コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「鹿児島県立川内商工高等学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m インテリア科の項目だけURLのリンクが無かった為追加しました。
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の高等学校
{{Infobox 日本の学校
|校名=鹿児島県立川内商工高等学校
|校名=鹿児島県立川内商工高等学校
|画像=[[File:Sendai Shoko High school.JPG|300px]]
|画像=[[File:Sendai Shoko High school.JPG|300px]]

2022年10月7日 (金) 00:37時点における版

鹿児島県立川内商工高等学校
地図北緯31度48分47.2秒 東経130度19分20.7秒 / 北緯31.813111度 東経130.322417度 / 31.813111; 130.322417座標: 北緯31度48分47.2秒 東経130度19分20.7秒 / 北緯31.813111度 東経130.322417度 / 31.813111; 130.322417
過去の名称 川内市立高等学校
鹿児島県川内商工高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鹿児島県の旗 鹿児島県
併合学校 川内市立川内商工学校
川内市立川内工業学校
川内市立女子商業学校
校訓 自主・好学・明朗
設立年月日 1928年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 機械科
電気科
インテリア科
商業科
学校コード D146210000217 ウィキデータを編集
所在地 895-0012
鹿児島県薩摩川内市平佐町1835番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
1974年頃の川内商工高等学校。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

鹿児島県立川内商工高等学校(かごしまけんりつ せんだいしょうこうこうとうがっこう)は、鹿児島県薩摩川内市平佐町にある県立高等学校

概要

薩摩川内市川内地域(旧川内市)のほぼ中央部に位置している。学区は薩摩学区に属し、3つの工業系学科と商業科からなる。男女共学だが科によって男女比は異なる。機械科電気科は男子生徒、商業科は女子生徒が圧倒的に多い。インテリア科は女子生徒の方が多い傾向にある。

前身は1928年に創立した長浜学園川内商業学校、1938年に創立した私立薩摩商工学校、1942年に創立した私立川内工業学校であり、後に3校は川内市に移管されたのち、戦後の学制改革により川内市立高等学校となり、全日制と定時制(定時制は1977年に廃止)が設置された。その後1956年に鹿児島県に完全に移管された。

設置学科

全日制課程

沿革

統合前
  • 1928年 - 長濱学園私立川内商業学校創立
  • 1938年 - 私立薩摩商工学校創立
  • 1942年 - 川内商業学校と併設して私立川内工業学校創立
  • 1943年 - 上記の3校が川内市に移管される。
  • 1944年 - 薩摩商工学校が川内市立女子商業学校と改称
統合後
  • 1948年 - 学制改革により上記の3校が統廃合し、川内市立高等学校となる(全日制部と定時制部)
  • 1950年 - 川内市立高等学校の全日制部が県に移管、鹿児島県川内商工高等学校と改称
  • 1956年 - 定時制部も県に移管し再び合併、鹿児島県立川内商工高等学校と改称
  • 1977年 - 定時制部廃止

交通

肥薩おれんじ鉄道JR九州新幹線・JR鹿児島本線川内駅」東口より徒歩19分

校訓

  • 自主
  • 向学
  • 明朗

部活動

2020年現在

体育会系

  • 野球
  • 剣道
  • バスケットボール
  • ソフトテニス
  • 卓球
  • 水泳
  • ハンドボール
  • サッカー
  • バレーボール
  • 柔道
  • ボート
  • バドミントン
  • ソフトボール
  • 陸上
  • 弓道
  • 男子硬式テニス

文化系

  • 吹奏楽
  • ワープロ
  • 放送
  • 美術
  • 写真
  • ボランティア
  • 軽音楽
  • メカトロ
  • エネルギー工作研究
  • 書道
  • 英語同好会
  • 簿記同好会
  • 木工同好会

主な出来事

喫煙

1978年に行われた日教組の教育研究全国集会生活指導分科会では、喫煙で問題が生じている学校の一例として川内商工が取り上げられた。当時、学校トイレ内での喫煙が後を絶たなかったため、トイレのドアを外さざるを得なかった実情が報告されている(その後、生徒からの苦情で上・下が開いているドアが設置された)。喫煙が発覚した生徒には禁煙誓約書の提出を求めていた[1]

体罰

2015年4月、男子バレーボール部員が同部顧問から平手打ちされ口内を出血する怪我を負う。同年10月、同部員が運動中に負傷した際に同顧問から治療の機会を奪われた。後、被害生徒は転校。

2016年2月、同部顧問を減給6カ月の処分。
2017年1月、元部員だった被害男性が、部の高成績を求める保護者からの要望もあり加害顧問が同部に第2顧問として復帰している事を知り「二度と同じような思いをする生徒を出したくない」と鹿児島県に賠償請求を求める訴訟。
2018年3月26日、鹿児島地裁にて県が体罰を認めて謝罪するとともに、和解金60万円を支払うことで和解[2][3][4][5]

著名な卒業生

脚注

  1. ^ 先生はもうお手上げ 生徒の喫煙 七割が吸う高校も『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月30日朝刊、13版、23面
  2. ^ 体罰訴訟でバレー部顧問陳謝、県と元生徒和解 鹿児島地裁 産経WEST 2018年3月26日
  3. ^ 体罰顧問、部活に復帰 「成績」求める保護者会が要望 朝日新聞 2018年5月10日
  4. ^ 鹿児島)川内商工の体罰訴訟、元部員側が和解受け入れへ 朝日新聞 2018年2月7日
  5. ^ 体罰で転校「深く謝罪」で和解へ 鹿児島県と元生徒側 京都新聞 2018年2月7日

関連項目

外部リンク