「鹿児島県立奄美高等学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼#削除された一覧ページへの赤リンクの除去依頼 |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{出典の明記|date=2015年6月13日 (土) 11:48 (UTC)}} |
{{出典の明記|date=2015年6月13日 (土) 11:48 (UTC)}} |
||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=鹿児島県立奄美高等学校 |
|校名=鹿児島県立奄美高等学校 |
||
|画像= [[File:Amami High school.jpg|300px]] |
|画像= [[File:Amami High school.jpg|300px]] |
2022年10月7日 (金) 00:59時点における版
鹿児島県立奄美高等学校 | |
---|---|
北緯28度22分17.9秒 東経129度29分52.8秒 / 北緯28.371639度 東経129.498000度座標: 北緯28度22分17.9秒 東経129度29分52.8秒 / 北緯28.371639度 東経129.498000度 | |
過去の名称 |
鹿児島県大島実業高等学校 鹿児島県立大島実業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鹿児島県 |
併合学校 |
鹿児島県大島女子高等学校 名瀬市立名瀬高等学校 鹿児島県大島農業高等学校 鹿児島県立大島工業高等学校 |
校訓 |
自主創造の精神 友愛奉仕の態度 不撓不屈の根性 |
設立年月日 |
1917年(大正6年)6月 (高等女学校) 1954年(昭和29年)4月 (3校統合) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 情報処理科 家政科 衛生看護科 機械電気科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D146210000422 |
高校コード | 46166A |
所在地 | 〒894-8567 |
鹿児島県奄美市名瀬古田町1-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鹿児島県立奄美高等学校(かごしまけんりつあまみこうとうがっこう, Kagoshima Prefectural Amami High School)は、鹿児島県奄美市名瀬古田町にある県立の実業高等学校。地元では「奄高」(あまこう)と呼ばれている。
概要
- 歴史
- 1917年(大正6年)創立の「名瀬村立名瀬実科高等女学校」を前身とする。1954年(昭和29年)に名瀬市内の県立高校2校と市立高校1校、計3校の統合により「鹿児島県立大島実業高等学校」となる。現校名になったのは1970年(昭和45年)。2012年(平成24年)には創立95周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 5学科
- 定時制課程(夜間) 1学科
- 商業科
- 校訓
-
- 自主創造の精神
- 友愛奉仕の態度
- 不撓不屈の根性
- 校章
- 現在の校章は2代目で2003年(平成15年)に制定された。校名の「奄」の文字を図案化したものを背景にして中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は内与詞守、作曲は武田恵喜秀による。歌詞は3番まであり、最後に校名の「奄美高校」が登場する。
- 同窓会
- 校舎の建つ地にちなんで「配田ヶ丘(はいだがおか)同窓会」と称している。
沿革
この節の加筆が望まれています。 |
- 前身(高等女学校)
- 1917年(大正6年)6月 - 名瀬尋常高等小学校(名瀬村金久里/奄美市立名瀬小学校の前身)に「村立名瀬実科高等女学校」が併設される。
- 修業年限を2年、定員を100名とする。校長は名瀬尋常高等小学校校長が兼任。
- 1920年(大正9年)9月 - 修業年限を3年、定員を150名に変更。
- 1923年(大正12年)7月 - 名瀬村が町制施行により名瀬町となったため「町立名瀬実科高等女学校」に改称。
- 1928年(昭和3年)3月 - 修業年限を4年、定員を200名に変更。
- 1929年(昭和4年)5月 - 専任校長として大井徹翁が就任。
- 1930年(昭和5年)3月 - 定員を400名に増員し、「鹿児島県奄美高等女学校」(名瀬町立)に改称。
- 1931年(昭和6年)2月 - 県立移管により「鹿児島県立奄美高等女学校」に改称。
- 1934年(昭和9年)12月 - 元カトリック立大島高等女学校[注釈 2]校舎(名瀬町金久配田)に移転。
- 1945年(昭和20年)9月2日 - アメリカ軍によって奄美群島は本土から分割され、琉球列島米国民政府の統治下に置かれる。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、高等女学校の生徒募集を停止。
- 1949年(昭和24年)4月 - 学制改革により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「臨時北部南西諸島政庁立 大島高等学校 第二部」となる(本土より1年遅れ)。
- この時、旧制中学校が第一部、農林科が第三部となった。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)9月 - 総合制を解消し、家庭科を有する「奄美群島政府立 大島女子高等学校」となる。
- 1952年(昭和27年)4月 - 「琉球政府立 大島女子高等学校」に改称。琉球大学大島分校が併設される。
- 1953年(昭和28年)12月25日 - 奄美諸島が日本に返還され、「鹿児島県大島女子高等学校」に改称。琉球大学大島分校が廃止される。
- 統合
- 1954年(昭和29年) - 鹿児島県大島女子高等学校・名瀬市立名瀬高等学校(定時制)・鹿児島県大島農業高等学校の3校の統合により、「鹿児島県大島実業高等学校」として開校。
- 1955年(昭和30年) - 与論教場を廃止。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「鹿児島県立大島実業高等学校」に改称(県の後に「立」を加える)。
- 1965年(昭和40年)- 農林科閉科
- 1968年(昭和43年) - 電気科・機械科・化学工学科が分離して鹿児島県立大島工業高等学校として独立。
- 1969年(昭和44年) - 笠利教場が分離して鹿児島県立大島北高等学校として独立。
- 1970年(昭和45年) - 「鹿児島県立奄美高等学校」と改称。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 鹿児島県立大島高等学校から商業科が移管される。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 鹿児島県立大島工業高等学校を統合し、機械電気科を設置。機械電気科実習棟が完成。
学校行事
- 9月 - 体育祭(全日制)
- 10月 - 文化祭(定時制)
- 11月 - 奄高祭(全日制)
部活動
- 全日制課程
-
- 運動部
-
- 文化部
- 定時制課程
-
- 運動部
- バスケットボール部
交通
- 最寄りのバス停
周辺
- 奄美市立奄美小学校
- 鹿児島県立奄美図書館
著名な出身者
脚注
- 注釈
- ^ 全国の公立高校でも他に長崎県立五島高等学校のみである[1]。
- ^ 1924年(大正13年)に創立。1934年(昭和9年)3月に閉校となっていた。その校舎は鹿児島県下で初の鉄筋コンクリート校舎であった。
- 出典
- ^ 初等中等教育局所管の養成学校 文部科学省 2020年8月1日閲覧
関連項目
- 鹿児島県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (鹿児島県)
- 鹿児島県の高等学校設立年表
- 日本の定時制高等学校一覧
- 日本の商業に関する学科設置高等学校一覧
- 日本の家庭に関する学科設置高等学校一覧
- 日本の看護に関する学科設置高等学校一覧
- 日本の工業高等学校一覧