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ブレンターノの心理的(または現象学的)な志向性への着目は、 [[カール・シュトゥンプ]]のベルリン実験心理学派、アントン・マーティ(Anton Marty)の言語学における[[プラハ学派]]、[[アレクシウス・マイノング]]の実験心理学における[[:en:Graz School | Graz School]]、[[カジミェシュ・トヴァルドフスキ]]の哲学における[[:en:Lwów–Warsaw school | Lwów–Warsaw school]]、[[エドムント・フッサール]]の[[現象学]]に受け継がれている<ref>Uriah Kriegel, [http://philpapers.org/archive/KRIPIP.pdf "Phenomenal intentionality past and present: introductory], ''Phenomenology and the Cognitive Sciences'' '''12'''(3):437–444 (2013).
ブレンターノの心理的(または現象学的)な志向性への着目は、 [[カール・シュトゥンプ]]のベルリン実験心理学派、アントン・マーティ(Anton Marty)の言語学における[[プラハ学派]]、[[アレクシウス・マイノング]]の実験心理学における[[:en:Graz School | Graz School]]、[[カジミェシュ・トヴァルドフスキ]]の哲学における[[:en:Lwów–Warsaw school | Lwów–Warsaw school]]、[[エドムント・フッサール]]の[[現象学]]に受け継がれている<ref>Uriah Kriegel, [http://philpapers.org/archive/KRIPIP.pdf "Phenomenal intentionality past and present: introductory], ''Phenomenology and the Cognitive Sciences'' '''12'''(3):437–444 (2013).
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== 著作 ==
== 著作 ==

2021年9月4日 (土) 16:37時点における版

フランツ・ブレンターノ
Franz Clemens Honoratus Hermann Brentano
生誕 (1838-01-16) 1838年1月16日
プロイセン王国,ライン県(Rhine Province),ライン川沿岸マリーエンブルク(Marienberg am Rhein)
死没 (1917-03-17) 1917年3月17日(79歳没)
スイスの旗 スイスチューリッヒ
時代 19世紀の哲学
地域 西洋哲学
出身校 ミュンヘン大学
ベルリン大学
ミュンスター大学
テュービンゲン大学
(PhD, 1862)
ヴュルツブルク大学
(Dr. phil. hab., 1866)
配偶者
  • Ida Lieben
    (m. 1880–1894; her death)
  • Emilie Rueprecht
    (m. 1897–1917; his death)
学派 ブレンターノ学派
アリストテレス主義
志向性主義 ("作用心理学")[1]
経験的心理学[2]
オーストリア現象学[3]
オーストリア実在論[4][5]
研究機関 ヴュルツブルク大学
(1866–1873)
ウィーン大学
(1873–1895)
研究分野 存在論
心理学
主な概念 志向性,
志向対象,
発生心理学経験的/記述的心理学との差異,[6]
distinction between sensory and noetic consciousness (presentations of sensory objects or intuitions versus thinking of concepts)[7][8]
the judgement–predication distinction,
time-consciousness[6]
博士課程指導教員 Franz Jakob Clemens
(PhD thesis advisor)
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フランツ・ブレンターノFranz Clemens Honoratus Hermann Brentano1838年1月16日 - 1917年3月17日)は、オーストリア哲学者心理学者。哲学の世界に志向性の概念を再導入し現象学の基盤を作った。作用心理学の祖[13]。論理学においては判断の理論を展開した。エドムント・フッサールアレクシウス・マイノングなどに多大な影響を与えた。ブレンターノに指導を受けた、あるいは強い影響を受けた学者らを「ブレンターノ学派」とも呼ぶ。

生涯

フランツ・ブレンターノは、1838年に、バイエルン王国アシャフェンブルクのイタリア出身のドイツの名門ブレンターノ家の子として、ボッパルト付近、ライン川沿岸マリーエンブルクで生まれた。ドイツ・ロマン主義の代表的な小説家クレメンス・ブレンターノは伯父、有名な女流詩人ベッティーナ・フォン・アルニムは伯母である。また、弟ルヨ・ブレンターノ経済学者としてその名を残している。父クリスティアン・ブレンターノはカトリックの宗教的な著述家であったという。父は早くに死んだので、フランツはもっぱらその母エミリエによって、敬虔なカトリックの精神的雰囲気の内で育てられた[14]

ミュンヘンヴュルツブルクベルリンミュンスターの各大学で哲学神学を学び、1862年テュービンゲン大学で学位取得した。1864年にカトリックの司祭に奉職し、1866年ヴュルツブルク大学で教授資格を取得する。しかし、司祭職に関しては、哲学的動機により、カトリックの教義に疑念を持つようになり、1873年に辞任した。これが波紋となり、ヴュルツブルク大学も去り、フランツ・ヨーゼフ1世(在位:1848年 - 1916年)帝政下の1874年ウィーン大学へと移る。この年に、「経験的立場からの心理学」を出版。1880年には、ウィーン大学の教授を辞し、同大の私講師になった。1884年から1886年にかけてはフッサールがブレンターノの講義を聞きに来ていた。しかし、1895年には教職を辞して[15]フィレンツェに移住した。この年、ミュンヘンにおける第三回国際心理学会に出席し『感覚論について』という講演を行った。1914年に勃発した第一次世界大戦を避け、チューリッヒへ移住し、同地で1917年に没した。79歳だった。

思想

ブレンターノはドイツ観念論のような思弁による概念構成の哲学を退け、経験的立場からの哲学を主張した。ブレンターノは人間の内部意識に中心を置き、内的心的現象を分析することを通して、哲学的体系を構築しようとしたことから、彼の哲学の基盤は「心的現象の学」としての心理学であった[16]。したがって、その心的現象と呼ばれるものを定義するために、経験的に得られる所与(data)としての現象を、心的現象とその対立概念である物的現象に分類する必要があった。

我々は内部になにか現象が発生するとき、すなわち所与(data)を得るときは、五感による外部知覚を介すか、もしくは、その得た所与から引き起こされる内的現象を内部知覚を介して認識する。ブレンターノは、色・音・暖・冷などの五感で知覚された所与、現象を物的現象と呼び、その物的現象を得ることで引き起こされる、内部知覚でしか認識できない内的現象(感情など)のことを心的現象と呼んだ。さらに、そのような心的現象を引き起こすような、外部知覚で知覚される対象は志向性Intentionalität、指向性とも書く)を持つとした。

ふつう心理は、五感で知覚された所与の認識だけではなく、それらを原因とする内的に発生する現象の因果的連鎖からなると考えられるので、この志向性の概念は、心理学や現象学へ大きな影響を与えた。他にアリストテレス研究や哲学史美学形而上学認識論などに業績を持つ。

業績

志向性(Intentionality)

ブレンターノは、彼の講義及び論文Psychologie vom empirischen Standpunkt(経験的立場からの心理学)において、志向性(intentionality)の概念(スコラ哲学から派生した概念である)を現代哲学に再導入したことで最もよく知られる。ブレンターノは、しばしば単純に「アバウトネス」または精神的行動と外部世界間の関係と要約されるものをさらに、物的現象から区別することができるものとして、心的現象の主たる特徴づけとして定義した。全ての心的現象、全ての心理学的行為は内容を持ち、その対象(志向対象)への向きづけを持っている。全ての信念、欲望その他は、それらを志向させる対象、すなわち、信じられるもの、欲望されるものに繋がっている。ブレンターノは「志向的な非存在物」という表現を使って、心の中における思考の対象という状態を指し示した。志向的存在の性質、言い換えれば志向対象の持ちうる性質、は心的現象と物的現象を区別するための鍵となる特徴である。なぜならば、ブレンターノの定義によれば、物的現象は本来の志向性を生み出す能力に欠けており、ただ彼が派生的な志向性とした間接的な方法で、志向的関係を促進することができるだけである。

Every mental phenomenon is characterized by what the Scholastics of the Middle Ages called the intentional (or mental) inexistence of an object, and what we might call, though not wholly unambiguously, reference to a content, direction towards an object (which is not to be understood here as meaning a thing), or immanent objectivity. Every mental phenomenon includes something as object within itself, although they do not all do so in the same way. In presentation something is presented, in judgement something is affirmed or denied, in love loved, in hate hated, in desire desired and so on. This intentional in-existence is characteristic exclusively of mental phenomena. No physical phenomenon exhibits anything like it. We could, therefore, define mental phenomena by saying that they are those phenomena which contain an object intentionally within themselves.— Franz Brentano, Psychology from an Empirical Standpoint, edited by Linda L. McAlister (London: Routledge, 1995 [1874]), pp. 88–89.

ブレンターノは発生心理学(genetic psychology)記述心理学(descriptive psychology)との違いを導入した[17]。彼の用語法によれば、発生心理学は第三者からみたときの心的現象の研究であり、経験主義的実験(したがって、我々が今日、経験主義的科学に期待する科学的基準を満たす)の使用を要する[6](この概念は経験主義的心理学(empirical psychology)[18]認知科学[18]、またはヘテロ現象学と呼ばれるものとほぼ等価であり、明示的な第三者による意識(consciousness)の研究への科学的なアプローチである)。記述心理学の狙いは、反対に、一人称の立場から意識の記述をすることにある[6]。後者のアプローチは、フッサール現象学派がさらに発展させた[19]

知覚の理論(Theory of perception)

彼はまた、"Wahrnehmung ist Falschnehmung"(「知覚は誤解である」)、つまり知覚が誤っていると主張することでもよく知られる。実際、彼は、外的な感覚的知覚は、知覚された世界の現実の存在性について何も教えてくれず、それが単に幻想である可能性があると主張した。しかしながら、我々は我々の内的知覚は絶対的に確信することができる。私がある音色を聞いたとき、私は現実世界においてその音色が存在したということを完璧に確信するということはできないが、私がそれを聞いたということは絶対的に確信している。私が音色を聞いたという事実に関するこの自覚は内的知覚(internal perception)と呼ばれる。外的知覚、感覚的知覚は、知覚された世界についての仮説を生み出すだけであり、真実を生み出すことはできない。すなわち、彼と多くの彼の学生(特に、カール・シュトゥンプエドムント・フッサール)は、自然科学は仮説を生み出すだけで、決して数学や純論理学的な普遍的、絶対的な真理を生み出すことはできないと感じた。

しかしながら、「経験的立場からの心理学」(Psychologie vom Empirischen Standpunkte)の再版において、ブレンターノは以前のこの見解を撤回した。彼はその仕事の中で以前の議論をやり直すことなしに理論づけようとしたが、彼は完全に失敗したと言われる。新しい観点では我々が音を聞く時、我々は外部世界から何かを聞いているのであって、内的知覚の物的現象があるわけではない[20]

判断の理論(Theory of judgement)

フランツ・ブレンターノ(撮影年不明)

ブレンターノは、現在支配的な(フレーゲの)見解とは異なる判断理論を持っていた。ブレンターノの判断理論の中心にあるのは、判断は知覚対象(presentation)に依存するという考えであるが、この知覚対象を述べる必要はない。 もっと強い言明としては、ブレンターノは叙述(predication)は判断において必須でさえないと考えた。なぜならば、叙述的内容を持たない判断というものがあるからである。彼の理論のもう一つの基礎的側面としては、常に存在論的であるという点がある。このいわゆる存在論的な主張は、誰かが S is P と判断しているとき、彼/彼女は P であるいくつかの S が存在すると判断することを導く(ブレンターノは全ての判断[及び知的対象を組み合わせた全ての他の種類の判断]が S is P という形式を持つという考えは否定したことに注意せよ)。ブレンターノは、例えば「火星が存在する」というときの判断はただ一つの知覚対象を持つ、というように単一の知覚対象から生じる判断もあると主張した。ブレンターノ自身の記法を用いれば、判断は常に次の形式を持つ。つまり’+ A'(A が存在) または '- A'(Aは存在しない)。

ブレンターノの三つ目の基本的な主張、つまり全ての判断は肯定的(A 存在と判断)または否定的(A 非存在と判断)のどちらかであるという考えを組み合わせると、ブレンターノの判断理論の全体像がわかる。ここで、小人(midgets)が存在するかどうかをということをあなたが疑っているところを想像せよ。その時点で、あなたの心の中に小人の知覚対象を持っているとする。あなたは小人は存在しないと判断するとき、その知覚対象はその何者かが存在することを提示してくれるものではなかったと判断している。このときあなたはそこでの判断を言葉で言う必要も他の方法で述べる必要もない。全ての判断は、あなたが持っている知覚対象の存在の否定的(または肯定的)あり方で生じる。

ブレンターノの判断理論の問題は、全ての判断は存在論的判断であるという考えであるというところではなく(普通の判断を存在論的なものに変換するのはしばしば非常に複雑な企てであるものの)、本当の問題は、ブレンターノが対象と知覚対象の区別を行わなかったというところである。知覚対象はあなたの心の中で対象として存在する。したがって、あなたは A が存在しないと実際に判断することはできない。なぜならば、もしかしたらあなたが知覚対象がそこに無いとも判断するかもしれないからである(全ての判断は知覚対象として判断される対象を持つというブレンターノの考えによれば、これは不可能である)。カジミェシュ・トヴァルドフスキはこの問題を認め、対象は知覚対象と等価であるということを否定することでこの問題を解決した。これは実際にはブレンターノの知覚の理論の変更に過ぎないが、判断の理論においても歓迎すべき結論をもたらす。すなわち、(存在する)知覚対象を持つことはできるが、同時に対象が存在しないという判断もできる。

影響

マルティン・ハイデッガーは、若い頃、ブレンターノの初期作品「アリストテレスに関するいくつかの感覚("On the Several Senses of Being in Aristotle")」に非常に触発された。 ブレンターノの心理的(または現象学的)な志向性への着目は、 カール・シュトゥンプのベルリン実験心理学派、アントン・マーティ(Anton Marty)の言語学におけるプラハ学派アレクシウス・マイノングの実験心理学における Graz Schoolカジミェシュ・トヴァルドフスキの哲学における Lwów–Warsaw schoolエドムント・フッサール現象学に受け継がれている[21]。ブレンターノの仕事は、ケンブリッジ大学ジョージ・エドワード・ムーアバートランド・ラッセルの教師であったジョージ・スタウト( George Stout[12]にも影響を与えた[22]

関数型プログラミング言語の基礎理論としても用いられるペール・マルティン=レーフ直観主義型理論において、判断形式(judgement form)の道具立ての考え方は、ブレンターノの判断理論が決定的な役割を果たしていると言われる。

著作

  • (1862) 「アリストテレスによる存在者のさまざまな意味について」On the Several Senses of Being in Aristotle (Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles (博士論文)) (online)
  • (1867) 「アリストテレスの心理学、とくに彼のヌース・ポイエティコスの説について」The Psychology of Aristotle (Die Psychologie des Aristoteles, insbesondere seine Lehre vom Nous Poietikos (教員資格論文1865/66)) (online)
  • (1874) 「経験的立場からの心理学」第1巻 Psychology from an Empirical Standpoint (Psychologie vom empirischen Standpunkt) (online)
    • (1924–25) Psychologie vom empirischen Standpunkt. Ed. Oskar Kraus, 2 vols. Leipzig: Meiner. ISBN 3-7873-0014-7[23]
  • (1876) Was für ein Philosoph manchmal Epoche macht (プロティノス批判) (Online)
  • (1889) 「道徳的認識の源泉について」[24]The Origin of our Knowledge of Right and Wrong (Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis) (1902 English edition online)
  • (1911) 「アリストテレスとその世界観」Aristotle and his World View (Aristoteles und seine Weltanschauung)
  • (1911) 「心的現象の分類について」The Classification of Mental Phenomena (Von der Klassifikation der psychischen Phänomene)
  • (1930) The True and the Evident (Wahrheit und Evidenz)
  • (1976) Philosophical Investigations on Space, Time and Phenomena (Philosophische Untersuchungen zu Raum, Zeit und Kontinuum)
  • (1982) 「記述的心理学」Descriptive Psychology (Deskriptive Psychologie)

全集

  • Sämtliche veröffentlichte Schriften in zehn Bänden (Collected Works in Ten Volumes, edited by Arkadiusz Chrudzimski and Thomas Binder), Frankfurt: Ontos Verlag (now Walter de Gruyter).
    • 1. Psychologie vom empirischen Standpunkte — Von der Klassifikation der psychischen Phänomene (2008)
    • 2. Untersuchungen zur Sinnespsychologie (2009)
    • 3. Schriften zur Ethik und Ästhetik (2010)
    • 4. Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles (2014)

年表

1838年(0歳)
ドイツのマリエンブルグに生誕
1862年(24歳)
処女作『アリストテレスによる存在者のさまざまの意味について』(Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles)を出版。当時の学界の大御所的存在であり、アリストテレス研究者として有名なトレンデレンブルグの賞賛を得た。テュービンゲン大学で学位を得る。
1864年(26歳)
ブレンターノ、カトリック教会の司祭となる。
1866年(28歳)
ブレンターノ、ヴュルツブルグ大学の私講師となる。
1872年(34歳)
ブレンターノ、ヴュルツブルグ大学の助教授となる。
1873年(35歳)
司祭の職を捨てるとともに、カトリック教会から離脱する。このことが原因でヴュルツブルグ大学の教職を辞することになる。
1874年(36歳)
ブレンターノ、ウィーン大学の教授として招かれる。『経験的立場からの心理学』第一巻(Psychologie vom empirischen Standpunkt Bd. I)を出版。
1879年(41歳)
ブレンターノ、Ida Liebenと結婚。
1884年(56歳)
ブレンターノ、Ida Liebenと死別。
1895年(57歳)
ブレンターノはウィーン大学の私講師を辞め、その後は主としてイタリアのフィレンツェに住む。
1896年(58歳)
ブレンターノ、ミュンヘンで開かれた国際心理学会において、「感覚について」の講演を行う。
1897年(59歳)
ブレンターノ、Emilie Rueprechtと結婚
1914年(76歳)
第一次世界大戦起こる。ブレンターノ、難を避けてスイスのチューリヒに移る。
1917年(79歳)
ブレンターノ、チューリヒで死す。

関連項目

関連人物

脚注

  1. ^ Franz Brentano – Britannica.com
  2. ^ E. B. Titchener, "Brentano and Wundt: Empirical and Experimental Psychology", The American Journal of Psychology, 32(1) (Jan. 1921), pp. 108–120.
  3. ^ Robin D. Rollinger, Austrian Phenomenology: Brentano, Husserl, Meinong, and Others on Mind and Object, Walter de Gruyter, 2008, p. 7.
  4. ^ Gestalt Theory: Official Journal of the Society for Gestalt Theory and Its Applications (GTA), 22, Steinkopff, 2000, p. 94: "Attention has varied between Continental Phenomenology (late Husserl, Merleau-Ponty) and Austrian Realism (Brentano, Meinong, Benussi, early Husserl)".
  5. ^ Robin D. Rollinger, Austrian Phenomenology: Brentano, Husserl, Meinong, and Others on Mind and Object, Walter de Gruyter, 2008, p. 114: "The fact that Brentano [in Psychology from an Empirical Standpoint] speaks of a relation of analogy between physical phenomena and real things existing outside of the mind obviously indicates that he is a realist and not an idealist or a solipsist, as he may indeed be taken to at first glance. Rather, his position is a very extreme representational realism. The things which exist outside of our sensations, he maintains, are in fact to be identified with the ones we find posited in the hypotheses of natural sciences."
  6. ^ a b c d Huemer, Wolfgang. "Franz Brentano". In Zalta, Edward N. (ed.). Stanford Encyclopedia of Philosophy (英語).
  7. ^ Brentano, F., Sensory and Noetic Consciousness: Psychology from an Empirical Standpoint III, International Library of Philosophy and Scientific Method, Routledge & Kegan Paul, 1981.
  8. ^ Biagio G. Tassone, From Psychology to Phenomenology: Franz Brentano's 'Psychology from an Empirical Standpoint' and Contemporary Philosophy of Mind, Palgrave Macmillan, 2012, p. 307.
  9. ^ Edoardo Fugali, Toward the Rebirth of Aristotelian Psychology: Trendelenburg and Brentano (2008).
  10. ^ Robin D. Rollinger, Husserl's Position in the School of Brentano, Phaenomenologica 150, Dordrecht: Kluwer, 1999, Chap. 2: "Husserl and Bolzano", p. 70.
  11. ^ Barry Smith, "Aristotle, Menger, Mises:An Essay in the Metaphysics of Economics", History of Political Economy, Annual Supplement to vol. 22 (1990), 263–288.
  12. ^ a b Liliana Albertazzi, Immanent Realism: An Introduction to Brentano, Springer, 2006, p. 321.
  13. ^ 今田(1962) p.226
  14. ^ 世界の名著51(1970)p.8
  15. ^ このときちょうど入れ替わるようにプラハ大学からウィーン大学哲学教授に就任したのが1885年刊行の『感覚の分析』で知られていたエルンスト・マッハであった。
  16. ^ 小倉(1986) p.52,72
  17. ^ The first published occurrence of the term is in Brentano's Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis (The Origin of our Knowledge of Right and Wrong) published in 1889 (see Franz Brentano, Descriptive Psychology, Routledge, 2012, "Introduction").
  18. ^ a b Dale Jacquette (ed.), The Cambridge Companion to Brentano, Cambridge University Press, 2004, p. 67.
  19. ^ Anna-Teresa Tymieniecka, Phenomenology World-Wide: Foundations — Expanding Dynamics — Life-Engagements A Guide for Research and Study, Springer, 2014, p. 18: "[Husserl] entrusts this analysis to a pure or phenomenological psychology whose links with Brentano's descriptive psychology are still clearly visible."
  20. ^ See Postfix in the 1923 edition (in German) or the 1973, English version (ISBN 0710074255, edited by Oskar Kraus; translated [from German] by Antos C. Rancurello, D. B. Terrell and Linda López McAlister; English edition edited by Linda López McAlister).
  21. ^ Uriah Kriegel, "Phenomenal intentionality past and present: introductory, Phenomenology and the Cognitive Sciences 12(3):437–444 (2013).
  22. ^ Maria van der Schaar, G. F. Stout and the Psychological Origins of Analytic Philosophy, Springer, 2013, p. viii.
  23. ^ Franz Brentano Archiv Graz
  24. ^ 世界の名著51(1970)収録

参考文献

  • 小倉 貞秀『ブレンターノの哲学』以文社、1986年。 
  • 細谷 恒夫(編) 編『世界の名著』 51巻、中央公論社、1970年。 
  • 今田 恵『心理学史』岩波書店、1962年。 
  • マイケル・ダメット 著、野本 和幸(訳) 編『分析哲学の起源』勁草書房、1998年。 

外部リンク