演じることは比較的稀なためである」という意見もある[要出典]。香港でさえ、ミシェル・ヨーは、「なぜこのような選択をしたのか」と彼女に問いつめるリポーターに囲まれた(しかし、たとえばセシリア・チャンが『ワン・ナイト・イン・モンコック』(2004年)で売春婦を演じたときは論争はなく、大部分の中国人は気にしなかった)。

アメリカでも批判が起き、「日本を舞台にした映画で、日本人が主人公なのに日本人を使わないのか」「主人公は日本人でハリウッドデビューを果たした栗山千明小雪を使うべきだった」という意見もあった[要出典]。しかしこのキャスティングは、ハリウッド映画業界での組合協定のためである。 [2]

日本描写に対する批判

映画中で描かれる日本像には、特に日本において公開当初から疑問の声が多数上がった。代表的なものとして、

  • 着物の着方(左前、帯でウエストを強調など)
  • 所作(歩き方など)
  • 建造物など舞台美術に中国的要素が強い
  • 舞踊があまりに前衛的
  • 旦那衆が座敷遊びを知らない
  • 神社の鈴緒を鳴らすシーンで鐘の音が響く

などが挙げられている。

しかしいずれにしても、製作陣は事前視察に日本を訪れており、可能な限り日本、特に芸者の文化・慣わしなどを調べたうえで映画製作にあたった。全編が日本を舞台としており、その上日本の繊細かつ深遠な文化に焦点を当てた作品であるため、製作はかなりの難易度を伴ったが、「日本の美」の体現を意欲的に目指した努力作であるとはいえる。

中国人女優への芸者からの贈り物

この映画のプロモーションで東京を訪れたチャン・ツィイーは、かつて芸者をしていた年配の日本人女性から包みと手紙を受け取った。手紙には彼女が映画の予告編を見て、彼女と彼女の友人に古き良き思い出を思い出させてくれることを期待しているということが書かれていた。包みの中には非常に優美な着物が入っていた。チャン・ツィイーはとても感動し、涙を流し、この女性に上映初日の招待状を送った。さらに彼女への感謝の意を表すために、このうちの一着を着ることを約束した(The Star Onlineより)。

原作

脚注

  1. ^ a b Memoirs of a Geisha (2005)”. Box Office Mojo. 2010年2月5日閲覧。
  2. ^ ハリウッド映画に俳優として出演するためには、アクターズギルド(映画俳優組合、SAG)の所属実績があり、かつ映画のバジェット(制作規模)に応じた俳優ランクを持つ必要がある。そのシステムのため、どんなに本国での人気や実績があろうと、ハリウッド映画での実績・エージェントの能力や作品プロデューサーの強力な権限がなければ、端役にもキャスティングされない[要出典]

関連項目

外部リンク