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[[1998年]]シーズン途中に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ガンバ大阪]]の監督に就任。フランス国外で初めて指揮を執るクラブだった。チーム戦術としては、就任直前に行われた[[1998 FIFAワールドカップ|フランス・ワールドカップ]]で優勝した[[サッカーフランス代表|フランス代表]]のような組織的なサッカーを展開したいとしていたが、若い選手が大半だった当時のG大阪では育成と結果の両立が難しく、1年間の契約期間が切れるとクラブから契約延長の話は出なかった。 |
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フランス帰国後は再びバスティアの監督に復帰。弱小クラブを1部リーグの常連に育て上げた手腕を買われ、その後は名門の[[ASサンテティエンヌ]]で3シーズン、[[OGCニース|ニース]]で4シーズン指揮を執った。2009年から[[スタッド・レンヌ]]の監督を務める。2015年11月22日、[[ |
フランス帰国後は再びバスティアの監督に復帰。弱小クラブを1部リーグの常連に育て上げた手腕を買われ、その後は名門の[[ASサンテティエンヌ]]で3シーズン、[[OGCニース|ニース]]で4シーズン指揮を執った。2009年から[[スタッド・レンヌ]]の監督を務める。2015年11月22日、[[リールOSC|リール]]の指揮官の座に就いた<ref>{{Cite web |url=http://www.lequipe.fr/Football/Actualites/Lille-frederic-antonetti-nomme-entraineur/610040 |title=Lille : Frédéric Antonetti nommé entraîneur |publisher=[[レキップ|L'Équipe]] |date=2015-11-22 |accessdate=2016-05-19}}</ref>。 |
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[[1999年]]にG大阪を退任する際は、当時若手のホープだった[[稲本潤一]]の才能に惚れ込み、フランスへ連れて帰ろうとした。その10年後の[[2009年]]、新しく監督に就任したレンヌで稲本を獲得した。 |
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2021年11月4日 (木) 22:14時点における版
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スタッド・レンヌ監督時代(2013年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | フレッド、アントン | |||||
ラテン文字 | Frédéric ANTONETTI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1961年8月19日(63歳) | |||||
出身地 | ヴァンゾラスカ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF, MF | |||||
ユース | ||||||
1972-1973 | ヴェスコヴァト | |||||
1973-1979 | バスティア | |||||
1979-1982 | INFヴィシー | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1982-1983 | バスティア | 2 | (0) | |||
1983-1985 | ベジエ | 65 | (6) | |||
1985-1987 | ル・ピュイ | 55 | (0) | |||
1987-1990 | バスティア | 56 | (6) | |||
通算 | 178 | (12) | ||||
監督歴 | ||||||
1990-1994 | バスティア (ユース) | |||||
1994-1998 | バスティア | |||||
1998-1999 | ガンバ大阪 | |||||
1999-2001 | バスティア | |||||
2001-2004 | サンテティエンヌ | |||||
2005-2009 | ニース | |||||
2009-2013 | レンヌ | |||||
2015-2016 | リール | |||||
2018-2019 | メス | |||||
2020- | メス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フレデリック・アントネッティ(Frédéric Antonetti, 1961年8月19日 - )は、フランス・オート=コルス県ヴァンゾラスカ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF、MF。現在はリーグ・アンのFCメスの監督を務めている。
経歴
若い頃にはINF(国立サッカー学院)に所属するなど期待されていたが、その後は伸び悩み、結局フランス1部リーグでの出場はわずか2試合のみであった。1990年の引退後はキャリアの多くを過ごしたコルシカ島のSCバスティアで指導者としてスタートし、1994年10月に33歳でトップチームの監督に就任した。
1998年シーズン途中にJリーグ・ガンバ大阪の監督に就任。フランス国外で初めて指揮を執るクラブだった。チーム戦術としては、就任直前に行われたフランス・ワールドカップで優勝したフランス代表のような組織的なサッカーを展開したいとしていたが、若い選手が大半だった当時のG大阪では育成と結果の両立が難しく、1年間の契約期間が切れるとクラブから契約延長の話は出なかった。
フランス帰国後は再びバスティアの監督に復帰。弱小クラブを1部リーグの常連に育て上げた手腕を買われ、その後は名門のASサンテティエンヌで3シーズン、ニースで4シーズン指揮を執った。2009年からスタッド・レンヌの監督を務める。2015年11月22日、リールの指揮官の座に就いた[1]。
1999年にG大阪を退任する際は、当時若手のホープだった稲本潤一の才能に惚れ込み、フランスへ連れて帰ろうとした。その10年後の2009年、新しく監督に就任したレンヌで稲本を獲得した。
監督成績
- 2020年11月8日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | |||
バスティア | 1994年10月2日 | 1998年5月13日 | 165 | 64 | 45 | 56 | 204 | 195 | +9 | 38.79 |
ガンバ大阪 | 1998年5月14日 | 1999年6月1日 | 44 | 17 | 0 | 27 | 67 | 81 | −14 | 38.64 |
バスティア | 1999年6月1日 | 2001年5月19日 | 78 | 30 | 18 | 30 | 105 | 90 | +15 | 38.46 |
サンテティエンヌ | 2001年10月7日 | 2004年6月2日 | 120 | 55 | 30 | 35 | 129 | 106 | +23 | 45.83 |
ニース | 2005年5月24日 | 2009年5月18日 | 171 | 62 | 55 | 54 | 173 | 165 | +8 | 36.26 |
レンヌ | 2009年6月2日 | 2013年5月30日 | 183 | 75 | 43 | 65 | 250 | 215 | +35 | 40.98 |
リール | 2015年11月22日 | 2016年11月22日 | 45 | 19 | 11 | 15 | 51 | 43 | +8 | 42.22 |
メス | 2018年5月24日 | 2019年5月18日 | 46 | 28 | 11 | 7 | 71 | 31 | +40 | 60.87 |
メス | 2020年10月12日 | 4 | 2 | 2 | 0 | 5 | 2 | +3 | 50.00 | |
合計 | 856 | 352 | 215 | 289 | 1,055 | 928 | +127 | 41.12 |
タイトル
指導者時代
- SCバスティア
- UEFAインタートトカップ:1回(1997)
- ASサンテティエンヌ
- リーグ・ドゥ:1回(2003-04)
- FCメス
- リーグ・ドゥ:1回(2018-19)
関連項目
脚注
- ^ “Lille : Frédéric Antonetti nommé entraîneur”. L'Équipe (2015年11月22日). 2016年5月19日閲覧。
外部リンク
- フレデリック・アントネッティ - Soccerway.com
- フレデリック・アントネッティ - FootballDatabase.eu
- フレデリック・アントネッティ - WorldFootball.net
- フレデリック・アントネッティ - Transfermarkt.comによる選手データ
- フレデリック・アントネッティ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- フレデリック・アントネッティ - J.League Data Siteによる監督データ
- フレデリック・アントネッティ - playmakerstats.com