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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[上党郡]][[太守]]の[[李希宗]]の子として生まれた。北斉が建国されると、秘書丞に任じられた。娘の[[李難勝]]が済南王[[廃帝 (北斉)|高殷]](李祖娥の子)の妃となったため、祖勲は[[侍中]]の位を受け、丹陽郡王に封じられた。まもなく公に降封された。高殷が即位すると、祖勲は[[趙州]][[刺史]]となった。高殷が廃位されると、祖勲は召還されて金紫光禄大夫の位を受けた。[[太寧 (北斉)|太寧]]年間、李祖娥が[[武成帝]]の寵愛を受けると、[[斉州]]刺史に任じられた。賄賂を受けた罪で免官された。[[州|光州]]刺史として再起した。祖勲は性格が貪欲で傲慢であり、妻の崔氏とともに政治に干渉したため、当時の士人に憎まれた。女侍中陸媼の母の元氏が祖勲の妻の伯母であり、彼女らにへつらって祖勲は西兗州刺史・殿中尚書となった。死去すると、尚書右僕射の位を追贈された。[[武平 (北斉)|武平]]年間に李君璧らが王となると、祖勲にも王爵を追復された。
[[上党郡]][[太守]]の[[李希宗]]の子として生まれた。北斉が建国されると、秘書丞に任じられた。娘の[[李難勝]]が済南王[[廃帝 (北斉)|高殷]](李祖娥の子)の妃となったため、祖勲は[[侍中]]の位を受け、丹陽郡王に封じられた。まもなく公に降封された。高殷が即位すると、祖勲は[[趙州]][[刺史]]となった。高殷が廃位されると、祖勲は召還されて金紫光禄大夫の位を受けた。[[太寧 (北斉)|太寧]]年間、李祖娥が[[武成帝]]の寵愛を受けると、[[斉州]]刺史に任じられた。賄賂を受けた罪で免官された。[[州|光州]]刺史として再起した。祖勲は性格が貪欲で傲慢であり、妻の崔氏とともに政治に干渉したため、当時の士人に憎まれた。女侍中陸媼の母の元氏が祖勲の妻の伯母であり、彼女らにへつらって祖勲は西兗州刺史・殿中尚書となった。死去すると、尚書右僕射の位を追贈された。[[武平 (北斉)|武平]]年間に李君璧らが王となると、祖勲にも王爵を追復された。


== 伝記資料 ==
== 伝記資料 ==

2021年12月14日 (火) 09:10時点における最新版

李 祖勲(り そくん、生没年不詳)は、北斉外戚文宣帝皇后李祖娥の兄弟にあたる。本貫趙郡柏人県

経歴

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上党郡太守李希宗の子として生まれた。北斉が建国されると、秘書丞に任じられた。娘の李難勝が済南王高殷(李祖娥の子)の妃となったため、祖勲は侍中の位を受け、丹陽郡王に封じられた。まもなく公に降封された。高殷が即位すると、祖勲は趙州刺史となった。高殷が廃位されると、祖勲は召還されて金紫光禄大夫の位を受けた。太寧年間、李祖娥が武成帝の寵愛を受けると、斉州刺史に任じられた。賄賂を受けた罪で免官された。光州刺史として再起した。祖勲は性格が貪欲で傲慢であり、妻の崔氏とともに政治に干渉したため、当時の士人に憎まれた。女侍中陸媼の母の元氏が祖勲の妻の伯母であり、彼女らにへつらって祖勲は西兗州刺史・殿中尚書となった。死去すると、尚書右僕射の位を追贈された。武平年間に李君璧らが王となると、祖勲にも王爵を追復された。

伝記資料

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