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{{Otheruses|情報の伝達を意味する言葉|ニュースなどの収集、配信を行う組織|通信社}} |
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[[de:Kommunikation]][[en:Communication]] |
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{{出典の明記|date=2021年3月}} |
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[[eo:Komunikaĵo]][[fr:Communication]][[nl:Communicatie]] |
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'''通信'''(つうしん、{{Lang-en-short|telecommunication}} '''テレコミュニケーション''')とは、直接やり取りできる距離を越えた遠隔地間の[[コミュニケーション]]のこと<ref>世界大百科事典第二版「通信」</ref>。 |
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『[[日本大百科全書]]』においては、「人間が自然にもっている発声能力や聴覚、身ぶりなどを認識する視覚などによって直接に情報を伝えうる距離的な限界を超え、なんらかの道具や媒体を使用して意志、情報、感情などの交換を行う知的な活動<ref name="nippo">小学館『ニッポニカ』「通信」</ref>。」と説明している。 |
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'''通信'''とは、情報の送受信であり、有史以前から徐々に発展し、近代における様々なそして急激な技術的発展によって、より多様で利便性の高い、大衆的なものに発展してきた。 |
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[[手紙]]、[[電信]]、[[電話]]、[[ラジオ放送]]、[[テレビ放送]]、[[インターネット]]までさまざまなものがある。 |
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==通信の形態== |
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;語源 |
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*人間による伝言 |
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*telecommunication = tele(離れた) + communication([[コミュニケーション]]) |
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*[[のろし]]、[[腕木]]など視覚に頼るもの |
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*漢字の「信」は、「しるし」「合図」「手紙」などの意味。「通信」で「合図をかよわせる」「手紙を交わす」などという意味になる。 |
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*音響に頼るもの |
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*[[郵便]]などの[[信書]] |
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*[[電気通信]] |
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== 種類、分類 == |
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現代社会では、[[郵便]]のほか、一般に[[電気通信]]の意味で'''通信'''という場合が多い。 |
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[[電気通信|電気を用いた通信]]は [[無線通信]] ・ [[有線通信]]に分類できる。{{Main|電気通信}} |
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受信者の数に着目し、 1対1 か 1対多に分類することもでき、特に不特定多数を相手にする場合は[[マスコミュニケーション]]と言う。 |
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通信は、特定の相手とのやりとりであるが近年では[[CS放送]]やインターネットのように通信設備を使い放送が行われることも多く、通信と放送の境界は曖昧になりつつある。 |
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== 歴史 == |
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=== 先史時代 === |
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*[[放送]] |
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[[File:Remington The Smoke Signal 1905.jpg|thumb|right|220px|先史時代から使われていた'''[[狼煙]]'''という通信方法。この絵はのろしで通信するアメリカの先住民。]] |
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*[[郵便]] |
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'''[[狼煙]]'''による通信は、[[先史時代]]から使用されてきたものである<ref name="nippo" />。[[アメリカ州の先住民族|アメリカの先住民]]が近・現代にいたるまで使っている<ref name="nippo" />。 |
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=== 古代 === |
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*[[暗号]] |
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==== 火の目視のリレー ==== |
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[[トロイア戦争]]でギリシア軍が勝利した時、戦地のギリシア人は[[火]]を燃やすことで「戦勝のしるし」を伝え、そのしるしをリレーして故郷の仲間に知らせた、とされている。 |
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==== 大声のリレー ==== |
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ペルシアの王[[キュロス2世]](在位 [[紀元前559年]]~529年)は、その首都から放射状に[[塔]]の列を設置し、それぞれの上に兵士を配置し塔から塔へと大声で伝える方式で、メッセージを遠隔地に伝えるシステムを構築した<ref name="nippo" />。[[アレクサンドロス大王]]([[紀元前356年]] - [[紀元前323年]])は、同様の塔を配置しそこに巨大な[[メガホン]]を設置し兵士の声を19kmほど先まで届かせたという<ref name="nippo" />。 |
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==== アフリカのドラムを用いた通信 ==== |
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[[File:Fontomfrom-Orchester EthnM Berlin.jpg|thumb|right|220px|{{仮リンク|アシャンティ人|en|Ashanti people}}が通信に使うドラム]] |
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[[ガーナ]]の{{仮リンク|アシャンティ人|en|Ashanti people}}は、2000年以上昔からドラム([[太鼓]])による通信方法を継承し、今日でも使用できるといわれる<ref name="nippo" />。このドラム通信はFontomfrom、英語では「talking drum(喋る太鼓)」と呼ばれ、アシャンティ人はdrum language(ドラム言語)を用いてかなり細かな内容、具体的な内容も伝えることができる。ドラムの大音量のおかげで離れた場所まで伝えることができ、メッセージを多人数でリレーして300km以上先まで電信並みのすばやさで伝えることができる。このおかげでアシャンティ人は「[[アシャンティ王国|Ashanti Empire アシャンティ帝国]]」と呼ばれる広大な国を築いた。西アフリカにはアシャンティ人以外にもドラム言語を操る民族・部族がいくつもいる。 |
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==== 手紙の登場 ==== |
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[[文字]]が発明されてからの通信の多くは'''[[手紙]]'''の形式で行われるようになった<ref name="nippo" />。文字を持たなかった[[インカ帝国]]では紐の結び目([[キープ (インカ)|キープ]])を用いた表現が高度化しそれで手紙が書かれた。 |
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;メソポタミアの粘土板の手紙 |
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[[紀元前3000年]]以前に[[楔形文字]]が書かれるようになっており、[[粘土板]]での手紙のやり取りが広くなされるようになっていた。粘土板に書かれたメッセージは、さらに粘土の「封筒」で覆い封印し秘匿性を高めた。 |
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|File:Cuneiform tablet with a small second tablet- private letter MET DP-13441-021.jpg|[[粘土板]]に[[楔形文字]]で書かれた私的な手紙の一例([[紀元前17世紀]]~[[紀元前16世紀]]ころのもの). |
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|File:Cuneiform tablet- private letter MET DP-12499-013.jpg|粘土板に書かれた私的な手紙(書かれた内容から紀元前1632年ころのものと推定されている) |
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|File:Letter written in hieratic script on papyrus MET DP234741.jpg|[[パピルス]]に[[ヒエラティック|ヒエラティック(神官文字)]]で書かれた手紙([[エジプト第18王朝|古代エジプト第18王朝]]、紀元前1479年~1458年のもの) |
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|File:Papyrus letter in Greek MET DP137338.jpg|パピルスに[[古代ギリシア語]]で書かれた手紙([[紀元前3世紀]]ころのもの) |
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|File:Shanghai Qingpu - Zhujiajiao IMG 8181 Qing Dynasty Post Office - bamboo slip Qin Dynasty 21-206BC.jpg|[[秦朝]](紀元前221年~206年)時代の、[[竹簡]]に書かれた手紙 |
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;インカ帝国の通信システム |
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[[File:Chasqui3.JPG|thumb|right|200px|インカ帝国の公設飛脚[[チャスキ]]。左手に持っているのが[[キープ (インカ)|キープ]]。]] |
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南北およそ5,000kmにも達した[[インカ帝国]]の領域内には全長5万kmにおよぶ[[インカ道]]が整備され、情報を迅速に首都の[[クスコ]]に届けるためのシステムとして、この道に5kmの間隔で駅が設けられ、「[[チャスキ]]」と呼ばれる公設の飛脚が各駅に常時2名駐在していた。文字を持たないインカ帝国では「[[キープ (インカ)|キープ]]」と呼ばれる紐の束が情報の表現に使われ、これをとリレーして情報を伝え、その速度は時速20kmほどとも言われている<ref>[https://www.jcca.or.jp/kaishi/270/270_toku5.pdf]</ref>。 |
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==== 「早馬」や「飛脚」の利用、駅伝制、伝書鳩 ==== |
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手紙は[[狼煙]]などに比べると、内容の正確性や詳細性では優れるが、速度はかなり劣る<ref name="nippo" />。どうしても早く届ける場合には、飛脚や早馬が用いられた。 |
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広大な地域を支配する中央集権国家が成立すると、その支配体制を維持するために中央と地方とを常時連絡する手段が必要となった。 |
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紀元前5世紀には、アケメネス朝ペルシアの[[ダレイオス1世]]によって、[[王の道]](おうのみち、英語: Persian Royal Road)が構築された。 |
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{{Seealso|駅伝制}} |
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[[1150年]]には[[バグダッド]]で[[伝書鳩]]が使われはじめた。だが目的地にたどり着かないことも多く、確実性が低い通信方法だった<ref name="nippo" />。 |
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=== セマフォール === |
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[[File:OptischerTelegraf.jpg|thumb|left|180px|セマフォール通信の塔、および塔の上の「腕木」]] |
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[[1793年]]にフランスの[[クロード・シャップ]]は、首都[[パリ]]と[[リール (フランス)|リール]]の間の230kmに通信塔([[:fr:semaphore]] セマフォール)を約10km間隔で配列して[[腕木通信]]を行い、すみやかにメッセージを送ることを可能にした。これは塔の上に形を変えられるようにした大きな腕木を設置し、この形の変化を望遠鏡で観測して文字や記号などとして読み取り、塔から塔へと中継していく仕組みである<ref name="nippo" />。このセマフォールがうまく機能し、各地の戦況が素早くパリの政権に伝えられたことで、フランス革命政府は通信システムの重要性を認識し、[[1795年]]にはフランス国内が556のセマフォールによる総延長4800kmのネットワークで網羅された<ref name="nippo" />。このセマフォール通信は当時としては非常にすぐれており、アメリカやイギリスなどでも採用された。セマフォール通信は、[[船舶]]、[[海運]]の世界では今日でも使われている。[[信号旗]]をマストの張り出しの異なる位置に掲げることで他船に信号を送る。また船舶間では[[手旗信号]]による通信も行われている。 |
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|File:J_M_W_Turner-La_bataile_de_Trafalgar.JPG|[[信号旗]]を用いた通信の例。離れていても'''[[望遠鏡]]'''でこの船の信号旗を観測することで「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」というメッセージを伝えていることが理解できる。[[トラファルガーの海戦]]での通信。 |
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|File:ICS-flags.png|アルファベットを送る場合の信号旗 |
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|File:Semaphore Signals A-Z.jpg|[[手旗信号]]でのアルファベットの一覧 |
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|Demostracion.gif|手旗信号が実際に送られる時の雰囲気や速さが分かるgif動画 |
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=== 電気通信の登場 === |
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[[1787年]]、スペインの[[アグスティン・デ・ベタンクル]]はマドリードとアランフエス間で電信を送るための実験を行った。[[1798年]]にはバルセロナの{{仮リンク|フランシスコ・サルバ|en|Francisco Salva Campillo}}(1751―1828)がマドリード―アランフエス間の42kmを1本の電線で結ぶ実験に成功。[[1816年]]にはイギリスの通信技術者{{仮リンク|フランシス・ロナルズ|en|Francis Ronalds}}がロンドン郊外[[:en:Queen Square, London|クイーンスクエアー]]の自宅の庭で実験を積み重ね、新しい方式を発明した。これは、アルファベットを書いた回転ダイヤルを送・受信双方に設け同期して回転させ、送信側において希望の文字が目前にきたときに放電させ、受信側では木の髄でつくった小球が弾かれて送信したい文字を示すもので、これはイギリス海軍に採用された<ref name="nippo" />。 |
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[[1809年]]に{{仮リンク|サミュエル・トーマス・ゼンメリンク|de|Samuel Thomas von Soemmerring}}が『ミュンヘン・アカデミー・オブ・サイエンス』誌(Munich Academy of Science)で電気化学的通信のアイディアについて述べ、それを読んだシリング男爵[[:en:Pavel Schilling|Baron Pavel L'vovitch Schilling]](1780―1837)がそれを実現しようと実験に没頭し、それをロシア皇帝から認められ[[サンクトペテルブルク]]とペテルホーフ宮殿の間に電気通信設備を設けるよう命じられたが不幸にもまもなく没してしまった。一方で、1833年ゲッティンゲン大学教授の[[カール・フリードリヒ・ガウス]]と[[ヴィルヘルム・ヴェーバー]]が最初の電磁検流針電信装置を実用化し、1km離れた研究施設の間で通信を行った<ref name="nippo" />。これは4つの基本的なシグナルの単位で動作するものであった<ref name="nippo" />。 |
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{{Seealso|電気通信}} |
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=== コンピュータ通信の登場 === |
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1950年代から[[コンピュータネットワーク]]を用いた通信が行われるようになり、1990年代からは[[インターネット]]を用いた通信が盛んになっている。 |
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|File:Erdfunkstelle Raisting 2.jpg|現代の[[パラボラアンテナ]]と[[通信衛星]]を用いた通信 |
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|File:Internet map 1024.jpg|現代の[[インターネット]]網を視覚化したもの |
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== 会計用語、経理用語 == |
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通信に掛かった費用、又は[[簿記]]で通信を処理する[[勘定科目]]のこと。電話料金等は、銀行振替日か請求書の日付で継続的に計上する。 |
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請求書の日付で計上する場合は、[[発生主義]]の観点から[[未払金]]とする。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<!--=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注"}}--> |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 関連項目 == |
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{{Wiktionary pipe|通信}} |
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*[[通信技術の年表]] |
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*[[コミュニケーション]] |
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*[[通信工学]] |
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*[[暗号]]、[[秘匿通信]] |
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*[[データ通信]] |
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*[[超光速通信]] |
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*[[インターネット用語一覧]] |
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*[[通信用語一覧]] |
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*[[通信と放送の融合]] |
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*[[情報通信技術]](ICT) |
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*[[情報通信業]] |
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*[[電気通信事業]] |
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*[[光波長多重通信]] |
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== 外部リンク == |
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* [https://www.kagakueizo.org/movie/industrial/348/ 『つたえる-情報通信-』(1984年)] - [[科学技術庁]](現・[[文部科学省]]ほか)の企画の下で東京文映が制作した短編映画。前半部分で通信の歴史を紹介し、後半部分で[[アナログ]]通信(信号)と[[デジタル]]通信(信号)を対比紹介している。『[[科学映像館]]』より。 |
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{{Telecommunications}} |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:つうしん}} |
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[[Category:通信|*]] |
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[[Category:媒体]] |
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[[de:Telekommunikation]] |
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[[en:Telecommunication]] |
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[[fr:Télécommunications]] |
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[[pl:Telekomunikacja]] |
2024年10月16日 (水) 02:45時点における最新版
通信(つうしん、英: telecommunication テレコミュニケーション)とは、直接やり取りできる距離を越えた遠隔地間のコミュニケーションのこと[1]。
『日本大百科全書』においては、「人間が自然にもっている発声能力や聴覚、身ぶりなどを認識する視覚などによって直接に情報を伝えうる距離的な限界を超え、なんらかの道具や媒体を使用して意志、情報、感情などの交換を行う知的な活動[2]。」と説明している。
手紙、電信、電話、ラジオ放送、テレビ放送、インターネットまでさまざまなものがある。
- 語源
- telecommunication = tele(離れた) + communication(コミュニケーション)
- 漢字の「信」は、「しるし」「合図」「手紙」などの意味。「通信」で「合図をかよわせる」「手紙を交わす」などという意味になる。
種類、分類
[編集]受信者の数に着目し、 1対1 か 1対多に分類することもでき、特に不特定多数を相手にする場合はマスコミュニケーションと言う。
歴史
[編集]先史時代
[編集]狼煙による通信は、先史時代から使用されてきたものである[2]。アメリカの先住民が近・現代にいたるまで使っている[2]。
古代
[編集]火の目視のリレー
[編集]トロイア戦争でギリシア軍が勝利した時、戦地のギリシア人は火を燃やすことで「戦勝のしるし」を伝え、そのしるしをリレーして故郷の仲間に知らせた、とされている。
大声のリレー
[編集]ペルシアの王キュロス2世(在位 紀元前559年~529年)は、その首都から放射状に塔の列を設置し、それぞれの上に兵士を配置し塔から塔へと大声で伝える方式で、メッセージを遠隔地に伝えるシステムを構築した[2]。アレクサンドロス大王(紀元前356年 - 紀元前323年)は、同様の塔を配置しそこに巨大なメガホンを設置し兵士の声を19kmほど先まで届かせたという[2]。
アフリカのドラムを用いた通信
[編集]ガーナのアシャンティ人は、2000年以上昔からドラム(太鼓)による通信方法を継承し、今日でも使用できるといわれる[2]。このドラム通信はFontomfrom、英語では「talking drum(喋る太鼓)」と呼ばれ、アシャンティ人はdrum language(ドラム言語)を用いてかなり細かな内容、具体的な内容も伝えることができる。ドラムの大音量のおかげで離れた場所まで伝えることができ、メッセージを多人数でリレーして300km以上先まで電信並みのすばやさで伝えることができる。このおかげでアシャンティ人は「Ashanti Empire アシャンティ帝国」と呼ばれる広大な国を築いた。西アフリカにはアシャンティ人以外にもドラム言語を操る民族・部族がいくつもいる。
手紙の登場
[編集]文字が発明されてからの通信の多くは手紙の形式で行われるようになった[2]。文字を持たなかったインカ帝国では紐の結び目(キープ)を用いた表現が高度化しそれで手紙が書かれた。
- メソポタミアの粘土板の手紙
紀元前3000年以前に楔形文字が書かれるようになっており、粘土板での手紙のやり取りが広くなされるようになっていた。粘土板に書かれたメッセージは、さらに粘土の「封筒」で覆い封印し秘匿性を高めた。
- インカ帝国の通信システム
南北およそ5,000kmにも達したインカ帝国の領域内には全長5万kmにおよぶインカ道が整備され、情報を迅速に首都のクスコに届けるためのシステムとして、この道に5kmの間隔で駅が設けられ、「チャスキ」と呼ばれる公設の飛脚が各駅に常時2名駐在していた。文字を持たないインカ帝国では「キープ」と呼ばれる紐の束が情報の表現に使われ、これをとリレーして情報を伝え、その速度は時速20kmほどとも言われている[3]。
「早馬」や「飛脚」の利用、駅伝制、伝書鳩
[編集]手紙は狼煙などに比べると、内容の正確性や詳細性では優れるが、速度はかなり劣る[2]。どうしても早く届ける場合には、飛脚や早馬が用いられた。
広大な地域を支配する中央集権国家が成立すると、その支配体制を維持するために中央と地方とを常時連絡する手段が必要となった。 紀元前5世紀には、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世によって、王の道(おうのみち、英語: Persian Royal Road)が構築された。
1150年にはバグダッドで伝書鳩が使われはじめた。だが目的地にたどり着かないことも多く、確実性が低い通信方法だった[2]。
セマフォール
[編集]1793年にフランスのクロード・シャップは、首都パリとリールの間の230kmに通信塔(fr:semaphore セマフォール)を約10km間隔で配列して腕木通信を行い、すみやかにメッセージを送ることを可能にした。これは塔の上に形を変えられるようにした大きな腕木を設置し、この形の変化を望遠鏡で観測して文字や記号などとして読み取り、塔から塔へと中継していく仕組みである[2]。このセマフォールがうまく機能し、各地の戦況が素早くパリの政権に伝えられたことで、フランス革命政府は通信システムの重要性を認識し、1795年にはフランス国内が556のセマフォールによる総延長4800kmのネットワークで網羅された[2]。このセマフォール通信は当時としては非常にすぐれており、アメリカやイギリスなどでも採用された。セマフォール通信は、船舶、海運の世界では今日でも使われている。信号旗をマストの張り出しの異なる位置に掲げることで他船に信号を送る。また船舶間では手旗信号による通信も行われている。
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アルファベットを送る場合の信号旗
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手旗信号でのアルファベットの一覧
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手旗信号が実際に送られる時の雰囲気や速さが分かるgif動画
電気通信の登場
[編集]1787年、スペインのアグスティン・デ・ベタンクルはマドリードとアランフエス間で電信を送るための実験を行った。1798年にはバルセロナのフランシスコ・サルバ(1751―1828)がマドリード―アランフエス間の42kmを1本の電線で結ぶ実験に成功。1816年にはイギリスの通信技術者フランシス・ロナルズがロンドン郊外クイーンスクエアーの自宅の庭で実験を積み重ね、新しい方式を発明した。これは、アルファベットを書いた回転ダイヤルを送・受信双方に設け同期して回転させ、送信側において希望の文字が目前にきたときに放電させ、受信側では木の髄でつくった小球が弾かれて送信したい文字を示すもので、これはイギリス海軍に採用された[2]。
1809年にサミュエル・トーマス・ゼンメリンクが『ミュンヘン・アカデミー・オブ・サイエンス』誌(Munich Academy of Science)で電気化学的通信のアイディアについて述べ、それを読んだシリング男爵Baron Pavel L'vovitch Schilling(1780―1837)がそれを実現しようと実験に没頭し、それをロシア皇帝から認められサンクトペテルブルクとペテルホーフ宮殿の間に電気通信設備を設けるよう命じられたが不幸にもまもなく没してしまった。一方で、1833年ゲッティンゲン大学教授のカール・フリードリヒ・ガウスとヴィルヘルム・ヴェーバーが最初の電磁検流針電信装置を実用化し、1km離れた研究施設の間で通信を行った[2]。これは4つの基本的なシグナルの単位で動作するものであった[2]。
コンピュータ通信の登場
[編集]1950年代からコンピュータネットワークを用いた通信が行われるようになり、1990年代からはインターネットを用いた通信が盛んになっている。
会計用語、経理用語
[編集]通信に掛かった費用、又は簿記で通信を処理する勘定科目のこと。電話料金等は、銀行振替日か請求書の日付で継続的に計上する。
請求書の日付で計上する場合は、発生主義の観点から未払金とする。
脚注
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]- 通信技術の年表
- コミュニケーション
- 通信工学
- 暗号、秘匿通信
- データ通信
- 超光速通信
- インターネット用語一覧
- 通信用語一覧
- 通信と放送の融合
- 情報通信技術(ICT)
- 情報通信業
- 電気通信事業
- 光波長多重通信
外部リンク
[編集]- 『つたえる-情報通信-』(1984年) - 科学技術庁(現・文部科学省ほか)の企画の下で東京文映が制作した短編映画。前半部分で通信の歴史を紹介し、後半部分でアナログ通信(信号)とデジタル通信(信号)を対比紹介している。『科学映像館』より。