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「セペイアの戦い」の版間の差分

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スパルタ軍はこれを包囲し、既に身代金を受け取っていると言って一人ずつ呼び出し、誘い出された者を殺した。50人がそうして殺された後、アルゴス軍はそれに気付き、出て行かなくなった<ref>ibid, VI. 79</ref>。そこで、クレオメネスは森に火を放ち、アルゴス軍を焼き討ちした<ref>ibid, VI. 80</ref>。
スパルタ軍はこれを包囲し、既に身代金を受け取っていると言って一人ずつ呼び出し、誘い出された者を殺した。50人がそうして殺された後、アルゴス軍はそれに気付き、出て行かなくなった<ref>ibid, VI. 79</ref>。そこで、クレオメネスは森に火を放ち、アルゴス軍を焼き討ちした<ref>ibid, VI. 80</ref>。


スパルタ軍の損害は不明であるが、アルゴス軍は[[ヘロドトス]]によれば6000人<ref>ibid, VII. 148</ref>、[[パウサニアス]]によれば5000人を失った<ref>パウサニアス, III. 4. 3</ref>。この戦いでの勝利によって、スパルタは[[ペロポネソス半島]]での覇権を得、一方敗者のアルゴスはこの戦いによって男子のほとんどを失った。
スパルタ軍の損害は不明であるが、アルゴス軍は[[ヘロドトス]]によれば6000人<ref>ibid, VII. 148</ref>、[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によれば5000人を失った<ref>パウサニアス, III. 4. 3</ref>。この戦いでの勝利によって、スパルタは[[ペロポネソス半島]]での覇権を得、一方敗者のアルゴスはこの戦いによって男子のほとんどを失った。


その後、なぜかクレオメネスはアルゴスを占領せずに撤兵した。[[監督官]]はこの件で彼を弾劾した。彼によれば、その理由は[[ヘーラー]]の神殿で伺いを立てたところ、不吉な現象が起ったからだという。そして、この説明はもっともであるとされ、彼は無罪を勝ち取った<ref>ヘロドトス, VI. 82</ref>。
その後、なぜかクレオメネスはアルゴスを占領せずに撤兵した。[[監督官]]はこの件で彼を弾劾した。彼によれば、その理由は[[ヘーラー]]の神殿で伺いを立てたところ、不吉な現象が起ったからだという。そして、この説明はもっともであるとされ、彼は無罪を勝ち取った<ref>ヘロドトス, VI. 82</ref>。
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]] 中』、[[岩波書店]]、1972
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]] 中』、[[岩波書店]]、1972



2021年11月15日 (月) 10:42時点における版

セペイアの戦い
戦争
年月日紀元前494年
場所:セペイア
結果:スパルタの勝利
交戦勢力
スパルタ アルゴス
指導者・指揮官
クレオメネス1世 不明
戦力
不明 5,000あるいは6,000強?
損害
不明 6,000(ヘロドトス)
5,000(パウサニアス)

セペイアの戦い(英:Battle of Sepeia)は紀元前494年スパルタ王クレオメネス1世率いるスパルタ軍とアルゴス軍の間で起った戦闘である。

紀元前494年、デルフォイでアルゴスを占領できるとの神託を受けたクレオメネスはアルゴスに侵攻し、両軍はセペイアで対峙した。

敵の策略によって破れるのを恐れたアルゴス軍はスパルタ軍の伝令の指令と同じことをすることによってそれを避けようとした[1]。これを知ったクレオメネスはそれを逆手に取り、伝令が食事の合図をしたならば武器を取ってアルゴス軍を攻撃するようスパルタ軍に命じた。この策を実行に移したスパルタ軍はアルゴス軍を多数殺傷し、アルゴス軍は国祖アルゴスの社の森に逃げ込んだ[2]

スパルタ軍はこれを包囲し、既に身代金を受け取っていると言って一人ずつ呼び出し、誘い出された者を殺した。50人がそうして殺された後、アルゴス軍はそれに気付き、出て行かなくなった[3]。そこで、クレオメネスは森に火を放ち、アルゴス軍を焼き討ちした[4]

スパルタ軍の損害は不明であるが、アルゴス軍はヘロドトスによれば6000人[5]パウサニアスによれば5000人を失った[6]。この戦いでの勝利によって、スパルタはペロポネソス半島での覇権を得、一方敗者のアルゴスはこの戦いによって男子のほとんどを失った。

その後、なぜかクレオメネスはアルゴスを占領せずに撤兵した。監督官はこの件で彼を弾劾した。彼によれば、その理由はヘーラーの神殿で伺いを立てたところ、不吉な現象が起ったからだという。そして、この説明はもっともであるとされ、彼は無罪を勝ち取った[7]

  1. ^ ヘロドトス, VI. 77
  2. ^ ibid, VI. 78
  3. ^ ibid, VI. 79
  4. ^ ibid, VI. 80
  5. ^ ibid, VII. 148
  6. ^ パウサニアス, III. 4. 3
  7. ^ ヘロドトス, VI. 82

参考文献