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'''ブリュセイアイ'''({{lang-grc-short|'''Βρυσειαί'''}}, {{ラテン翻字|el|Bryseiai}}<ref name="IL2583">『イリアス』2巻583行。</ref>; {{lang-grc-short|'''Βρυσεαί'''}}, {{ラテン翻字|el|Bryseai}}<ref name="PA3203">パウサニアス、3巻20・3。</ref>; {{lang-grc-short|'''Βρυσιαί'''}}, {{ラテン翻字|el|Brysiai}}<ref>{{仮リンク|ビュザンティオンのステパノス|en|Stephanus of Byzantium}}。</ref>)は、古代[[ラコニア]]地方の都市である。[[スパルタ]]の南西、[[タイゲトス山脈]]のふもとにあったとされる<ref name="PA3203" />。 |
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この都市の名前は[[ホメロス]]の[[叙事詩]]『[[イリアス]]』の軍船表に、ラコニア地方から出兵した都市の1つとして4番目に言及されている<ref name="IL2583" />。しかし[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]の時代には小さな村にまで減少した。パウサニアスはブリュセイアイに女性だけが入ることが許可された[[ディオニュソス]]の神殿があり、そこでブリュセイアイの女たちが神聖な儀式を行ったことについて言及している<ref name="PA3203" />。{{仮リンク|ウィリアム・マーティン・リーク|en|William Martin Leake}}は、スクラヴォコリ(Sklavokóri)、現在の{{仮リンク|アミクレス|en|Amykles}}に近いシナンベイ(Sinánbey)の村でブリュセイアイの遺跡を発見したと主張した。彼は[[アバディーン伯爵]]から[[大英博物館]]に贈られたスクラヴォコリの[[大理石]]は、おそらくブリュセイアイの上記の神殿に由来すると述べている。それには2人の女神官の名前が記されており、女性の衣料品の様々な品物が表されている。リークはまた大英博物館にあるシナンベイの別の大理石を発見した<ref>Leake 1830, p.187.</ref><ref>Leake 1846, pp.163, 166.</ref>。リークの主張にもかかわらず、現代の学者はブリュセアイの遺跡の位置を未解明としている<ref>Talbert, p.58.</ref>。 |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
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* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1992年) |
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1992年) |
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* {{仮リンク|ウィリアム・マーティン・リーク|en|William Martin Leake|label=William Martin Leake}}, ''Morea'', vol. i. (1830) |
* {{仮リンク|ウィリアム・マーティン・リーク|en|William Martin Leake|label=William Martin Leake}}, ''Morea'', vol. i. (1830) |
2021年11月15日 (月) 11:10時点における最新版
ブリュセイアイ(古希: Βρυσειαί, Bryseiai[1]; 古希: Βρυσεαί, Bryseai[2]; 古希: Βρυσιαί, Brysiai[3])は、古代ラコニア地方の都市である。スパルタの南西、タイゲトス山脈のふもとにあったとされる[2]。
この都市の名前はホメロスの叙事詩『イリアス』の軍船表に、ラコニア地方から出兵した都市の1つとして4番目に言及されている[1]。しかしパウサニアスの時代には小さな村にまで減少した。パウサニアスはブリュセイアイに女性だけが入ることが許可されたディオニュソスの神殿があり、そこでブリュセイアイの女たちが神聖な儀式を行ったことについて言及している[2]。ウィリアム・マーティン・リークは、スクラヴォコリ(Sklavokóri)、現在のアミクレスに近いシナンベイ(Sinánbey)の村でブリュセイアイの遺跡を発見したと主張した。彼はアバディーン伯爵から大英博物館に贈られたスクラヴォコリの大理石は、おそらくブリュセイアイの上記の神殿に由来すると述べている。それには2人の女神官の名前が記されており、女性の衣料品の様々な品物が表されている。リークはまた大英博物館にあるシナンベイの別の大理石を発見した[4][5]。リークの主張にもかかわらず、現代の学者はブリュセアイの遺跡の位置を未解明としている[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
- ホメロス『イリアス(上)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)
- William Martin Leake, Morea, vol. i. (1830)
- William Martin Leake. Peloponnesiaca, (1846)
- Richard Talbert, ed. Barrington Atlas of the Greek and Roman World, and directory notes accompanying. Princeton University Press (2000)
- この記事には現在パブリックドメインである次の出版物からのテキストが含まれている: Smith, William, ed. (1854–1857). "Bryseae". Dictionary of Greek and Roman Geography. London: John Murray.