コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「山口県立下関中央工業高等学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
修正
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の高等学校
{{Infobox 日本の学校
| 校名 = 山口県立下関中央工業高等学校
| 校名 = 山口県立下関中央工業高等学校
| 画像 = Shimonoseki Chuo-tech HS.JPG
| 画像 = Shimonoseki Chuo-tech HS.JPG

2022年10月7日 (金) 01:10時点における版

山口県立下関中央工業高等学校
下関中央工業高校正門
地図北緯33度58分24秒 東経130度55分31秒 / 北緯33.973472度 東経130.925333度 / 33.973472; 130.925333座標: 北緯33度58分24秒 東経130度55分31秒 / 北緯33.973472度 東経130.925333度 / 33.973472; 130.925333
過去の名称 山口県立幡生工業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 山口県の旗 山口県
学区 全県一学区
校訓 質実剛健
設立年月日 1910年
閉校年月日 2018年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 工業科(くくり募集)
機械造船科
建築科
土木科
化学工業科
学期 3学期制
高校コード 35149A
所在地 751-0826
山口県下関市後田町四丁目25番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

山口県立下関中央工業高等学校(やまぐちけんりつ しものせきちゅうおうこうぎょうこうとうがっこう)は、山口県下関市後田町四丁目に所在していた公立工業高等学校。略称は「中央」。2019年、跡地に山口県立下関双葉高等学校が開校した。

沿革

  • 1910年明治43年) - 下関市立下関実業補習学校開設
  • 1925年大正14年) - 下関市立下関商業実践学校と改称
  • 1928年昭和3年) - 下関工業実践学校を合併し、市立下関商工実践学校と改称
  • 1935年(昭和10年) - 下関商工実践学校を引き継ぐ形で下関市立下関商工学校を開校
  • 1944年(昭和19年) - 山口県に移管し、山口県立下関第二工業学校となる
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革に伴い、山口県立下関実業高等学校となる
  • 1949年(昭和24年) - 山口県立下関工業高等学校に統合し、新名称が山口県立下関工業高等学校となる
  • 1954年(昭和29年) - 山口県立下関工業高等学校を山口県立安岡工業高等学校(現・山口県立下関工業高等学校)と山口県立幡生工業高等学校に分離
  • 1965年(昭和40年) - 山口県立幡生工業高等学校を山口県立下関中央工業高等学校に改称
  • 2016年(平成28年)4月 - 山口県立下関工業高等学校と再統合して山口県立下関工科高等学校が発足し、生徒募集停止
  • 2018年(平成30年)3月31日 - 廃校[1]
  • 2019年(平成31年)4月 - 跡地に多部制の定時制高校である山口県立下関双葉高等学校山口県立下関総合支援学校高等部を設置

設置学科

全日制

入学時には全学科を一括募集し、1年次終了後に希望学科に分かれる。

著名な出身者

脚注

  1. ^ 山口県条例第三十八号 山口県報 号外 -14 平成30年3月20日
  2. ^ 松村邦洋のOH-!邦自慢 / ラジオ”. KRY山口放送 (2015年12月). 2015年12月15日閲覧。

関連項目

外部リンク