コンテンツにスキップ

「マイケル・コーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
25行目: 25行目:
* {{仮リンク|サウスカロライナ・アップステート大学|en|University of South Carolina Upstate}}
* {{仮リンク|サウスカロライナ・アップステート大学|en|University of South Carolina Upstate}}
* {{仮リンク|チャールストン大学|en|College of Charleston}}
* {{仮リンク|チャールストン大学|en|College of Charleston}}
* [[ロサンゼルス・エンゼルス (MLB)|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]] (2010 - 2011, 2013 - 2014)
* [[ロサンゼルス・エンゼルス|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]] (2010 - 2011, 2013 - 2014)
* [[アトランタ・ブレーブス]] (2015)
* [[アトランタ・ブレーブス]] (2015)
|選出国 =
|選出国 =
36行目: 36行目:
== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== プロ入りとエンゼルス時代 ===
=== プロ入りとエンゼルス時代 ===
{{by|2008年}}の[[2008年のMLBドラフト|MLBドラフト]]ら13巡目(全体409位)で[[ロサンゼルス・エンゼルス (MLB)|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]か指名され、[[6月11日]]に契約。この年は傘下の[[パイオニアリーグ]]のルーキー級{{仮リンク|オレム・オウルズ|en|Orem Owlz}}で16試合に登板し、2勝0敗・防御率1.93だった。
{{by|2008年}}の[[2008年のMLBドラフト|MLBドラフト]]ら13巡目(全体409位)で[[ロサンゼルス・エンゼルス|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]か指名され、[[6月11日]]に契約。この年は傘下の[[パイオニアリーグ]]のルーキー級{{仮リンク|オレム・オウルズ|en|Orem Owlz}}で16試合に登板し、2勝0敗・防御率1.93だった。


{{by|2009年}}は、A級[[シーダーラピッズ・カーネルズ]]で28試合に登板し、4勝1敗6セーブ・防御率2.19だった。7月にA+級[[ランチョクカモンガ・クエークス]]へ昇格。22試合に登板し、2勝0敗2セーブ・防御率0.94だった。
{{by|2009年}}は、A級[[シーダーラピッズ・カーネルズ]]で28試合に登板し、4勝1敗6セーブ・防御率2.19だった。7月にA+級[[ランチョクカモンガ・クエークス]]へ昇格。22試合に登板し、2勝0敗2セーブ・防御率0.94だった。

2021年9月12日 (日) 00:01時点における版

マイケル・コーン
Michael Kohn
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムでの現役時代
(2013年6月11日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州カーショー郡カムデン
生年月日 (1986-06-26) 1986年6月26日(37歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 MLBドラフト13巡目(全体409位)
初出場 2010年7月26日
最終出場 2015年5月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マイケル・トーマス・コーンMichael Thomas Kohn, 1986年6月26日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州カーショー郡カムデン出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

プロ入りとエンゼルス時代

2008年MLBドラフトら13巡目(全体409位)でロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムか指名され、6月11日に契約。この年は傘下のパイオニアリーグのルーキー級オレム・オウルズ英語版で16試合に登板し、2勝0敗・防御率1.93だった。

2009年は、A級シーダーラピッズ・カーネルズで28試合に登板し、4勝1敗6セーブ・防御率2.19だった。7月にA+級ランチョクカモンガ・クエークスへ昇格。22試合に登板し、2勝0敗2セーブ・防御率0.94だった。

2010年は、AA級アーカンソー・トラベラーズで開幕を迎え、5月にAAA級ソルトレイク・ビーズへ昇格。AAA級ソルトレイクでは26試合に登板し、3勝2敗8セーブ・防御率1.95だった。7月26日にメジャー昇格を果たし、同日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たした[1]。1点差を追う9回表から登板したが、打者4人に対し、2安打2失点1四球で1死しか取れず、途中降板となった。9月17日タンパベイ・レイズ戦では同点の8回裏から登板し、1回を1安打3四球と荒れたものの、無失点に抑え、直後の9回表にエンゼルスが勝ち越したため、メジャー初勝利を挙げた[2]。この年は24試合に登板し、2勝0敗1セーブ・防御率2.11だった。

2011年は、開幕ロースター入りを果たしたが、4月10日にAAA級ソルトレイクへ降格。6月20日に再昇格したが、7月20日に再びAAA級ソルトレイクへ降格した。この年は14試合に登板し、0勝1敗1セーブ・防御率7.30だった。

2012年4月4日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りし、トミー・ジョン手術を行った。5月21日に60日間の故障者リストへ異動し、シーズンを全休した。

2013年3月2日に、エンゼルスと1年契約に合意。3月15日にAAA級ソルトレイクへ異動した。4月19日にメジャーへ昇格した。この年は自己最多の63試合に登板し、1勝4敗・防御率3.74だった。

2014年9月2日DFAとなった[3]9月8日にマイナー降格を拒否し、FAとなった[4]

ブレーブス時代

2014年10月16日にレイズとマイナー契約を結んだ[5]が、11月20日にDFAとなった[6]12月4日アトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[7]

2015年3月30日に傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスへ配属され[8]、開幕を迎えた。その後、4月24日に昇格した。9月14日に40人枠外となり、10月5日にFAとなった[9]

ツインズ傘下時代

2017年7月20日ミネソタ・ツインズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスに配属された[9]

2018年2月6日、スプリングトレーニングに招待選手として参加することが決まった[9]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2010 LAA 24 0 0 0 0 2 0 1 1 1.000 95 21.1 17 0 16 1 0 20 0 0 5 5 2.11 1.55
2011 14 0 0 0 0 0 1 1 1 .000 60 12.1 14 6 9 0 1 9 1 0 10 10 7.30 1.86
2013 63 0 0 0 0 1 4 0 8 .200 231 53.0 42 7 28 3 3 52 4 0 22 22 3.74 1.32
通算:3年 101 0 0 0 0 3 5 2 10 .375 386 86.2 73 13 53 4 4 81 5 0 37 37 3.84 1.45
  • 2013年度シーズン終了時

背番号

  • 58 (2010年 - 2011年、2013年 - 2015年)

脚注

関連項目

外部リンク