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「イエスタデイ (村上春樹)」の版間の差分

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== オリジナル版と単行本版の本文異同 ==
== オリジナル版と単行本版の本文異同 ==
登場人物の木樽(きたる)が歌う、[[近畿方言|関西弁]]訳の[[ザ・ビートルズ|ビートルズ]]の「[[イエスタデイ]]」の歌詞は、単行本収録に際して大幅に削られた。「歌詞の改作に関して[[著作権エージェント|著作権代理人]]から『示唆的要望』を受けた」ためと、村上は『女のいない男たち』のまえがきで説明している<ref>『女のいない男たち』文藝春秋、12頁。</ref>。歌詞の削除に伴って、大きく加筆訂正がなされた。
登場人物の木樽(きたる)が歌う、[[近畿方言|関西弁]]訳の[[ザ・ビートルズ|ビートルズ]]の「[[イエスタデイ (ビートルズの曲)|イエスタデイ]]」の歌詞は、単行本収録に際して大幅に削られた。「歌詞の改作に関して[[著作権エージェント|著作権代理人]]から『示唆的要望』を受けた」ためと、村上は『女のいない男たち』のまえがきで説明している<ref>『女のいない男たち』文藝春秋、12頁。</ref>。歌詞の削除に伴って、大きく加筆訂正がなされた。


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== あらすじ ==
== あらすじ ==
「僕」の知っている限り、ビートルズの『[[イエスタデイ]]』に関西弁の歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかない。彼は風呂に入るとよくその歌を歌った。木樽は生まれも育ちも東京都[[大田区]][[田園調布]]だったが、ほぼ完璧な関西弁をしゃべった。子供の頃から[[阪神タイガース]]のファンだった彼は、「血の滲むような努力をして」関西弁を身につけたという。
「僕」の知っている限り、ビートルズの『[[イエスタデイ (ビートルズの曲)|イエスタデイ]]』に関西弁の歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかない。彼は風呂に入るとよくその歌を歌った。木樽は生まれも育ちも東京都[[大田区]][[田園調布]]だったが、ほぼ完璧な関西弁をしゃべった。子供の頃から[[阪神タイガース]]のファンだった彼は、「血の滲むような努力をして」関西弁を身につけたという。


そのとき「僕」は[[早稲田大学]][[文学部]]の2年生で、木樽とは早稲田の正門近くの喫茶店の同じアルバイト仲間だった。木樽は浪人2年目だった。彼には小学校のときからつきあっている女の子がいたが、彼女の方は先に現役で[[上智大学]]の仏文科に入学した。
そのとき「僕」は[[早稲田大学]][[文学部]]の2年生で、木樽とは早稲田の正門近くの喫茶店の同じアルバイト仲間だった。木樽は浪人2年目だった。彼には小学校のときからつきあっている女の子がいたが、彼女の方は先に現役で[[上智大学]]の仏文科に入学した。

2021年9月20日 (月) 13:50時点における版

イエスタデイ」は、村上春樹短編小説

概要

初出 文藝春秋』2014年1月号
収録書籍 女のいない男たち』(文藝春秋、2014年4月)

村上は『文藝春秋』2013年12月号から2014年3月号まで、「女のいない男たち」と題する連作の短編小説を続けて掲載した。本作は2014年1月号に発表されたその2作目(同号の発行日は2013年12月10日)。

英訳

タイトル Yesterday
翻訳 フィリップ・ガブリエル
初出 ザ・ニューヨーカー』2014年6月9日・16日号[1]
収録書籍 Men Without Women』(クノップフ社、2017年5月9日)

オリジナル版と単行本版の本文異同

登場人物の木樽(きたる)が歌う、関西弁訳のビートルズの「イエスタデイ」の歌詞は、単行本収録に際して大幅に削られた。「歌詞の改作に関して著作権代理人から『示唆的要望』を受けた」ためと、村上は『女のいない男たち』のまえがきで説明している[2]。歌詞の削除に伴って、大きく加筆訂正がなされた。

オリジナル版 単行本版
p397 「こんな歌詞だ。」 削除
p397 「イエスタデイ」の歌詞、19行 19行のうち16行分が削除された。
p397 ―― 「始まりはそんな・・・(中略)・・・ただあきれてその歌を聴いていただけだった。」(約310字)が挿入された。
p401 「『そらまあ、意味みたいな・・・(中略)・・・理屈は通ってるやろ』」 削除
p401 「『蘊蓄じゃない。世界中に知られている事実だ』と僕は言った。・・・(中略)・・・湯気の中から言った。」 「よく」「まあ」「のんびりした」などの言葉が付け加えられた。
p401 「そしてまたサビの部分を歌った。」 35文字分の言葉が付け加えられた。
p401 「イエスタデイ」の歌詞、4行 まったく異なる歌詞に変えられた。歌詞のあとに「とかなんとか。」という言葉が付け加えられた。
p401 「『悲しい歌やないか・・・(中略)・・・浮き彫りにしている』/言葉の無駄な消費を避けるために僕は話題を変えた。」 全文削除され、約130字分の文章が付け加えられた。
p406 「フラニーとゾーイ」 「フラニーとズーイ」
p420
-421
「たとえば車を運転していて・・・(中略)・・・そして木樽のことをつい思い出してしまう。」 全文にわたって大幅に加筆修正がなされた。
p421 「イエスタデイ」の歌詞、5行 5行のうち2行分が削除された。

あらすじ

「僕」の知っている限り、ビートルズの『イエスタデイ』に関西弁の歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかない。彼は風呂に入るとよくその歌を歌った。木樽は生まれも育ちも東京都大田区田園調布だったが、ほぼ完璧な関西弁をしゃべった。子供の頃から阪神タイガースのファンだった彼は、「血の滲むような努力をして」関西弁を身につけたという。

そのとき「僕」は早稲田大学文学部の2年生で、木樽とは早稲田の正門近くの喫茶店の同じアルバイト仲間だった。木樽は浪人2年目だった。彼には小学校のときからつきあっている女の子がいたが、彼女の方は先に現役で上智大学の仏文科に入学した。

日曜日の午後、「僕」は木樽と彼のガールフレンドの栗谷えりかと三人で会った。えりかが木樽が関西弁しか話さないことを話題にすると、木樽は「僕」を指さし、「こいつかてけったいなやつやぞ。芦屋の出身のくせに東京弁しかしゃべらんしな」と言った。「それってわりに普通じゃないかしら」「おいおい、それは文化差別や。文化ゆうのは等価なもんやないか」「それは等価かもしれないけど、明治維新以来、東京の言葉がいちおう日本語表現の基準になっているの。その証拠に、たとえばサリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳[注 1][注 2]なんて出てないでしょう?」という会話がそれに続いた。

木樽はえりかと「僕」に、二人が個人的につきうあうことをすすめ、その週の土曜日に二人は渋谷で落ち合った。ニューヨークを舞台にしたウディー・アレンの映画を見た。それから2週間ほどして木樽はひとことの連絡もせず喫茶店を辞めた。

16年後、「僕」は赤坂のホテルで開かれたワイン・テイスティング・パーティーの会場で栗谷えりかと再会する。フォーマルな服に身を包んだ人々があちこちでグラスを傾け、若い女性ピアニストは『ライク・サムワン・イン・ラブ[注 3]を弾いていた。

脚注

注釈

  1. ^ 著者が『フラニーとゾーイー』の関西語訳に言及したのは本作品が初めてではない。翻訳家の柴田元幸を前にして次のように語っている。「『フラニーとズーイ』の関西語訳をやってみたいというのは、前々からちらちらと考えてます(笑)。ズーイの語り口を関西弁でやる(笑)。受け入れられるかどうかはわからないけど」[3]
  2. ^ 関西弁訳『フラニーとズーイ』を楽しみにしていたという読者からのメールに対し、村上は次のように答えている。「僕は関西弁ヴァージョンもオプションみたいにして出したいなと思ってはいるんだけど、サリンジャー関係は著作権の縛りががちがちに堅いので、現実的には不可能なんです。その欲求不満もあって「イエスタデイ」という短編小説を書きました。あの風呂場のシーンはいちおう『ズーイ』の出だしをパロっているんですが」[4]
  3. ^ 村上はエッセイで「特定の状況になると必ず頭に浮かぶ歌がある。たとえば空がきれいな夜に星を見上げると、『恋している人のように(Like Someone in Love)』という古い歌をふと口ずさんでしまう」と書いている。またその文章に添えて同曲の歌詞の一部を訳している[5]

出典