「マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ」の版間の差分
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2021年9月17日 (金) 22:39時点における版
マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ Мария-Луиза Бурбон-Пармска | |
---|---|
ブルガリア公妃 | |
出生 |
1870年1月17日 ローマ |
死去 |
1899年1月31日(29歳没) ブルガリア公国、ソフィア |
埋葬 | ブルガリア公国、プロヴディフ、聖ルイ王大聖堂 |
配偶者 | ブルガリア公フェルディナント |
子女 |
ボリス3世 キリル エヴドキヤ ナデジダ |
家名 | ブルボン=パルマ家 |
父親 | パルマ公ロベルト1世 |
母親 | マリーア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ(ブルガリア語: Мария-Луиза Бурбон-Пармска, 1870年1月17日 - 1899年1月31日)は、ブルガリア王フェルディナント1世の最初の妃。彼女は夫が王位に就く前に没したため、ブルガリア公妃にはなったが、王妃ではない。イタリア語名マリア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=パルマ(Maria Luisa Pia Teresa Anna Ferdinanda Francesuca Antonietta Margherita Giuseppina Carolina Bianca Lucia Appollonia di Borbone-Parma)、ドイツ語名マリー・ルイーゼ・フォン・ブルボン=パルマ(Marie Louise von Bourbon-Parma)。
生涯
パルマ公ロベルト1世とその最初の妃で両シチリア王フェルディナンド2世の娘であるマリーア・ピアの長女として、ローマで生まれた。彼女の両親は、マリーア・ピアが1882年に出産時に死亡するまで11人の子供の親となった。その後ロベルトは再婚し、さらに12人の子供をもうけた。最初の11人の兄弟姉妹の中には、両親の近親婚のせいで、精神障害を持つ者も多かった。
婚約が整ってからマリア・ルイーザは初めてフェルディナンドと会い、1893年4月20日にルッカで結婚した。2人の間には4子が生まれた。マリヤ・ルイザはソフィアで亡くなり、カトリックとしてプロヴディフの聖ルイ王大聖堂に葬られた。
子女
- ボリス3世(1894年 - 1943年) - ブルガリア王
- キリル(1895年 - 1945年) - プレスラフ公
- エヴドキヤ(1898年 - 1985年)
- ナデジダ(1899年 - 1958年) - 1924年、ヴュルテンベルク公アルブレヒト・オイゲンと結婚