コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「愛知県立内海高等学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
rv
タグ: 手動差し戻し
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2018年11月}}
{{出典の明記|date=2018年11月}}
{{日本の高等学校
{{Infobox 日本の学校
|校名 = 愛知県立内海高等学校
|校名 = 愛知県立内海高等学校
|画像 =[[ファイル:内海高校.jpg|300px]]
|画像 =[[ファイル:内海高校.jpg|300px]]

2022年10月6日 (木) 23:37時点における版

愛知県立内海高等学校
地図北緯34度45分42.14秒 東経136度53分53.29秒 / 北緯34.7617056度 東経136.8981361度 / 34.7617056; 136.8981361座標: 北緯34度45分42.14秒 東経136度53分53.29秒 / 北緯34.7617056度 東経136.8981361度 / 34.7617056; 136.8981361
国公私立の別 公立学校
設置者 愛知県の旗 愛知県
校訓 誠実・努力
設立年月日 1939年(昭和14年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D123210000786 ウィキデータを編集
高校コード 23165H
所在地 470-3321
愛知県知多郡南知多町大字内海字奥鈴ヶ谷1-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
愛知県立内海高等学校の位置(愛知県内)
愛知県立内海高等学校

愛知県立内海高等学校(あいちけんりつ うつみこうとうがっこう)は、愛知県知多郡南知多町大字内海字奥鈴ヶ谷1-1にある県立の高等学校である。

前身は1939年(昭和14年)開校の内海町立内海高等裁縫女学校であり、1949年(昭和24年)に愛知県立半田高等学校内海分校となったのち、1957年(昭和32年)に愛知県立内海高等学校として独立した[1]。1980年(昭和55年)から三河湾に浮かぶ日間賀島篠島に分校が存在したが、2001年(平成13年)には日間賀島分校が、2004年(平成16年)には篠島分校が閉校した。

複合選抜の分類では、尾張1・2群Aグループになっている。

校訓

  • 校訓は「誠実・努力」。

設置学科

沿革

  • 1939年(昭和14年)3月30日 - 内海町立内海高等裁縫女学校が開校。[2]
  • 1942年(昭和17年)3月12日 - 専攻科を設置。[2]
  • 1944年(昭和19年)3月31日 - 内海町立内海女子実業学校に改称。[2]
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 内海町立内海高等学校に改称。定時制課程のみ。[2]
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 愛知県立半田高等学校内海分校に改称。定時制課程のみ。[2]
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 愛知県立内海高等学校として独立。全日制課程普通科/家庭科・定時制課程普通科。[2]
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 定時制課程を廃止。[2]
  • 1974年(昭和49年)5月24日 - 大字内海字柴井から大字内海字奥鈴ヶ谷に移転。
  • 1979年(昭和54年)9月24日 - 創立40周年記念式典。[2]
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - 篠島分校と日間賀島分校が開校。[2]
  • 1989年(平成元年)11月4日 - 創立50周年記念式典。[2]
  • 1999年(平成11年)11月13日 - 創立60周年記念式典。[2]
  • 2001年(平成13年)3月31日 - 日間賀島分校が閉校。[2]
  • 2004年(平成16年)3月31日 - 篠島分校が閉校。[2]
  • 2009年(平成21年)11月14日 - 創立70周年記念式典。[2]

特徴

「内海」という名称だが、名鉄知多新線 内海駅名鉄河和線 河和駅の2駅からほぼ等距離である。両駅から海っ子バスで10分程度。富貴駅以北から通う生徒の多くは、所要時間が短い・交通費が安いなどの理由で河和駅を利用する。[独自研究?]

自転車通学者が多い。[要出典]内海方面からは歩道が続く。しかし、河和方面にはそれが無く、夏季には雑草が生い茂り、必然的に白線の外側にはみ出すため、事故の危険性が高い。[独自研究?]

校門を出た敷地内にバスロータリーがある。保護者の車両は、原則校内進入禁止のため、ここで送り迎えをする。[独自研究?]

敷地は76万m2と広大であり、敷地内に自然林や池を有する[1]。この地区の他の高校にも見られるように、山を削った地形上にあるため、敷地内は段が複数ある。ただし、その敷地の広さのためか、コンクリートや石垣による土留めは、一部を除き無い。[独自研究?]

校風

基本方針

『何事にも誠実に取り組み、努力する人を育てる』を基本方針としている。

校庭が広く、互いにスペース的な干渉無く練習できる為[独自研究?]、部活動が盛んである。

生活・生徒指導

生徒への指導に厳格な基準があり、特に制服などの服装の指導は細かい。

例えば、服飾品はピアスやブレスレットを始め、夏季の帽子やサングラス、サマーセーター等も禁止している。男子の頭髪については、前髪は眉にかからない、横は耳にかからないなど。違反した場合は、一度帰宅させる再登校指導や、反省文となる。段階的指導により謹慎処分もある。

かつての混迷期の反省として、いわゆる不良めいた行動には格段厳しく対処する。

例として、喫煙・暴行・いじめ・これらの同席・無断免許取得などは別室や謹慎、停退学処分などがある。

学校の特徴

上記の厳しさゆえか、下校途中の服装は、一般的な高校生がそうであるように、着崩されていることが多い。[独自研究?]

毎年7月に、河和港と内海海岸(千鳥ヶ浜等)で清掃活動を行っている。

地元では「内高(うつこう)」や「内海」と略される。[独自研究?]

学年の特徴

第1学年(全6クラス)

1年時は選択科目ごとに音楽課程と美術課程別にクラスを分けられる。なお、1年時は1組40人をA・B組に20人ずつ分けるが、必ずしもA=美術、B=音楽ではない。

クラスは1-1A、1-3Bのようになる。A・Bは完全に別のクラスだが、生徒番号のみ連番であり、例えば1-2Bクラスの出席番号1番は1221番となる。

第2・3学年(各学年4クラス)

2・3年時は1クラス原則30人で、1組、2組が文理混合クラス、3組以降が文系クラスである。クラスは2-3、3-1のようになる。

部活動

運動部

文化部

脚注

  1. ^ a b 中日新聞社開発局『愛知百科事典』中日新聞本社、1977年、p.152
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 沿革 愛知県立内海高等学校

関連項目

外部リンク