「カリラオス」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
|||
11行目: | 11行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
* [[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
||
* [[プルタルコス]]著、村川堅太郎編訳、『世界古典文学全集 23 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年 |
* [[プルタルコス]]著、村川堅太郎編訳、『世界古典文学全集 23 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年 |
||
* [[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(下)、[[岩波書店]]、1972年 |
* [[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(下)、[[岩波書店]]、1972年 |
2021年11月15日 (月) 10:42時点における版
カリオラス(またはカリロス, 古希: Χαρίλαος / Χάριλλος, ラテン文字転記:Charilaos / Charillos, 在位:紀元前780年 - 紀元前750年)はエウリュポン朝のスパルタ王である。
カリラオスは先代の王ポリュデクテスの子であり、次代の王ニカンドロスの父である(ただしこれはパウサニアス[1]など多数派の意見であり、一方でヘロドトスはカリラオスはエウノモスの子であるとしている[2])。父が死んだ時、カリラオスはまだ子供だったため、リュクルゴスが摂政となって政治を行った。プルタルコスの伝えるところによれば、リュクルゴスが外遊から帰国した時、彼の支持者たちのうち20人ほどが武装して早朝に広場に集まった。その時カリラオスは彼らが自分に危害を加えるのではないかと恐れ、カルキオイコス(アテナ)の神殿に逃げ込んだ。それから、彼は彼らによって説得され、そこを出てその仲間に加わったという[3]。
また、カリラオスは共同統治者のアルケラオスと共にアイギュスを攻めて市民を奴隷にし[4]、またアルゴスやテゲアとも戦った[5]。
カリラオスはアルケラオスによれば、「悪人に対して厳しくないカリラオスが、どうしてすぐれた人であることがあろうか」と評された[6]。また、カリラオスの名は「人民の喜び」という意味である。
註
参考文献
- パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、龍渓書舎、1991年
- プルタルコス著、村川堅太郎編訳、『世界古典文学全集 23 プルタルコス』、筑摩書房、1966年
- ヘロドトス著、松平千秋訳、『歴史』(下)、岩波書店、1972年
|
|
|