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「ノート:天孫降臨」の版間の差分

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::「考察」の節につき、私の提案から1週間経ちましたが何ら反応がなく、異議なしとみなし、提案通り編集します。議論は引き続き募集します。--[[利用者:小出-小坂井|小出-小坂井]]([[利用者‐会話:小出-小坂井|会話]]) 2022年2月3日 (木) 10:06 (UTC)
::「考察」の節につき、私の提案から1週間経ちましたが何ら反応がなく、異議なしとみなし、提案通り編集します。議論は引き続き募集します。--[[利用者:小出-小坂井|小出-小坂井]]([[利用者‐会話:小出-小坂井|会話]]) 2022年2月3日 (木) 10:06 (UTC)
:::[https://ja.m.wikipedia.org/w/index.php?title=天孫降臨&oldid=87864057 2022年2月4日 (金) 05:29の編集]で取り消しされ、[https://ja.m.wikipedia.org/w/index.php?title=天孫降臨&oldid=87869314 2022年2月4日 (金) 12:43の編集]でこの節とは関係ない理由で現在保護対象となっている事を報告し、ここに記録します。--[[利用者:小出-小坂井|小出-小坂井]]([[利用者‐会話:小出-小坂井|会話]]) 2022年2月4日 (金) 13:12 (UTC)
:::[https://ja.m.wikipedia.org/w/index.php?title=天孫降臨&oldid=87864057 2022年2月4日 (金) 05:29の編集]で取り消しされ、[https://ja.m.wikipedia.org/w/index.php?title=天孫降臨&oldid=87869314 2022年2月4日 (金) 12:43の編集]でこの節とは関係ない理由で現在保護対象となっている事を報告し、ここに記録します。--[[利用者:小出-小坂井|小出-小坂井]]([[利用者‐会話:小出-小坂井|会話]]) 2022年2月4日 (金) 13:12 (UTC)
:[[天孫降臨#考察]]の節は学者の名前など出典は既に書いてあります。専門の学者でないものとあなたは主張していますが、彼らは全員専門の学者です。また、[[天孫降臨#考察]]の記述は211.107.66.133さんが書いた記述ではなく数年前から書いてあった記述です。「Wikipedia:出典を明記する」を見ますと、学者の発言を引用したり学者の名前などは考察の出典として可能です。また、[[天孫降臨#考察]]の節に書いてある文章は検索してみると実際に学者が主張している考察であり、「考察」の節には何の問題もございません。また、他のページも同様「考察」の節には多くの学者の言葉を引用することが可能です。ただ朝鮮という言葉が気に食わないという理由で数年前から書いてあった考察を勝手に除去することはウィキペディアの趣旨にそぐわないことです。独自研究ではなく、専門の学者の発言が引用された考察なので除去する合理的な理由はありません。--[[利用者:鳩山町に住むおじさん|鳩山町に住むおじさん]]([[利用者‐会話:鳩山町に住むおじさん|会話]]) 2022年2月5日 (土) 17:42 (UTC)


== 「日向の襲」について==
== 「日向の襲」について==

2022年2月5日 (土) 17:43時点における版

名の無い節(2021年4月新設)

「韓國」のリンクが韓になっているのですが、これでは中国の「韓」を意味しているという誤解を呼ぶのではないですか。ここでの「韓國」は朝鮮半島を意味していると見るのが適当だと思うのですが。--k

この「韓國(からくに)」は、朝鮮を指すという説の他に諸説ありますので、ここは「リンクしない」というのが最適と思います。少くとも現状はまづいですね。nnh 2007年12月28日 (金) 23:46 (UTC)[返信]
リンクせずに同意します。--ろう(Law soma) D C 2008年1月3日 (木) 23:45 (UTC)[返信]

(節を新設--ABCEdit会話2021年4月4日 (日) 03:04 (UTC)[返信]

研究

新しく作った”研究”のカテゴリに、朝鮮神話との類似性の記述が、このページにそぐわないと言う事ですが、 具体的にどの辺りが、そぐわないのかを指摘して下さい。 三品彰英の記述が、残って他を削除するのは適切ではありません。 例えば、古事記にも研究のカテゴリがあります。古い文献の研究は当たり前です。 単に都合の悪い記述だと考え、削除したのであれば短絡的です。(平成22年10月21日 (木) 23:13 219.194.74.153による記載)後日追記

署名もせず記載だけしたようですが、日本神話の天孫降臨の記事にわざわざ朝鮮神話との類似性を記載する必要性が不明です。
内容をみると「日本神話は朝鮮神話等を模倣している」と思わせる記述ばかりを記載してあり「単に都合の悪い記述」と言う辺り確信犯で、明らかに恣意的に日本神話・天孫降臨の記事を貶める行為に受取れます。古事記の研究内容とは全然関係ない事でそれを取り上げる意図も単にこの記載をしたがための口実に思えます。
これは「Wikipedia:中立的な観点」=「内容上での中立性」が欠如していますし、「Wikipedia:独自研究は載せない」=「独自の考えを発表する場ではない」にも抵触します。
よって↑者がどう言われようが不必要な記載として削除します。--Zmblelra 2010年10月22日 (金) 05:57 (UTC)[返信]
私には、どちらも極端なように見えます。世界的に見て、他地域の神話との類似性が認められない神話自体が少ないのですから、ここは地の文としては端的に事実のみ(Zmblelraさん編集後の状態)を記載しつつ、注釈で朝鮮神話との類似性を強調する説がある旨解説すればよいのではないでしょうか。(朝鮮起源説に偏っている現状は、ちょっとアレですが)いずれ、朝鮮神話のみならずモンゴル、ツングース系等の神話も含めて類似性は指摘されており、一方で日本神話には東南アジア神話との類似性も強調されています。この辺の中間性や双系性が記載されていればよいと思うのです。--ろう(Law soma) D C 2010年10月22日 (金) 06:57 (UTC)[返信]
たしかにLaw氏の仰る意見は解ります。しかし、上でも述べましたが削除した内容はいわゆる左寄りに偏った反神道思想に観えます。ここで研究だからと放置すると、他の神話記事ににも飛び火する恐れがあります。
どうしても記事を載せたいのであれば、新たにページを作成すべきだと思います。しかも伊勢神宮の記事にも同様の記述を加え削除されてます。ですので愉快犯的な様相もありますのでまともに取り合う必要はないと思います。--Zmblelra 2010年10月22日 (金) 10:29 (UTC)--2010年10月23日 (土) 06:32 (UTC)追記[返信]
今回除去された説は、特定目的から一方的な視点で集められたもののように見受けられ確かに不適切ですが、同様の説が別の説(東南アジアとの類似説やモンゴルとの類似説、ポリネシアとの類似説等)と並列で同分量づつ掲載されたならば、必ずしも不適切にはなりません。必要なのは、そのような説が実際に学説として評価されているかどうかであって、個々人の視点(思想的なものも含みます)から見て不適切かどうかは論点になりません。Wikipediaは中立でなくてはならないからです。ただ、神話に関する概要をまとめた記事の本文で、長々と学説を列挙するのもどうかと思うので、そのような部分は注釈にすべきと思うだけです。別のノートで別の方が言っていますが、ここは神話事典や神道事典ではないので、反神道思想を掲載してはいけないということはないのです。--ろう(Law soma) D C 2010年10月25日 (月) 02:31 (UTC)[返信]
コメント「反神道思想を掲載してはいけないということはないのです。」能書きはそうでしょうが、それを仰いますとじゃあ何でも記載してもいいの?って事になりますよ。
そもそもこの記事は日本神話の天孫降臨を紹介する記事です。それを本末転倒にするような記述は不必要ですし、他の神話との比較は必要最小限にすべきでしょう。
さらに言えば私が論点にしたいのは「特定目的から一方的な視点で集められたもののように見受けられ確かに不適切です」とLaw氏が仰るように曲がった物差しで記載された内容を問題視しているだけで、他の神話との比較を載せるなとは申しておりません。論点がずれつつあるので再度指摘しておきます。--Zmblelra 2010年10月25日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
今回のZmblelraさんによる文章除去という対処そのものに関しては、ほぼ同意見なのですが、除去の理由が「いわゆる左寄りに偏った反神道思想に観えます」ではWikipediaの方針上、理由にならないということを申し上げているのです。左寄りの記述だから除去できる訳でもなければ、反神道思想だから除去できる訳でもないのです。あくまで本来の項目紹介記事部分よりネガティブな評価の部分が重要視されるような扱いが好ましくないだけなのです。Zmblelraさんの言葉を借りれば「本末転倒」な部分だから除去できますし、「必要最小限」の記述は許される(というか、中立性の観点から見れば書くべきなのかもしれません)のです。そこを指摘しておかないと、反神道的記述がごく一部なされたからといって除去して回るような極端な利用者が現れかねません。本当に色々な利用者の方がいらっしゃるので、Zmblelraさんの意図しない形でZmblelraさんの行動が前例にされることもあるのです。ご理解ください。--ろう(Law soma) D C 2010年10月26日 (火) 01:30 (UTC)[返信]
上記の御意見には最初に述べた通り、仰る事は良く解りますので、もう私からは対論は出しません。--Zmblelra 2010年10月26日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

研究カテゴリの文章のつながりが不自然だったので修正しました。しかし、今の状態では唐突に「伝説の地」「クシフル」「添(ソホリ)」「前述の瓊々杵尊」「カシハラ」という単語が説明もなく出現するうえ、脊振山の話題が出てくる理由も何となく書かんとしている内容はわかるが説明不足なため、識者による編集を望みます。 --118.236.180.36 2014年11月6日 (木) 10:19 (UTC)[返信]

漢字

文字のなかった日本語の伝承に記紀などで漢字を当てただけですから、旧字体を使う必要性はないのではないでしょうか。ご意見をうかがいたい。 --ねこぱんだ 2012年1月11日 (水) 23:29 (UTC)[返信]

私の個人的感覚では同意見です。ただ紀神話の場合は用字を吟味していますので、現在代字になっているものは旧字(というより正字)で書くべきかもしれません。--ろう(Law soma) D C 2012年1月12日 (木) 00:07 (UTC)[返信]
ちょっと編集しますね。 --ねこぱんだ 2012年1月19日 (木) 22:49 (UTC)[返信]

記事より転記

無出典記載を記事より除去しこちらに転記します。復帰される際は出典を示してください。

谷有ニは「元より伝説であり特定はできないが」とした上で、伝説の地をクシフルに音の似た九重連峰や久住山とする説等を紹介している。谷自身は、高千穂を「高い山」の意とし、添(ソホリ)がソウルと同じ王の都であるなど韓国との関連を示す記載と前述の瓊々杵尊の言葉から、本来は九州北部が伝説の地であったが、政策上の都合で九州南部に移動したとしている。また、谷はソホリに「大きい」の意のクがついたものがクシフルである可能性とカシハラとの類似性も指摘している。 古田武彦は福岡県の日向峠(笠沙岬の真北)を天孫降臨の伝説の発祥地とする。
なお、その他にもクシフルの比定地は多くある。クシフルと同様、ソウルが変化したとされる脊振山(セフリサン)は、福岡県と佐賀県の境にあって、韓国(カラクニ)=朝鮮半島南部が対馬の向こうに見える山である。 朝鮮の建国神話、とくに加耶の始祖首露王が亀旨(クジ)峰に天降る話と似ていることが、神話学者の三品彰英によって指摘されている。

--Aitok I会話2018年7月13日 (金) 14:58 (UTC)[返信]

「考察」の節について

現状の版において、天孫降臨#考察の節は出典なしの記述や専門の学者でないものによる記述が大量に書かれているが、これは211.107.66.133さんによる 2022年1月19日 (水) 02:47の編集で書かれたものが大半です。以前に私が2022年1月17日 (月) 18:18で一応専門の学者といえるものなどを残した編集を行い、現状の記述は独自研究や乱雑な内容や特筆性がない内容になっていると思いますがご意見お願いします。--小出-小坂井会話2022年1月19日 (水) 07:16 (UTC)[返信]

1週間経ち、特に意見がありませんが、私による以前の編集と現在の版を比べ、一応専門の研究者と言える者による言論のみを要出典として残す(結果としては私の以前の編集と同様)事を提案します。ご意見募集します。--小出-小坂井会話2022年1月27日 (木) 03:08 (UTC)[返信]
「考察」の節につき、私の提案から1週間経ちましたが何ら反応がなく、異議なしとみなし、提案通り編集します。議論は引き続き募集します。--小出-小坂井会話2022年2月3日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
2022年2月4日 (金) 05:29の編集で取り消しされ、2022年2月4日 (金) 12:43の編集でこの節とは関係ない理由で現在保護対象となっている事を報告し、ここに記録します。--小出-小坂井会話2022年2月4日 (金) 13:12 (UTC)[返信]
天孫降臨#考察の節は学者の名前など出典は既に書いてあります。専門の学者でないものとあなたは主張していますが、彼らは全員専門の学者です。また、天孫降臨#考察の記述は211.107.66.133さんが書いた記述ではなく数年前から書いてあった記述です。「Wikipedia:出典を明記する」を見ますと、学者の発言を引用したり学者の名前などは考察の出典として可能です。また、天孫降臨#考察の節に書いてある文章は検索してみると実際に学者が主張している考察であり、「考察」の節には何の問題もございません。また、他のページも同様「考察」の節には多くの学者の言葉を引用することが可能です。ただ朝鮮という言葉が気に食わないという理由で数年前から書いてあった考察を勝手に除去することはウィキペディアの趣旨にそぐわないことです。独自研究ではなく、専門の学者の発言が引用された考察なので除去する合理的な理由はありません。--鳩山町に住むおじさん会話2022年2月5日 (土) 17:42 (UTC)[返信]

「日向の襲」について

利用者:Prison7879さんは、2022年2月1日 (火) 19:36の編集において「出典が削除されたため再付記。次に出典を削除した場合は通報いたします。」として「日向の襲」の出典としてコトバンクの「襲国」の項を持ってくる編集を行いました。しかし、出典とされた文献においては天孫降臨との関連は全く指摘されず、主に熊襲と結びつけられています。出典として適切でないと思うのですが、ご意見募集します。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 10:34 (UTC)[返信]

>>天孫降臨との関連は全く指摘されず
襲国についての出典です。正直、出典として適切でないという意味がわかりません。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 10:49 (UTC)[返信]
襲国の出典の具体的な以下のような内容ですが、しっかり襲国に対して記述されています。
精選版 日本国語大辞典「襲国」の解説
そ‐の‐くに【襲国】
九州南部の古地名。日向国(宮崎県)と大隅国(鹿児島県)とにまたがる山岳地帯とみられ、現在の鹿児島県曽於(そお)市を中心とする一帯にあたると考えられる。
デジタル大辞泉「襲国」の解説
そ‐の‐くに【襲国】
九州南部の古地名。神話や伝説上のの本拠地で、現在の鹿児島県霧島市・市を中心とする地域にあたるといわれる。
世界大百科事典内の襲国の言及
【大隅国】より
はじめ日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ,--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:08 (UTC)[返信]
第三者の意見募集しており、それまで一応待つようにしますが、簡単に言ってその「襲国」は別の箇所で触れられている「襲国」についての説明であり、天孫降臨した「日向の襲」と同一の場所とは言えず、上にも書いた通り文献でも天孫降臨に全く触れられていません。同じだと書いていない、もしくは全く触れられていない事柄について同じであるかのようにして出典を持ってくるのは「ここでは触れられていないが同じものである」と主張することになり独自研究です。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
>「襲国」は別の箇所で触れられている「襲国」についての説明であり、天孫降臨した「日向の襲」と同一の場所とは言えず
これについての出典はありますか?なければこれはあなたのご意見ということになります。独自研究になるかと思われます。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:21 (UTC)[返信]
初めから文献の「襲国」の所に書いていない「天孫降臨」について話し始めたのはそちらですので、ないものについて「…は存在しない」という出典を持ってくるのは不可能です。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 11:27 (UTC)[返信]
「日向の襲」という記述に対してこう書かれています。正直、出典として適切でないという意味がわかりません。
世界大百科事典内の襲国の言及
【大隅国】より
はじめ日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:24 (UTC)[返信]
[1]のように別の箇所で「襲国」がはっきりと観念されている中で、「日向の襲」とこの「襲国」を、一文字同じだからという理由で、出典でも全く触れられていないのに関わらず同一のものとみなすのは無理があります。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 11:34 (UTC)[返信]
なぜでしょう?
そもそもですが記紀に「日向の襲」と書いてますよね?ちゃんと出典に記述されています。この他に日向国があるのでしょうか?
世界大百科事典内の襲国の言及
【大隅国】より
はじめ日向国の一部をなし,襲国(そのくに)--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:38 (UTC)[返信]
例えば日本書紀7巻景行天皇)(国史大系、国立国会図書館)では、熊襲の国として「襲国」がでてきます。この箇所は文献でも触れられいますね。そして襲国が熊襲の地だとされている別の部分の文献の記述と整合的であり、このように明らかに「襲国」として固有名詞化されている以上、「日向の襲」からすなわちこれがこの「襲国」と同一の関係にあるとは言えません。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 11:47 (UTC)[返信]
私が挙げた文献は「熊襲国」でした、すみません。いずれにせよ「襲国」が「日向の襲」と別に言及があるのが事実で、文献なく同一とはできません。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 11:38 (UTC)[返信]
>文献でも天孫降臨に全く触れられていません。
そもそも触れられている必要がないのです。なぜならこれはあくまで襲国についての出典だからです。しかしどうしてもとおっしゃるのなら別の出典を付記しますので。
>一文字同じだからという理由
日本国と日本が違うという見解でしょうか?--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:42 (UTC)[返信]
>いずれにせよ「襲国」が「日向の襲」と別に言及があるのが事実
申し訳ございません。正直、よく意味がわからないので、具体的にお願いいたします。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
いったり来たりしているのでもう一回あげます。例えば日本書紀7巻景行天皇)(国史大系、国立国会図書館)では、熊襲の国として「襲国」がでてきます。この箇所は文献でも触れられていますね。そして襲国が熊襲の地だとされている別の部分の文献の記述と整合的であり、このように明らかに「襲国」として固有名詞化されている以上、「日向の襲」からすなわちこれがこの「襲国」と同一の関係にあるとは言えません。「日本」と「日本国」が同じでいいかについて、これに関しては明らかにこれらを同一とする用例や資料が大量にあり、何ら問題ありません。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 11:50 (UTC)[返信]
>>例えば日本書紀7巻(景行天皇)(国史大系、国立国会図書館)では、熊襲の国として「襲国」がでてきます。この箇所は文献でも触れられいますね。そして襲国が熊襲の地だとされている別の部分の文献の記述と整合的であり、このように明らかに「襲国」として固有名詞化されている以上、「日向の襲」からすなわちこれがこの「襲国」と同一の関係にあるとは言えません。
これはあなたのご意見でしょうか?そうであれば独自研究になるかと思います。それと追記は下に書いてください。読みにくいので。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 11:52 (UTC)[返信]
>「日向の襲」とこの「襲国」を、一文字同じだからという理由で、出典でも全く触れられていないのに関わらず同一のものとみなすのは無理があります。
では「日向国」と「日向」を同一のものとみなすのも無理があるというお考えでよろしいですか?--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 12:19 (UTC)[返信]
「日向国」という用例がどの程度あるのか分かりませんが、「日向国」と「日向」が明らかに同一であるとされている用例や資料が大量にあるとき、これらは同一と見做せるでしょう。この論法は「日本」と「日本国」が同一のものとみなせる理由とは何ら変わるものではありません。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 12:33 (UTC)[返信]
しかし、「襲」と「襲国」は違うと? 無理があるのでは? これにも明らかに同一であるとされている用例や資料が大量にあると思いますが?--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 12:41 (UTC)[返信]
そのような用例や出典が今あげられていない以上、あなたが思ってるだけ、という可能性は捨てきれません。「日向国」と「日向」ですが、コトバンクを参照すると「日向」と「日向国」はともに宮崎の旧国名とされ、日向国から日向へリンクを貼るものや、天孫降臨の地から始まり、その後の歴史も一致しているように書く記述がありますので、おそらくは同一のものだと思われます。しかし一方でこれが一致しない可能性にも触れられており、完全に同一であるかと言えば、断定できない、という感じでしょうか。どちらにせよ天孫降臨には触れられています。しかし、これでさえ天孫降臨の「日向」がすなわち(後の)「日向国」である、と書いてしまうと異議が出る可能性が高いです。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 12:52 (UTC)[返信]
では、あなたの主張だと「日向の襲」は「日向国の襲」であるということになりますね。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 12:55 (UTC)[返信]
少なくとも神話の記述をまんま信じても言っても制度上の「日向国」は「日向」のあとですし、国名の「日向国」は伝説上の「日向」と同一だと断定して主張することはできないというのが私の主張の中心であり、わざと議論をそらしているとしか思えませんので、第三者の意見を待ちたいと思います。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 13:07 (UTC)[返信]
わざと議論をそらしてはいません。あなたが一文字同じだからという理由で無理があると言っているので、そういう話の流れになってしまいます。
「日向の襲」と「襲国」は違うというのはやはり無理があります。 --Prison7879会話2022年2月2日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
「日向の襲」と「日向国の襲国」「日向の襲国」は違うというのはやはり無理があります。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 13:17 (UTC)[返信]
こんばんは。これはそんなに難しい話ではないと思います。
wikipediaは基本的に出典主義でありますので、現在のコトハバンクの襲国ではこれが天孫降臨としての「日向の襲」であると記述されていないことは事実であろうと思います。
しかし、一方で、天孫降臨における「日向の襲」が「襲国」と同一であるという説が一般的でなるのならばコトハバンクからではなくともいくらでも信頼できる情報源から引用できるのではないでしょうか。
一方で、「日向の襲」は「襲国」ではないとする説が信頼できる情報源にあるのであれば、両論あることを記述するだけであろうと思います。
いずれにしろ、天孫降臨について触れていないコトハバンクの襲国を出典とする必要はないと思いますがいかがでしょうか?--Xyy会話2022年2月2日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
ありがとうございます。コトハバンクの襲国以外にも天孫降臨における「日向の襲」が「襲国」であることが記述されている出典を何点か追加で付記しようと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 13:41 (UTC)[返信]
それと「日向の襲」の日向が古代の日向で現在でいうところの日向国のことを指しているという点についてどう思われますか?それが違う場所という話になると話がぜんぜん変わってきます。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 13:50 (UTC)[返信]
信頼できる文献でそのような記述があるならば、それを出典として書くのには反対しません。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 13:48 (UTC)[返信]
その点ですが、制度上の「日向国」の前にも「日向国」は言及があるとのことで、その点は訂正しますが、基本的な私の主張は変わりません。そもそも「日向」のはなしはこの出典の可否の話とは何ら関係ありません。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 13:51 (UTC)[返信]
あなたの主張はすでに理解しています。他の意見を聞きたいので。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 13:55 (UTC)[返信]
それと「日向の襲」の日向が古代の日向で現在でいうところの日向国のことを指しているという点についてどう思われますか?それが違う場所という話になると話がぜんぜん変わってきます。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 13:56 (UTC)[返信]
私の主張を理解しているとは思えません。「日向」がどこを指していようと、この節で議論している出典の可否とは何の関係もありません。無用な議論はおやめ下さい。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
一応あくまでも一般論の話としてPrison7879氏に返答致しますと、私は日本神話に詳しいとは言えず、また日本神話の地名の話であるゆえ、現在に至るまでに断定的な通説が出ていないのであれば、精通している学者ですら「~~という説がある」の範疇を出ない話であろうと思います。
それを我々が分かるのだろうか?という話だろうと思います。結局のところ、書式上は議論の分かれる点については信頼できる情報源から「〇〇学者である△△は□□と述べている」と中立的に記述するしかないのではないでしょうか。--Xyy会話2022年2月2日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
私の感覚だとこれは、大和と日本は違うのか?というような質問と同じなのです。一般的には古代の大和といえば現在の日本、日本国を指すというのはおわかりいただけると思います。
古代日向と日向国が違うという事を言う人は恐らくいないのです。もちろんその範囲は時代によって違います。古代の日向は南九州全体を指していて、それが薩摩国や大隅国と日向国に別れたのです。
しかし、古代日向が後の日向国と違うものだという人は恐らくいないと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 14:15 (UTC)[返信]
>>私の主張を理解しているとは思えません。
それで構いません。
そもそも議論自体が自由なものですので、阻害することはやめてください。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
情報 コメント依頼を見て来ました。コトバンクの「日向国」に天孫降臨に関する記載がありますので、該当部分の「日向」が「日向国」を指すのかどうかで議論を重ねる必要はないと思います。コトバンクの「日向国」も「襲」部分の説明は不十分なため、コトバンク以外のより適切な出典を探すべきというお二方の意見に私は賛成です。--Nano blocks会話2022年2月2日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
「日向」が「日向国」が同じ場所(南九州内で範囲は時代で違います)であれば別々の場所ではないということになるので、意味があるかと思われます。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 15:05 (UTC)[返信]

例えば天孫降臨についての出典としてこういうものがあります。

日本大百科全書「天孫降臨」の解説 現在の研究では、『日本書紀』本文の、司令神を高皇産霊神とし、嬰児の瓊瓊杵尊が真床追衾で覆われて、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂峰(たかちほのみね)に降(くだ)るとする伝承が原形であり、

そして

世界大百科事典内の襲国の言及 【大隅国】より 【古代】 日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ,

日向国の一部の襲国が「筑紫(古くは九州全域を指す言葉)の日向の襲」の「日向の襲」とは違うものという主張の出典があれば明示していただきたい。 日向に襲国と襲が別々にあったということですか?--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

追記
要するに、上記のいくつかの出典を見たときには「日向の襲」と「日向国の襲国」は同じ場所であるとしか私には読めないのです。なのでこれは違うものだという歴史家などの主張や出典があれば明示していただきたいのです。
上記での中で「襲」と「襲国」は一文字違うというご指摘がありましたが、それは名に国が付いたか付かなかったかというレベルの話であり、一般的に行って国が付かないから別の場所などという認識をするでしょうか?
なので私は、日向と日向国は基本的に同じものなのか?をあえて問うたのです。もし同じ場所で「襲」と「襲国」が別のものなら同じ古代日向に、それぞれ襲という国が存在するということになります。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
訂正
同じ古代日向に、襲という国が二カ所存在するということになります。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 16:06 (UTC)[返信]


既出の出典をまとめて提示。

日本大百科全書「天孫降臨」の解説 現在の研究では、『日本書紀』本文の、司令神を高皇産霊神とし、嬰児の瓊瓊杵尊が真床追衾で覆われて、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂峰(たかちほのみね)に降(くだ)るとする伝承が原形

朝日日本歴史人物事典「瓊瓊杵尊」 天照大神の孫の天孫として,高天原から日向(九州の南部)に降り,皇室の祖先になったとされている神。

世界大百科事典内の襲国の言及【大隅国】より 【古代】日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ,

精選版 日本国語大辞典「襲国」の解説 九州南部の古地名。日向国(宮崎県)と大隅国(鹿児島県)とにまたがる山岳地帯とみられ、現在の鹿児島県曽於(そお)市を中心とする一帯にあたると考えられる。

デジタル大辞泉「襲国」の解説 九州南部の古地名。神話や伝説上のの本拠地で、現在の鹿児島県霧島市・市を中心とする地域にあたるといわれる。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 17:55 (UTC)[返信]

「日向」について

利用者:Prison7879さんは「#「日向の襲」について」の節での議論の中で、「日向」と「日向国」の関係について提起されましたが、それについて、上の節でも触れられた通り、コトバンクの説明でも少なくとも同じ土地だと観念されているようですし、神道大辞典 : 3巻. 第二卷(国立国会図書館)のp.512では天孫降臨の土地は「日向國襲之高千穂峯」と言及されており、この「日向」を「日向国」と言及する例はあるようです。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 15:00 (UTC)[返信]

ありがとうございます。記述されたように、確かに「日向」と「日向国」は時代によってその範囲(三国に分かれた)は違えど基本的には同じ場所を指すと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 15:11 (UTC)[返信]
訂正
基本的には古代日向は南九州を指す言葉だと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 15:25 (UTC)[返信]
「同じ場所を指す」という言葉に少し不安になるのですが、この「日向」と「日向国」が同じものだと観念されているまでであり、考古学的な証拠がないとするものや、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)」では日向国の最初の言及を文武天皇とするものもあり、しかも『神道大辞典』は神話としての記述の中で「日向国」を言及しており、この記述のみをもって現実に現在の宮崎県にあり、守護も置かれた日向国と同一のものとしてよいかは分からない事は留意すべきと思います。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 15:31 (UTC)[返信]
確かにご指摘の通り「同じ場所を指す」は適切ではないと思いました。あくまで観念ですので、古代日向は大まかに言うと現在の南九州あたりをそう呼んでいて、後に分割され薩摩国、大隅国、日向国にとなったということです。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 15:38 (UTC)[返信]
>>現実に現在の宮崎県にあり、守護も置かれた日向国と同一のものとしてよいかは分からない事は留意すべきと思います。
はい、もっとハッキリ言えば、現在の宮崎県や守護が置かれた日向国と同一のものとは言えないと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 15:42 (UTC)[返信]

利用者:Prison7879さんしか議論参加者がいませんが、少なくともこの「日向」について「日向国」が天孫降臨の土地だと観念する言論があるという点一致できたと思います。よって、適切な出典をつけた上で、本文の「日向」の後ろの部分に適切な出典(コトバンクがこの場合はオンラインで簡単に手に入る資料)をつけて、「日向国」がこの地と伝わる旨書く事を提案しますが、意見募集します。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 15:48 (UTC)[返信]

基本的に了解ですが、一般的な認識だと「日向国」が古代だと南九州であったと理解している人は少ないので、ざっくりいうと、古代の日向で現在の南九州あたりを指す、といったような感じで記述すればよいかと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 16:02 (UTC)[返信]
『一般的な認識だと「日向国」が古代だと南九州であったと理解している人は少ない』としていますが、ここは素直に出典に従い、「日向国」が天孫降臨の地と考えられている、などの記述が良いと思います。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 16:30 (UTC)[返信]
「日向国」だと適切でないと思います。日向のほうが適切だと思います。または古代の日向。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 16:35 (UTC)[返信]
確認したところすでに「高天原から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ」と記述されていますが?--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 16:38 (UTC)[返信]
そうではなくてその「日向」の後ろに、ノート形式の注記として、『「日向国」がこの天孫降臨の地だと考えられている』という内容を、出典とともに記すということです。--小出-小坂井会話2022年2月2日 (水) 17:46 (UTC)[返信]
そういう意味ですか。了解しました。その場合でも日向国とするより、古代の日向(現在の南九州あたり)だと考えられている
などともう少し詳細に書いたほうがベターだと思います。
それと襲については上記の出典の中でいくつか追加したいと思います。--Prison7879会話2022年2月2日 (水) 17:54 (UTC)[返信]

「日向の襲」について②

#「日向の襲」について」の節で、出典に誤りがある旨指摘しており、この点は主張変わりませんが、飯田武郷諏訪藩士の国学者)が『日本書紀通釈』(国立国会図書館)の中(p.768)で景行天皇の記述を基にして「日向の襲」を襲国で熊襲と関連づける記述を残しているようですので、これを基に熊襲との関連を書ける可能性がありますが、意見募集します。--小出-小坂井会話2022年2月3日 (木) 19:14 (UTC)[返信]

たびたび分けて申し訳ありませんが、本居宣長の古事記伝にも巻5巻15(それぞれ国立国会図書館)に熊襲と「日向の襲」を関連づける記述があり、これも反映できそうです。しかしここまでくると、うえの#「日向」についてや既に書いた『釈日本紀』の記述と合わせて「諸説」のところに持ってくるのが良さそうですがどうでしょう。--小出-小坂井会話2022年2月3日 (木) 20:45 (UTC)[返信]
ご提案ありがとうございます。私はすでに申し上げたとおり、日向、日向国が過去に日本に一箇所しか存在しない(その範囲は違う)のであれば、必然的、論理的に襲は襲国、襲国は襲でしかないと思われます。(同じ古代の日向に、襲と襲国が別々に同時に存在するという説以外は)むしろ諸説に載せるのなら、それを否定するような説、つまり襲国は襲ではないという説がもしあるのならば、それを出典を忖して載せればいいと思います。--Prison7879会話2022年2月3日 (木) 23:59 (UTC)[返信]
天孫降臨の伝説は記紀の中で所謂、日向神話といわれるものですが、その日向神話と隼人または熊襲との関係についての、比較的最近の学術論文がありますので、是非一読されてください。
学術論文「日向神話」の隼人像 - 名古屋市立大学 原口耕一郎 著 · 2015
なお、ここでいう「日向神話」とは、南九州が舞台となった天孫降臨、コノハナノサクヤヒメの火中出産、海幸彦と山幸彦の物語である・・--Prison7879会話2022年2月4日 (金) 01:43 (UTC)[返信]
こちらの喜田貞吉の『日向国史. 古代史』のpp.336-337(国立国会図書館)にある通り、「ソ」の名前のものは昔から沢山あり、ひとつに定めることができない(意味のみが通じる)という記述があります。p.52には「襲」はひとつに場所を定められないとあります。また、利用者:Prison7879さんがあげられた『「日向神話」の隼人像 』 には、「襲」は全く触れられていませんので、出典として適切ではありません。「襲」がどこか多説あるなかで、コトバンクでも「襲国」に直接結びつけられていないのだから、すくなくとも、「『古事記伝』では…」といった記述にとどめるべきと思います。--小出-小坂井会話2022年2月4日 (金) 03:48 (UTC)[返信]
更に言えば『釈日本紀』では天孫降臨を日向国臼杵郡内チホとする一方、襲国は日向の、囎唹郡だとしており、明らかに別の場所だと観念されています。(それぞれ国史大系. 第7巻p.624国史大系. 第7巻p.649)。ご確認下さい。--小出-小坂井会話2022年2月4日 (金) 04:27 (UTC)[返信]
『釈日本紀』については諸説に記述すればいいでしょう。そもそも記紀では「筑紫の日向の襲の高千穂峰」と記述されており、仮に釈日本紀が正しいとすれば記紀が間違っていることになります。--Prison7879会話2022年2月4日 (金) 04:42 (UTC)[返信]
>「襲」はひとつに場所を定められないとあります。
ですから「筑紫の日向の襲の高千穂峰」ですので、筑紫の日向の中に襲がいくつかあるのですか?そしてその襲には高千穂峰がありますか?その主張と出典があればよろしくおねがいします。--Prison7879会話2022年2月4日 (金) 04:49 (UTC)[返信]
>『「日向神話」の隼人像 』 には、「襲」は全く触れられていません
それはおかしいです。論文の中に「なお、ここでいう「日向神話」とは、南九州が舞台となった天孫降臨、コノハナノサクヤヒメの火中出産、海幸彦と山幸彦の物語である・・」とあるとおり、天孫降臨の地域が南九州であるという見解が記述されています。そして熊襲や隼人と呼ばれた人々が居住していたとされる場所は、現在の南九州あたりで古代の日向の襲国だということは通説ですよね?。論理的な整合性に問題はありません。他に南九州で襲国だと思われる地域があるのでしょうか?もしこれを否定すれば、記紀にある日向伝説の隼人や熊襲の説そのものが間違っているということになります。そういった主張と出典があればよろしくおねがいします。--Prison7879会話2022年2月4日 (金) 05:12 (UTC)[返信]
まだ議論が継続中ですので保護依頼を出しました。--Prison7879会話2022年2月4日 (金) 05:42 (UTC)[返信]
議論が継続中なので保護依頼などと称して、#「考察」の節についてで議論すべき内容まで取り消しにしないで下さい。このような行為はコミュニティに対する裏切り行為になると思います。--小出-小坂井会話2022年2月4日 (金) 08:56 (UTC)[返信]
認識に違いがあるようです。違う項目の話ということはおっしゃるとおりですが、内容的にここで議論されている内容、つまり天孫降臨の地についてに関する議論の内容そのものでした。間違った内容だから消したという意味ではもちろんありません。
貴方様が無関係とおっしゃる理由と私が内容的に関係であるという認識の違いがあると思います。なので、天孫降臨の地に関する以外の内容について編集していただくことに異議はありません。--Prison7879会話2022年2月4日 (金) 10:22 (UTC)[返信]