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「福島県立喜多方高等学校」の版間の差分

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2022年10月6日 (木) 23:56時点における版

福島県立喜多方高等学校

地図
地図
地図北緯37度39分31.9秒 東経139度52分25.6秒 / 北緯37.658861度 東経139.873778度 / 37.658861; 139.873778座標: 北緯37度39分31.9秒 東経139度52分25.6秒 / 北緯37.658861度 東経139.873778度 / 37.658861; 139.873778
過去の名称 福島県立喜多方中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 福島県の旗 福島県
学区 耶麻学区
併合学校 福島県立喜多方東高等学校
設立年月日 1918年4月1日
創立記念日 6月20日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D107220860052 ウィキデータを編集
高校コード 07138C
所在地 966-0802
福島県喜多方市桜ガ丘1-129
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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校門から(2016年)
福島県立喜多方高等学校の位置(福島県内)
福島県立喜多方高等学校

福島県立喜多方高等学校(ふくしまけんりつ きたかたこうとうがっこう)は、福島県喜多方市にある県立高等学校。「旧制喜多方中学校」の後身である戦後 "新制" の県立高等学校であったが、2021年より「旧制喜多方高等女学校」の後身である福島県立喜多方東高等学校(2000年共学化までの名称は喜多方女子高等学校)と同等合併して校名を同じく喜多方高等学校と定めた令和 "新生" の県立高等学校である。

なお、源流となった旧制喜多方中学校は1918年に福島県立中学校として県内6番目に、旧制喜多方高等女学校は1928年に福島県立高等女学校として県内8番目に設立された。両校は、福島県では比較的長い伝統を誇っており、地元ならびに首都圏での同窓意識は高い[1][2]

設置学科

一時期、農業科、英語科も設置されていた。[要出典]

沿革

 新潟県からの越境入学者もあった1950年代から1960年代、更に1970年代の初めまでは東京大学入学者をほぼ毎年出しており、1953年には4人が合格し、会津高等学校より多かったり同数だったりしたことは1950年代から1960年代に何度かあった[3]。その頃、東北大学は二桁合格も。

校章

旧制中学時代は五弁の桜花の中に「中」を入れたものであった。現在の校章は昭和23年新制高校の発足にあたって公募した。応募作品の中から当時の美術教師竹内博が選定し、職員の意見も取り入れ決定したものである。桜花を三つ合わせて「桜壇」を象徴させ三つの桜花がそれぞれ、真・善・美の追求、知・徳・体の達成、智・情・意の完成を表している。

校歌・応援歌

校歌

喜多方高等学校が喜多方東高等学校(旧名:喜多方女子高等学校、旧制:喜多方女学校)と2021年合併するにあたり、小田和正作曲で歌詞は両校生徒の作『桜並木をたどり』となったが。今も旧喜多方高等学校卒業生が懐かしむ[8]校歌は北村賢瑞作詞・作曲者未詳の『会津の原は雄大に』である。この校歌は旧制喜多方中学校時代からの校歌で新制高等学校にそのまま引き継がれた稀なる例であると言われてきた。理由は二つある。1)歌詞に中学校という言葉がなく高等学校でも通用したこと、2)一般の旧制中学校校歌にしばしば含まれる軍国主義的文言が一切なかったこと。つまり、新生民主日本でも歌えることが幸いした文語校歌。

なお、北村賢瑞は喜多方中学創立当時(1918年、大正7年)の国漢の教諭であった。しかし、一説には、1907年(明治40年)に旧制北海道庁立旭川中学校(現、北海道旭川東高等学校)の教諭塩田弓吉が同校のために作詞・作曲した『突兀七千有余尺の歌』と酷似していると言われる。ただし、似ているのは2番と7番の歌詞であって他は異なる[9][10]。また、伝えられるように北村が塩田の旧制旭川中学校の同僚であったとすれば塩田は当時同校の習字・図画の教師であるから[11]、もともと国漢(国語・漢文)教師である北村との共作あるいは援助があったと推定することも可能である。大雪山系も飯豊連峰もたまたま「七千有余尺」すなわち2,000メートル前後なのも奇遇と言える。

  旧喜多方高等学校校歌(2021年3月まで旧制喜多方中学校および新制喜多方高等学校共通の校歌) 北村賢瑞 作詞

1. 会津の原は雄大に 黄金の花は穣々と
   昌平ここに八百年 喜び多きわが郷よ        /昌平(しょうへい)
2. 突兀七千有余尺 飯豊の山は聳えたり         /突兀(とっこつ)
   その秀嶺の容姿こそ われら健児の精神なれ     /秀嶺(しゅうれい)「秀麗」とも /容姿(すがた)/精神(こころ)
3. 漾々六十有数里 西に流るる阿賀の川         /漾々(ようよう)
   昼夜をやめぬ心こそ われら健児の気性なれ
4. 朝日に霞む桜壇 花咲き匂ふ潔さ
   八汐に映ゆる檜原海 赤き心の尊しや        /檜原海(ひばらうみ)
5. 雪降る朝も風の夜も 荒金とかす夏の日も
   倦まず撓まず丈夫が 学びの道に勤しまむ      /丈夫(ますらお)
6. 天地渺々際涯なく 時潮の浪は荒くとも        /渺々(びょうびょう) /際涯(はてし)
   われには金剛の力あり われには不壊の心あり    /金剛(てつ) /不壊(ふえ)
7. 峯踏み分けていざ共に 薫れる枝を手折らばや     /手折(たお)
   八重の潮路を漕ぎ分けて 龍の宮居に到らなむ    /龍(たつ)

応援歌

  秋まだ浅き桜檀 作詞・作曲未詳

  秋まだ浅き桜檀          /「春」ではない「秋」
  会陽の地は熱くして        /会陽(かいよう)    
  血潮高鳴る若人の    
  意気を示すはこの時ぞ  
  血潮高鳴る若人の    
  意気を示すはこの時ぞ  

  フレーフレーフレー   
  喜高!         

もう一つの伝統:喜多方女子高等学校および喜多方東高等学校 校歌・応援歌

  喜多方女子高等学校校歌と短い間ではあったが喜多方東高等学校にはそれぞれ別の校歌があり、応援歌もあった[12]

    喜多方女子高等学校校歌「朝日夕日にそびえて立てる」葛原しげる 作詞・粱田 貞 作曲
    同校 応援歌     「力みなぎる我が校の」作詞・作曲未詳

    喜多方東高等学校校歌 「飯豊連峰空に映え」小川茂正 作詞・岡部富士夫 作曲

部活動

進路概況

交通

著名な出身者(一時在籍を含む)

旧 喜多方高等学校(2021年3月卒まで)ならびに 旧制 喜多方中学校 出身

喜多方女子高等学校・喜多方東高等学校 ならびに 旧制 喜多方高等女学校 出身

令和新生 現 喜多方高等学校 出身(2022年3月卒業以降)

関連項目

脚注

  1. ^ 喜多方高等学校同窓会(首都圏)2021年10月12日閲覧。
  2. ^ 喜多方東高等学校90周年式次第2021年10月12日閲覧。
  3. ^ 東大・京大合格状況 福島県 2022年8月31日閲覧。
  4. ^ “喜多方東高、喜多方高と統合 92年の歴史に幕”. 福島民報. (2021年3月30日). オリジナルの2021年3月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210330001755/https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021033085019 2021年3月30日閲覧。 
  5. ^ 福島県教育委員会/統合後の校名について 2021年9月26日閲覧。
  6. ^ "統合高校の校歌について" (Press release). 福島県立喜多方高等学校/福島県立喜多方東高等学校. 15 January 2021. 2021年3月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2021年3月30日閲覧
  7. ^ “小田和正さん作曲 統合「喜多方高」の校歌 福島県教委発表”. 福島民報. (2021年1月16日). オリジナルの2021年3月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210330035014/https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021011682728 2021年3月30日閲覧。 
  8. ^ 居酒屋「夢」/桜が丘1丁目/2021年10月9日閲覧。
  9. ^ 西村一男(旭中40・41期)「福島県立喜多方高校校歌『突兀七千有余尺』について2021年10月9日閲覧。
  10. ^ 栃木義正『突兀七千有余尺:庁立旭川中学校校歌雑考』(札幌:栃木義正 私家版、1994年)JP番号 95051851。
  11. ^ 金子一夫「明治期中等学校図画教員の研究(1)北海道・東北地方」『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学、芸術)37号(1988):13-33. p.29.
  12. ^ 創立80周年記念式典のしおり(喜多方女子高等学校・喜多方東高等学校)2021年10月12日閲覧。

外部リンク