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*[[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
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*[[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
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*[[ホメロス]]『イリアス(上・下)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1992年) |
*[[ホメロス]]『イリアス(上・下)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1992年) |
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*高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
*高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
2021年11月15日 (月) 10:40時点における版
マカーオーン(古希: Μαχάων, Machāōn)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してマカオンとも表記される。医神アスクレーピオスの子で、ポダレイリオスと兄弟。アレクサノール、スピュロス、ポレモクラテース、ニーコマコス、ゴルガソスの父[1]。
アスクレーピオスの子であるマカーオーンとポダレイリオスはともに名医であり、特にマカーオーンは外科、ポダレイリオスは内科に長けていた。彼らはヘレネーの求婚者の1人で[2]、トロイア戦争ではポダレイリオスとともにトリッケーの軍勢30隻を率いて参加した。マカーオーンはアスクレーピオスがケイローンから授かった薬を持っており[3]、ギリシア軍の軍医的存在であった。
『イーリアス』初日、マカーオーンはパンダロスの矢に傷つけられたメネラーオスをケイローンの薬で癒し、3日目には最大の激戦区だったスカマンドロス河沿いでイードメネウス、ネストールとともに戦った。しかしパリスの矢を受け、それを見たイードメネウスはネストールに「傷の手当てができる者は他の者より何倍も価値があるから」と言い、マカーオーンを戦場から運び出すよう頼んだ。そこでマカーオーンはネストールの戦車に乗って戦場を脱出したが、それを見たアキレウスは心配してパトロクロスをネストールの陣に遣わした[4]。後にマカーオーンはニーレウスとともにテーレポスの子エウリュピュロスに討たれた[5]。あるいはアマゾーンの女王ペンテシレイアに討たれたともいわれる[6]。しかしマカーオーンは戦死せずに木馬作戦に加わったとも[7]、ピロクテーテースを癒したのはポダレイリオスではなくマカーオーンであるともいわれる[8]。
メッセーネーの伝承では、マカーオーンとポダレイリオスはメッセーネーの出身で、一部の人々が彼らを王とした。また彼らはメッセーネーの武将としてトロイア戦争に参加した。戦後、ネストールはマカーオーンの遺骨を持ち帰ったといわれ、かつてネストールが養育されたというゲレーニアにはマカーオーンの墓と聖域があった。聖域はロドスと呼ばれ、病気の癒しが行われた。この聖域を最初に祭祀したのはヘーラクレイダイ出身のメッセーネー王グラウコスであったという[9]。
小惑星(3063) Makhaonはマカーオーンにちなんで命名された[10]。
脚注
- ^ パウサニアス、2巻11・5、23・4、38・6、4巻30・3。
- ^ アポロドーロス、3巻10・8。ヒュギーヌス、81。
- ^ 『イーリアス』2巻、4巻。
- ^ 『イーリアス』4巻、11巻。
- ^ スミュルナのコイントス、6巻。
- ^ アポロドーロス、摘要(E)5・1。
- ^ ウェルギリウス『アエネーイス』2巻263。ヒュギーヌス、108。
- ^ 『小イーリアス』概要(プロクロス『文学便覧』)。
- ^ パウサニアス、3巻26・9、26・10、4巻3・1、3・2、3・9。
- ^ “(3063) Makhaon = 1931 DT = 1964 YL = 1971 OE = 1971 QK1 = 1975 VT6 = 1983 PV”. MPC. 2021年9月10日閲覧。